エンジニアに捧げる起業幻想

第3回 目先の自由と社会的意義

この記事を読むのに必要な時間:およそ 3 分

そもそも自由の獲得は良い選択肢なのか?

さて,2つ目の「自由の獲得が良い選択肢とは思えない」について話します。

私の完全な持論として人は自分の持っている能力を最大限社会に還元できるようにするべきだと考えています。その前提で話を進めます。

高いスキルは独立以外にも役立つ

今の世の中,ものすごい贅沢をしたい場合はさておき,そこそこ満足のいく生活をするために必要な収入というのは,さほど人によって変わらないと思います。そうなると「能力=スキルが高いエンジニアのほうが容易に,それ(そこそこ満足のいく生活)を達成しやすい」と考えられます。高い能力のほうが高く換金できるからです。その結果,職種としてモノを生み出すスキルがあるエンジニアのほうが「⁠⁠独立してやっていけるだけのスキルがあると思うので)独立しよう」と考えがちです。

この「独立しよう」という点で,私は別の見方をしています。そういう(スキルが高い)エンジニアは,⁠優れたビジネスモデルに基づいた優秀なチームで働くほうが社会に対して能力を還元できる」と考えています。なぜなら,優秀なチームにスキルが高いエンジニアが所属することで大きな価値を生み出す可能性が高まるからです。

そのチームから生み出される収益,キャッシュフロー,発生する雇用,さらに細かく言えば法人税,所得税,原価や経費といった他の個人法人への発注,そこから上がる収益(以下ループ)……といういわゆる「経済効果」が最大化していくからです。

また,経済面だけではなく,同僚が優秀なエンジニアから受ける刺激による成長,高いハードルに応えることで生み出される新しいテクノロジーなどの技術的なフィードバックもあるでしょう。

もちろん,個人や小さいチームでも素敵なサービスを生み出すことはありますし,実際存在します。しかし,要求されるスケールやアベイラビリティを定量的に評価すれば,そこで要求されるスキルやテクノロジーにはかなりの違いがありますし,得られる結果が異なります。経済効果という単語に対しての,技術効果と言ってもいいかもしれません。

会社の規模は個人の能力に対する社会へのレバレッジ

会社の規模は個人の能力に対する社会へのレバレッジです。会社やチームというのはパワードスーツやテコのようなものです。同じ規模の会社であれば,優秀なエンジニアほど社会との接点において大きなアウトプットを生み出せますし,逆に同じエンジニアであれば大きな会社ほど大きなアウトプットを生み出せます(もちろんそれでも大きいだけですでにビジネスモデルが破綻してしまっていたり時代にそぐわなくなっているようなケースはもちろんあります。筆者がここで言っているのは,大きくなるべくして大きくなった会社のことです⁠⁠。

GoogleもFacebookもAppleもAmazonも,優秀なビジネスモデルのもとに優秀なスタッフが集うことで,あれだけの社会へのアウトプット,すなわち経済的,技術的,社会的影響を生み出しています。

ところが問題なのは,そうした企業に属する優秀なエンジニアほど「独立してうまくやっていける可能性が高い」ことです。しかし,そこそこ満足のいく生活をするために必要な収入というのはさほど変わりません。10倍優秀なエンジニアだからといって10倍の収入が必要にはなりません。大きなチームに所属して自分のアウトプットにレバレッジを効かせることではじめて自分が必要な収入が得られるならば,そうすることでしょう。

レバレッジを効かせなくても得られる場合,すなわちスキル(の換金性)が高い場合,独立してもやっていけるとういことになります。しかも優秀であればあるほど,そのスキルの一部を換金するだけで良くなるので,よりプライベートを充実させることができるということになります。

必要な収入には大差がないために大きな効果を生み出せる人ほど生み出さなくていいほうにいってもやっていけるのです。なんというジレンマでしょうか。しかもエンジニアは他の職種に対して相対的に「あくせく働くよりも自分(とその家族)が満足できる収入を得られればあとは自由に生きたい」と考える傾向が高いように思われます。

端的に言えば,⁠優秀であるほどレバレッジを効かせる必要性がなくなる」ということです。そして,これはそのまま,⁠レバレッジを効かせていれば生み出されていたであろう経済効果や技術効果が失われている」ということです。

これが,筆者が考える「自由の獲得というのが良い選択肢とは思えない」の本質です。

目先の自由・身の回りの幸せだけではない,全体を見て考え,参加する意識

ここで先ほど述べた「人は自分の持っている能力を最大限社会に還元できるようにするべき」という持論に戻ってみます。

能力があって,それをうまく活用して,独立して自由な時間を得て,自分の能力は必要最小限のアウトプットに留めるというのは,ただの独善的な考え方です。⁠自分の人生なんだから自分で決めて何が悪いのか」⁠自分の人生をより楽しむように生きて何が悪いのか」という意見もきっとあるでしょう。というかそっちのほうが多いでしょう。

しかし,会社というレバレッジを使わなくてもやっていける人がみんなそう考えたら,現在の世の中の経済は維持できないでしょう。優秀なスキルを活かして独立してやっている人が得ている収入は,大きな経済の上に立脚しています。そういった人たちの収入源は,経済規模があるからこそ生み出されているものです。

つまり,極端なことを言えば「大多数の人たちが会社やチームに所属して個々の能力にレバレッジを効かせることで経済規模を維持してくれているので」⁠ごく少数の優秀な人は自分の能力を社会に還元しないでプライベートを優先した楽しい人生を送ることができている」のです。

みんながそれをやったら経済が維持できない,ごく少数の人たちがやっているだけなので維持できる,これはつまり独善的な考え方です。優秀な人は,経済に貢献して,他の人に刺激を与え,テクノロジーの進化や発展に貢献する高貴な義務があると,私は考えています。

「働いたら負け」とか「フリーランスは勝ち組」なんていうことはありません。

仕事というのは必要最小限だけやってあとは人生を楽しむ,その楽しむ人生を構成する要素,たとえば,各種コンテンツであったり移動手段であったり電力であったりデバイスであったり食料であったり……。それらは「仕事=労働」によって生み出されていることを忘れてはいけません。

仕事というのは人生を楽しむための犠牲ではありません。仕事と人生=社会というのはそれで1つの環を構成しています。⁠自分さえ良ければいいのか」というのはなかなか深遠なテーマです。それを否定する意見をすべて無視できるくらいの誘惑を備えています。

であるがために,世の中には道徳というものが必要なのだと,私も40歳を過ぎてようやく思うようになりました。

今回は「起業幻想」というテーマから少し外れてしまいました。

次回からまた話を戻して,なぜ起業してうまくいかないのか,会社や事業の仕組みとつまづきやすいポイントについて述べてみたいと思います。

著者プロフィール

山崎徳之(やまざきのりゆき)

青山学院大学卒業後,アスキー,So-netなどでネットワーク,サーバエンジニアを経験。オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)のデータセンターである「データホテル」を構築,運営。2003年にベイエリアにおいてVoIPベンチャーであるRedSIP Inc.を創業。2006年6月に株式会社ゼロスタートコミュニケーションズ(現 ZETA株式会社)を設立,代表取締役就任(現任)。ECソリューションの「ZETA CX」シリーズとして検索エンジンやレコメンドエンジンを開発,販売している。

blog:http://blog.zaki.jp/
社長コラム:https://zetacx.com/column