新春特別企画

2011年の電子出版

新年あけましておめでとうございます。2010年は3回目とも4回目ともいわれる「電子書籍元年」でありました。また今年2011年こそは、本当の「電子書籍元年」になるという予測する声も聞かれます。

しかし「元年」という言葉には、過去の失敗や課題をリセットしてなかったことにしてしまう響きがあると筆者は感じてます。いささか語呂は悪いですが、今年は少なく見積もっても「電子書籍2年」であるという認識のもと、昨年を通して明らかになった課題に対して継続して取り組んでゆくべきではないでしょうか。

本稿では、電子出版がこれから対峙しなければならない課題について考えてみます。

2009年に注目を集めたのはKindleやそのライバル機にあたる数々の読書端末でしたが、2010年は「プラットフォーム」「フォーマット」に対して大きな関心が払われました。

プラットフォーム

プラットフォームは土台を表す言葉ですが、電子出版の世界では様々な個人や企業が電子出版ビジネスを行うための基盤となるサービスを指します。アマゾンやグーグルに代表されるグローバルなプラットフォームの日本進出は「黒船」として脅威と期待を込めて受け止められました。GALAPAGOSブックリスタhontoなど日本でも昨年末にようやく幾つかのプラットフォームが誕生し、今年はプラットフォーム間競争の激化が予測されます。しかし果たして内戦(Civil War)を制するような優れた国産プラットフォームが誕生したところで、そのサービスは日本語圏の外にも拡大できるものになるのか、筆者は関心を持って見守っています。幕末の黒船は「国民国家」を象徴するものでしたが、今度の黒船は多様な言語や文化を包摂する「帝国」的なものなのですから。

著者や出版社は「黒船」という言葉の持つ警戒感に惑わされるべきではないでしょう。国産プラットフォームが日本語圏の外にサービスを展開できなかった場合、海外に向けて作品を販売する手段として「黒船」であるグローバルプラットフォームは最適です。翻訳コストの都合上、テキスト中心の書籍でのビジネスは難しいかもしれませんが、マンガのようにビジュアルな表現が中心となる出版物ならば、言語による障壁は幾分下がります。コンテンツビジネスは我が国にとって、新興国に押されつつある「ものづくり」に代わる重要な輸出産業となる可能性があると筆者は考えています。日本で独自の進化をとげたビジネスはしばしば「ガラパゴス」と揶揄されます。しかしガラパゴス諸島が観光地として魅力を放っているように、その独自性がコンテンツの分野では強みになります。

フォーマット

フォーマットは電子出版物のデータ形式です。昨年はアップルやグーグルなどが採用するEPUBというオープンなフォーマットが日本でも注目を集めるようになりましたが、縦書、ルビなど日本語組版を表現するには問題が多いことも明らかとなりました。そのため、次バージョンであるEPUB 3.0の策定には、日本からも幾つかの企業や団体が参加して日本語組版を取り入れる活動が継続しています。EPUBはXHTMLやCSSといったW3Cのウェブ標準を参照しています。そのため、10年来進展の見られなかったCSSの縦書きモジュールもW3Cで草案化され、Webkitのように実装に前向きなブラウザも現れました。EPUB 3.0は2011年5月に策定が完了する予定ですが、より高品質な日本語組版の実現にはその後も継続的な取り組みが必要です。国益を左右するグローバルなフォーラム標準に今後どのように対応してゆくのか、EPUBの普及は日本語圏にとって大きな課題を示した出来事であると言えるでしょう。

もう一つ、電子書籍の交換フォーマットの策定が昨年から続けられています。これまで日本国内でデファクト標準だったドットブックとXDMFの記述フォーマットを統一して多様な閲覧フォーマットに対応させる目的とされています。このフォーマットは国立国会図書館の全文検索サービスへの利用も検討されており、出版社や印刷会社が保有する既存のデータを有効に活用する手段としての役割を担っていると言えます。

環境整備はまだまだ続く

ここまで、昨年注目を集めたプラットフォームとフォーマットについて取り上げてきました。いずれも電子出版ビジネスを行うための基盤となる要素です。電子書籍の環境整備のための一年だったと言えるでしょう。

昨年、総務省では「新ICT利活用サービス創出支援事業」として10のプロジェクトが採択されました。前述したEPUBを日本語組版に対応させる取り組みや交換フォーマットの策定もこのプロジェクトには含まれていますが、他にも注目すべきプロジェクトが幾つも見られます。その多くが環境整備を課題としており、成果があがるのが4月以降になりますから、今年も電子書籍の環境整備はまだまだ継続中ということになります。

  • 国内ファイルフォーマット(中間(交換)フォーマット)の共通化に向けた環境整備
  • 書誌情報(MARC等)フォーマットの確立に向けた環境整備
  • メタデータの相互運用性の確保に向けた環境整備
  • 記事、目次等の単位で細分化されたコンテンツ配信等の実現に向けた環境整備
  • 電子出版のアクセシビリティの確保
  • 書店を通じた電子出版と紙の出版物のシナジー効果の発揮
  • その他電子出版の制作・流通の促進に向けた環境整備
    • EPUB 日本語拡張仕様策定
    • 研究・教育機関における電子ブック利用拡大のための環境整備
    • 図書館デジタルコンテンツ流通促進プロジェクト
    • 電子出版の流通促進のための情報共有クラウドの構築と書店店頭での同システムの活用施策プロジェクト

DRM

前述のプロジェクトに課題としてあがらなかったものにDRMがあります。例えオープンなフォーマットが利用可能であったとしても、特定のブックリーダでのみ閲覧でしか閲覧できないようにDRMがかかっている場合があります。利用者にとっての利便性は損なわれますし、ブックリーダやDRMの事業者が事業から撤退すると、購入したコンテンツを読めなくなってしまうという不安要因にもなります。

反対に違法コピーが可能な形態での販売では、出版社をはじめとするコンテンツ供給者の協力が得られない可能性があります。また閲覧者を制限するためのセキュリティ目的でDRMの導入が必要となる局面もありますし、電子図書館で貸出冊数を制限するためにDRMを導入している事例もあります。

しかし決して破られないDRMは存在しないと言われています。高い性能を持つDRMほど導入コストがかかり、それは販売するコンテンツの価格に上乗せされます。競争の激しい分野では、ユーザの選択と供給者側の導入コストがDRMの有無や強度を決定する要因になるはずです。

ワークフロー

それでは、コンテンツの作り手である著者や出版社についてはどのような課題が見えてきたでしょうか。

フォーマットやプラットフォームが確立したとしても、出版社がすぐに大量の電子出版物が刊行できるようになるわけではありません。それは電子出版を行うためのワークフローが確立していないからです。これまでのように、紙の出版物を主、電子出版物のデータを従とする認識のもと、印刷用のデータを元に電子出版物を作る方法はあまり効率的ではありませんでした。それは印刷用のデータが見出しや段落などの文書構造を定義することなく制作されていたからです。出版物を様々なフォーマットやプラットフォームに対応させるためには、構造化されたデータが不可欠です。紙中心の考え方からデータ中心の考え方に移行してゆく必要があります。それに伴い、データやバージョン管理のノウハウも必要となってくるでしょう。

出版社が既に電子書籍データを保有していたとしても、問題がないわけではありません。ドットブックやXMDFの記述フォーマットや青空文庫テキスト形式など日本で主流といえる電子書籍データのほとんどは、Shift-JISという文字コードで符号化されてたものです。Shift-JISはJIS X0208の文字集合を対象としていますが、出版物に使用される文字としては十分とは言えませんでした。このような場合、表現できない文字の代わりにその文字の画像を文章の中に埋め込むといった対応がしばしば行われてきました。しかし画像では人間にとって理解できてもコンピュータにとっては理解できません。EPUBなどが使用するUnicodeではJIS X0208の上位互換であるJIS X0213を扱えるため、第三・第四水準の漢字や様々な記号を表現することができます。またIVSという仕組みを利用すれば、様々な異体字を表現することも可能になります。出版物のデータを正確な形で残してゆくために、符号化方式はShift-JISからUnicodeに移行してゆくことが必要でしょう。

器ありきかコンテンツありきか

日本ではプラットフォームやフォーマットばかり議論されて肝心のコンテンツに関する議論が置き去りにされている、という指摘を筆者は受けたことがあります。昨年はフォーマットやプラットフォームが整備されていなかったため、iPhoneやiPad向けのアプリケーションとして本を出版するケースが多く見られました。

このようなアプリケーションは汎用フォーマットに比べて、多様な環境で長い期間読むことができる、という点において劣ります。しかし汎用フォーマットでは不可能だった表現もアプリケーションとしてならば実現することができます。コンテンツの魅力を最大限に引き出す、という点において汎用フォーマットはアプリケーションに敵いません。もしも出版社が、あるコンテンツを表現するのにアプリケーションが最適と考えたのならば、その選択を筆者は支持したいと思います。最初にコンテンツありきで出発し、次にそれを表現するための器を選ぶ、という発想は、電子出版物を紙の模倣の次のステージへ導いてくれるでしょう。

著者という職業

オープンなフォーマットやオープンなプラットフォームは、出版という行為そのものの敷居を大きく引き下げました。海外ではアマゾンのDigital text PlatformやアップルのiBookStore国内ではパブーwookといったサービスが個人出版サービスを展開しています。このような個人出版サービスはしばしば出版社の「中抜き」としてセンセーショナルな取り上げられ方をすることがあります。しかし、カジュアルな形で電子出版が可能にはなりましたが、今のところ、個人がその収入のみで生活してゆくことは難しいように思えます。

一つには参入障壁が下がったことで競争が加速し、コンテンツの価格が下がってゆくことです。特に無名の著者がコンテンツを、自分自身をPRするためのツールとして限りなくゼロに近い価格で販売する現象は、Digital Text Platformではかなり早い段階から見受けられました。さらに電子出版の世界では著者は同時代のライバルの作品のみならず、過去の著者の作品とも競争しなければなりません。電子化されたコンテンツには在庫切れがないからです。

もう一つは、ほとんどの個人出版サービスがレベニューシェアモデルを採用していることです。売上によって生じた利益のおよそ7割が著者に入りますが、一冊も売れなければゼロのままです。これでは著者は生活設計を行うことができません。日本で紙の本を刊行する場合には、最低部数保障というものがあり、一定部数分の印税はあらかじめ著者に支払われます。このように、紙の本の世界で出版社が著者に対して担ってきた金融機能は、電子出版の世界では残るのでしょうか。もちろん、電子出版は紙の出版を置き換えるものではありませんが、著者として息の長いキャリアを重ねることができる契約モデルが電子出版の世界にもあって欲しいと筆者は思います。

デジタル教科書

最後に教育の分野についても少しだけ触れてみます。

昨年は2015年のデジタル教科書実現に向けた協議会の発足した年でもありました。教育は筆者の専門分野ではありませんので詳しい議論をすることはできませんが、授業内容をしっかりと設計した上で実現されるものであって欲しいと思っています。この分野はコンテンツありきで考えるべきです。ネットワークやタブレットデバイスは実現するための手段の一つに過ぎません。デジタル教科書の分野では日本は他の先進国に比べて遅れていますが、アメリカや韓国などの先行例を参考にできるというメリットもあります。是非とも優れた内容の授業を実現して貰いたいものです。

一方で、今すぐデジタル教科書を必要としている分野があります。それは印刷された教科書を読むことにハンディキャップを抱える人たちへの教育です。このような人たちへのアクセシビリティを提供するために開発されたDAISYという電子書籍の標準フォーマットがアメリカや北欧では利用されています。DAISYはテキストと音声を同期させる機能を持つほか最新のDAISY4では動画にも対応します。またDAISYはEPUBとも姉妹規格の関係にあるため、EPUB3の日本語のルビや縦書き対応はDAISYを日本語の教科書の利用に十分なものにしてくれることでしょう。筆者は特定のフォーマットを前提に授業設計を行うべきとは考えていませんが、この事実は視野に入れておいて欲しいことです。デジタル教科書を全国の学校に一斉配備するよりも、すぐにでも必要な現場から段階的に導入してゆくという方法もあるはずです。

長々と電子出版を巡る課題について書いてきました。電子出版の抱えるこれらの課題は、出版産業のみに関するものと考えるべきではありません。そうではなく、情報とコミュニケーションと自由(コンテンツを読み続ける自由、コンテンツを発表する自由)に関するものとして、より多くの人に共有して貰いたい課題です。⁠電子書籍元年」をブームとして消費するのではなく、昨年から来年へと確実に成果を繋いで行く一年であることを願って筆を置きます。

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