LinuxCon Japan/ Tokyo 2010の歩き方

第6回 Linuxと出会い,IBMは変わった─Dan Frye

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はじめに

今回はいつもの「LinuxCon/Japanの歩き方」の拡大版として,今回最も重要な初日の基調講演のスピーカであるIBM オープンシステム開発担当バイスプレジデントのDan Frye氏に,IBMとLinuxの取り組みについて詳しく伺いました。⁠編集部)

顧客がそれを求めたから

私がLinuxのことを初めて耳にしたのは1998年の5月でした。そのとき私は仕事で取り組んでいたハイ・パフォーマンス・コンピューティングに関する会議に参加しており,国立研究所から来た優秀な人々の中にLinuxを知っている人がいました。そこでオープンソース・プロセスの話も聞きました。そのときは,面白いとは思いましたが何もしませんでした。

同じ年の後半,私は戦略策定のために本社へ異動しました。そこで私だけでなく他のメンバーもIBMのLinux戦略に関して尋ねられましたが,IBMには戦略はありません。このため,我々は1998年の秋に正式なLinux戦略を調整する任務を与えられました。このLinux戦略に基づきLinuxテクノロジー・センターの設立が求められたのです。1999年のことです。

つまり,ほんのわずかですが,私が1998年にLinuxを耳にした時点よりも前に,すでにLinuxは明らかに大きな動きとなっており,それに私たちが参加したというわけです。

最初に私たちが採用した戦略は,⁠着手」⁠Get Started)と呼んでいたものです。つまり,IBMの製品,ハードウェア,ソフトウェア,サービスの一部を利用可能にするということでした。私たちは,Linuxを自分たちにとって新しい市場であると捉えていました。インターネット・サービス・プロバイダなど,企業でもLinuxを使用しているところはありましたし,もちろん(Linuxを使っている)国立研究所や大学など,IBMを導入していないサイトや顧客もいました。そこで私たちは,これらの市場に参入するチャンスのひとつとしてLinuxを捉えたのです。私たちは,標準仕様を確立するチャンスがあると考えましたが,最初はLinux周辺で何かを行うという戦略を構想しました。

よく言われている「Linuxに10億ドルを投資する」という話は,それから約2年後のことです。そのころには私たちの戦略は,⁠着手」から「Linuxの発展」⁠Accelerate Linux)へと変化していました。Linuxがエンタープライズシステムとして早く成熟すればするほど,顧客,業界,そしてIBMにとって良いことであると判断しました。最初,私たちはLinuxがこれほど大規模なプロジェクトになると考えていなかったのです。しかし,考えが変わるのに長くはかかりませんでした。

我々がLinuxにこれほど注力したのは,顧客がそれを求めたからです。私たちがLinux戦略を開始したとき,本社の首脳陣はLinuxを知りませんでしたが,現場の人々はLinuxを知っていました。顧客がLinuxのことを尋ねていたからです。⁠自分たちはLinuxを搭載したIntelサーバを導入しているが,LinuxでDB2を使えますか」といった質問です。顧客はLinuxを使用し始めており,気に入っていました。また,安定しており安価でした。

Linuxはすでに標準となっていたため,何か新しいものを私たちがクライアントに押し付けるという形にはなりませんでした。クライアントの方からそれを求めていたのです。だから仕事は進めやすかったです。私たちは顧客を訪問して,何か新しいものを紹介するという形はとりませんでした。

ちなみに,⁠10億ドル」は私に任されたものではありません。ご存じのとおり,私はIBMという大きな組織の一員です。Linuxテクノロジー・センターは1つの駒であり,他の駒もありました。私がLinuxのリーダーというわけではなかったのです。

大きな課題もありました。1つは,私というより会社にとっての課題でした。私たちがLinuxでの活動を開始し,アーリーアダプターがそれを使用している中で,私たちは成熟したビジネス,つまり銀行,保険会社,病院を経営する人々へアプローチする必要がありました。私たちは彼らを訪問し「Linuxは信頼できます」と説いてまわりました。

ご存じのとおり,オープンソース・プロセスの成熟には一定の時間が必要です。IBMのLinuxへの貢献の1つは,多くの企業のCEO,CIO,そしてCTOの信頼を得たことでした。これは大変な仕事で,多くの時間と努力を必要としました。たとえば,名前は挙げませんが,日本の大手銀行の一部ではLinuxを使用しています。しかも,ミッションクリティカルな処理にそれを使用していますが,ここにLinuxが信頼できるのだということを説明するためには複数回の対話が必要でした。

コミュニティ文化とIBM文化

もう1つの課題は,私のチームが直面していた課題です。それはIBMの社員がオープンソース・コミュニティでうまく働けるかという課題でした。コミュニティでは非常に大きな集団力学が働いており,異論が多いもののコンセンサスに基づく環境でもあります。結局,私たちはその中で非常にうまく働けるようになりましたが,ひとつのチャレンジではありました。私たちが慣れ親しんだ環境とは非常に異なっていたからです。

この課題に取り組む際に,IBM社内の開発者同士で直接コミュニケーションを取ることを禁止にしましたが,それは私が初期の段階で取らざるを得なかった重要な措置です。私たちは,その当時はコミュニティのようには機能していませんでした。コミュニティの誰かが質問すると,私たちは自分たちだけで話し合っていました。そして,議論してから2~3日後に,会社としての回答を出していましたが,これでは遅すぎました。そして,あまりにも企業的なやり方でした。そこで,私はカーネルチームの社内コミュニケーションを禁止し,外に向けてのみコミュニケーションを取らせました。なぜなら,それこそがコミュニティの機能だからです。

しかし,私たちがコミュニティにうまく参加できるようになった時点で,私は禁止を解きました。私たちは今はそれに関して考えることもありません。開発者は十分に長い間それを実践し続けており,何がコミュニティ関連事項であり,何が社内関連事項であるかを理解して,適切に自制できています。これまでプロプライエタリーなソフトウェアを開発してきた人々が新たにグループに参加した場合は,彼らに対してトレーニングを行わなければならないことは事実です。つまり,オープンソースは他のとは違うのです,必ずしも優れているわけでなく劣っているわけでもなく,別物であるということです。

どのように利益を上げるのか

第3の課題は,私たちが営利目的の企業で働いていることをどのように認識するかです。そして,自分たちがコントロールしていない技術でどのように利益を上げるかです。そこで私たちが発見したのは,エンド・ツー・エンドのビジネスモデルです。

私たちは,形の上で,ハードウェア・ビジネスやソフトウェア・ビジネスをサービス・ビジネスとして考えます。Linuxの場合,私たちはクライアントの体験全体に関して考えざるを得ません。そこで私たちが利益を得る方法は,Linuxを搭載できるハードウェアを販売することです。私たちはLinux上で動くソフトウェアも販売しています。そして,私たちはLinuxに関連するあらゆるサービスを販売しています。私たちがオペレーティング・システムを販売していないという事実は問題ではなく,重要ではありません。

つまり,私たちは初めて本当の意味でハードウェア/ソフトウェア/サービスを1つに組み立てなければなりませんでした。私たちはその過程で多くの恩恵を受けました。それにより,私たちは「Linuxの発展に貢献できます。それを相殺できるように他で利益を上げるからです」という立場を取ることができるのです。

著者プロフィール

Dan Frye

IBMオープンシステム開発担当バイスプレジデント。IBMのLinux開発チーム(IBM Linux Technology Center:LTC)で,システム&テクノロジ グループにおけるクラウド コンピューティング技術,およびIBMシステムのサーバやストレージのプラットフォーム管理開発の責任者を務める。

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