アキラの海外“デッドストックニュース”掘り起こし

第8回“真のリーダー像”数字と実行力で体現するMark Hurd

絶好調Hewlett-Packardの立役者

Hewlett-Packardの2007年第3四半期決算が8月17日(米国時間)に発表された。数字を見るとほとんどの事業が増収増益、総売上は前年同期比16%増の254億ドル(約2兆9,000億円)、純利益は29%増の18億ドル(約2,570億円)に達しており、この分だと年間売上1,000億ドル突破もラクに達成できそうだ。PC事業、とりわけノートPCの出荷が非常に好調だったことが最大の理由だが、今期に限らず、ここ最近のHPのビジネスは順調に推移してきた。今やPCベンダとしてだけでなく、IT総合ベンダとしても⁠世界No.1⁠といっても過言ではないだろう…IBMを除いてだけど。

同社をそこまで押し上げた一番の立役者といえば、やはり2005年4月にCEOに就任したMark Hurd以外にありえない。前CEOで同社のアイコンでもあったCarly Fiorina女史が業績不振を理由にクビになった直後、NCRから引き抜かれたHurdだが、就任時には「NCRなんてHPの1/10、そんな奴に何ができるんだ」⁠Carlyに比べて小粒」と陰口を叩かれたりもした。そりゃ、あんな強烈なキャラと比べられたら誰でも小粒に見えるってば。

Mark Hurd
Mark Hurd CEO(Photo:HP)

このときHPは、ライバルのDellにPCの出荷台数で大きく水を空けられていた。また、期待を下回る利益しか出せない時期が長く、株主の不満も頂点に達していたころだった。計り知れないプレッシャーがその両肩にのしかかっていたはずだが、Hurdは自分を小馬鹿にした連中の度肝を抜く施策に打って出る。就任してわずか3ヵ月後に1万5,000人の大リストラを発表したのだ。このリストラによる経営効果は年間19億ドルと言われたが、それにしても1万5,000人-当時の全スタッフの10パーセントにあたる人数のクビを一気に切る(実際には1年半以上かかったらしい)なんて、並みのリーダーにできることではない。

あるアナリストは「Carlyは⁠ビジョンの人⁠だったが実行力に欠けていた。Hurdに期待されているのはまさにそこだ」とコメントしたが、その通り、Hurdは次々と新施策を発表→実行していった。Carlyが1つにしたPC事業とプリンタ事業を再び別々にし、年金支給の中止を発表し、iPodのリセラ(再販)も止めた。PC以外の強い事業の柱が必要と感じ、ブレードサーバ製品群の充実を図り、ソフトウェア会社の買収も行った。強烈な個性と魅力的なビジョンをもった前CEOのような華はないが、⁠経営効率の改善が自分の仕事」として淡々と、しかし冷静にこなしていくHurdの姿は、しだいに周囲の信望を集めるようになっていった。

トップとしての決断-「泣いて馬謖を斬る」

だが業績も株価も上り調子にあるときに限って、その実力が本物かどうかを試すかのように事件が起こるものだ。ちょうど1年前の2006年9月、ITベンダとしてはかなり不名誉な「情報漏洩事件-the spying scandal」が発覚した。Carlyを辞任に追い込んだ取締役会の内容、その場にいた者しか知りえないはずの情報が、なぜかWSJやCNETに掲載されていたのだ。これだけでもかなりみっともないのだが、問われるのは情報をリークしたメンバーのモラルだ。就任する前のHurdが負う責任ではない。

世間を呆れさせたのは、同社の最高幹部が情報源となった人物を特定するため、「プリテキスティング pretexting」というなりすましの手法を使い、怪しいと思われるメンバーやジャーナリストの通信記録を盗聴するという手段に訴えたことだった。この⁠スパイ大作戦⁠の指揮を執っていたといわれる最高幹部は、当時の会長職だったPatricia Dunn。社内外の約30名をターゲットに、携帯電話、ファックス、メールの盗聴を指示したという。当然、Hurdに対しても疑いが持たれ、調査の手も入ったが、SCEは早々に彼の関与を否定した。

もっとも、全面的に捜査協力したHurdではあったが、卵巣ガンを患いながらも会長として陰日向に自分を支えてくれたDunnに批判が集中していくさまを見るのは相当辛かったようだ。この事件に関するHurdの対応は完璧だったとは言いがたく、株主やメディアからきつい質問が飛ぶと「我々は過去ではなく、未来を見ていかなければならない」などと、なんとか受け流そうとする苦しい場面もよくあった。

しかし、ここで私情を交えずに経営的判断を下すのがトップの仕事である。事件が表沙汰になってから1ヵ月も経たないうちに、HurdはDunnの会長辞任およびボートメンバー(取締役)辞任を発表、自身が会長職も兼ねるとした。Dunnはせめてボードメンバーには残りたいと希望していたが、Hurdは認めなかった。濃すぎる前CEOの影を払い、ようやく新生HPとして認められつつあった矢先である。身内から出た錆は、どんなにわずかでもきれいに拭き取る必要があったのだ。後日のインタビューでHurdは「合法かどうかが問題ではない。この事件では多くの人が不快な思いをした。それは絶対に受け入れられないことだ」と明言している。辞任後すぐの10月、Dunnをはじめ事件に関与したとされる5名がカリフォルニアで訴追された。

注 2007年3月に証拠不十分による訴訟の取り下げという、なんとも曖昧なかたちで決着した。

CEO就任から2年余り、いくつもの危機を経験してきた上で勝ち取った数字は、Hurdにとって何よりのプレゼントだったろう。HPは今期(第4四半期、10月末〆)もハードウェアを中心とした順調なビジネスが見込まれている。⁠我々は過去に生きているのではない、今を生きているのだ」がHurdの口癖だという。これまでの好業績を「過去のもの」とし、まだ弱いとされているソフトウェア事業でも大きくシェアを伸ばすことができるのか、今期の決算も要注目だ。

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