昨年6月から続いてきたこの連載も,
そこで,
「『フェアユース』 待望論」 の台頭
ここ数年,
しかし,
中でも,
アメリカの著作権法における重要な原則として知られる"fair use"の
ただ,
本来,
著作権が及ぶ形態の著作物の利用行為 (複製, 演奏, 公衆送信等) のうち, 「一定の条件」 を満たした行為について, 法律等に個別に列挙された規定によることなく, 包括的な規定によって著作権者の権利を制限することを認める (その結果, 著作権者の許諾等を受けなくても, ユーザーが自由に当該利用行為を行うことができるようになる) というルール
である,
従来のルールの問題点と 「フェアユース」 導入に向けた流れ
- (1)
X社の研究開発部門に勤めるAさんは,
現在自社で販売しているテキストマイニングソフトの解析精度を向上させるための開発に取り組んでいます。 Aさんは,
開発の成果を確認するために, 試作したソフトウェアを使って新聞記事や小説, 学術論文等, 様々なテキストを素材とした解析試験を行おうと考えましたが, そのためには, これらのテキストを全文丸ごとスキャナ等で複製して電子データ化する必要があります。 「これって, 著作権侵害になってしまうのでは・ ・ ・?」 と不安を感じたAさん。著作権者の許諾を取ろうにも, 権利者の数があまりに多いため現実的ではありませんし, 利用料を求められた場合の研究予算も十分には確保できていません。 各テキストはあくまで試験のために利用するにとどまり,
その後の利用を予定しているものではないのですが, このような利用でも違法になってしまうのでしょうか?
「フェアユース」
なぜなら,
著作権法上の
(例外) 規定として個別に列挙された形態の利用行為に限って, 著作権者の権利を制限する (ユーザーが自由に利用する) ことを認める
という考え方が採られており,
確かに,
ところが,
上記のような
上記
そして,
このような不自然な帰結を避けるため,
しかし,
- ※
もちろん,
著作権者の許諾をきちんと得ることができれば, 適法に利用することは可能なのですが, 前回の連載等でもご説明したように, 「許諾を受ける」 という作業はそれ自体物理的, 心理的負担を伴うものですから, 「わざわざ許諾を受けに行くくらいなら・ ・ ・」 と, 利用行為そのものをやめてしまうパターンも現実には多いです。 また,
条件等で折り合わなかった, 権利者側に最初から許諾する意思がなかった, 等の理由で許諾を受けることができない場合も多いですから, "許諾を受ければいい"というのは, 問題の根本的な解決にはつながらない, といわざるを得ません。
また,
以上のような背景を受けて,
この先の見通しが明確に立っているわけではありませんが,
- ※
「『フェアユース』 条項を新たに導入しない限り, 著作権者の不合理な権利行使を防ぐことができない」 というのはちょっと言い過ぎで, 上に挙げたような方法 (既存規定の柔軟な解釈や明示・ 黙示の許諾の推定) に加えて, 「権利の濫用は, これを許さない」 という民法の大原則 (権利濫用法理) を使って, ユーザーが適法に利用できる領域を確保することも, 理屈の上では可能だといえます。 また,
こういう話をすると, 「裁判所は, 『(著作権者の権利行使が) 権利の濫用にあたる』 という主張を認めたがらない」 という反論がなされることが多いのですが, それは, 単にこれまでの 「権利濫用法理の適用の可否が争われた事件」 においてユーザーの利益を保護する必然性が乏しかった, というだけで, 真に不合理といえるような事件が裁判所に持ち込まれれば, 異なる判断に至る可能性は否定できないように思えます (訴える側の権利者としても, 負ける可能性が強い筋の悪い事件を安易に裁判所に持ち込むような愚は避けるのが普通ですから, 実際に判決で 『権利濫用』 という判断が下されるこは稀でしょうが・ ・ ・)。 「フェアユース」 規定には, 実務的な問題点の解消を図る, という意味合い以上に, 「著作権法はユーザーの側の利益にも配慮している」 ということを世の中に広くアピールするための象徴的な意義が強いのではないか, というのが, 最近の議論を眺める中での自分の率直な感想です。