[自転車イラスト紀行]徒然走稿

第三十六回「フランク・パターソン」

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フランク・パターソンという画家を知っていますか?

1900年頃イギリスで活躍したイラストレーターでありジャーナリストでもあった人です。

「独特な線と白と黒で世界を表現するアーチスト」⁠と画集のプロフィールを勝手に解釈して)といわれているように、ペンを使って自転車乗りと彼を囲む風景を描き続けました。

自転車のクラブに参加してすぐの頃、⁠杠さん、この人の絵知ってる?」自転車仲間が、なにかから切り抜いた1枚の絵を持ってきた。

そこに描かれていたのは、幾重にも重なったゆるやかな丘陵の稜線。そこをうねうねと続いていくウサギよけの石垣とその間の道を行く二人のサイクリスト。ペンでじっくりと描かれたその絵からは―白と黒しか使われていないのに―光や季節はもちろん、そこを流れる空気の香り、そして温度まで感じることができた。

僕があまりに感心して見いっていたので、彼はその後、カレンダーに使われていたという残りの数枚も持ってきてくれた。どの作品からも、そこに描かれた人物と同じ、光と風、熱と空気を感じることができる。

自分自身が目指している絵の世界がここにある。

悔しさと嬉しさで気持ちがクシャクシャになった。

その絵を描いた人がフランク・パターソン。

その頃、自転車(特にツーリング)にはまっている人たちの間ではすでに有名なイラストレーターだった。

何故自転車乗りにもてはやされるのかは絵を見ればわかる。彼の絵の主役は自転車であり、自転車乗りであり、彼らを囲む風景であるからだ。パターソンの絵の中では、自転車も自転車乗りも風景も、等しく主であり従である。こんな風に風景を描くことができる人は浮世絵の大家・歌川広重くらいしか知らない。

そう、パターソンと広重の描く世界からは同じ空気を感じる。

たとえば、広重の有名な連作『東海道五十三次』の中の「四日市三重川⁠⁠。強い風が吹いているのだろう、柳の木がよじれ、笠を飛ばされた旅人がそれを追っている。画面左端には道中合羽をひらめかせながら風に向かってい歩いて行く男がいる。

手元にある『パターソンブック・セカンド』⁠※コラム参照)の33ページ。

画面の奥で二本の木が右方向に大きく傾いている。木の下ではひっくり返ったマントで上半身が見えなくなったサイクリスト。画面の右には傘を飛ばされて追いかけている妙齢のご婦人。そしてセンターには風に向かってスタンディングでペダルを力強く漕いでいるロードのサイクリストがいる。

どちらの作品からも、画面の登場人物がそれぞれ別に感じている風の強さ、気温まで感じ取ることができる。

広重の「庄野白雨⁠⁠。

画面全体を細い線で表現された雨が覆う。雷鳴がとどろいているのだろうか強まっていく雨から逃れるように、画面の右と左に別れて走って行く蓑と雨傘の旅人と籠掻き。背後では雨の重みで竹が一斉に頭をたれている。

パターソンブック・セカンドの66ページと81ページ。

降りしきる雨が力強いラインで表現されている。水がたまり始めた上り坂を雨に向かって走るポンチョ姿の二人のサイクリスト。空の間から光が覗いているということは、にわかに降ってきた豪雨なのだろうか。

もう一枚は、夜の風景。黒々とした雨の中、 背後の草原に、今、稲妻が落ちる。 三台の自転車が稲妻の光に消え入りそうな電装を灯して、逃れるように画面手前へ猛烈な勢いで走ってくる。雨の冷たさ、彼らの焦る気持ち、誰もいなくなる次のシーン、そんな連想が画面の上を永遠に降り続く雨と一緒に繰り返し繰り返し流れていく。

広重そしてパターソン。

絵の中に無限の空間を創り出し、恒久の時間を魔術のように表出させる。人がいて風景があって旅―自転車―があって。そこに描かれた人々の視点で世界を眺め感じ取り、ウィットとユーモアにあふれたの優しい目で再構築できる画家がいる。

僕自分が目指している世界を、それぞれの視点で完成させている先達に出会えたことを絵描きとして本当に嬉しく思う。

自転車乗りとその風景を描くこと。

この話を始めたら長くなるのでそれは次の機会に。

秩父札所巡り その4 26番~29番

地図:国土地理院二万五千図『秩父⁠⁠、秩父札所巡りパンフ(西武鉄道)

西武秩父駅~26番札所・円融寺~27番札所・大渕寺~28番札所・橋立堂(橋立鍾乳洞⁠⁠~浦山ダム・秩父さくら湖~29番札所・長泉院~西武秩父駅

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秩父札所巡りの第四弾です。前回訪れた長尾根とは荒川を挟んで対面している山沿いを巡ります。

今回の見所は、なんといっても札所26番の奥の院・岩井堂です。

コースから外れた山の尾根に張り付くように建っているので、飛ばしてしまう巡礼の方も多いようですが、ここをはずしては山岳修験道に端を発する秩父札所巡りは語れません。短いけれど山道を歩きますから、足元はしっかりしたシューズで固めてくださいね。

さて、今回も車で秩父入りです。飯能から併走する西武秩父鉄道が「たまには輪行しろよな」と語りかけてくるような気がします。

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駅前をスタート

服装からわかるように、実走したのは昨年(2012年)の夏です。

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西武秩父駅から秩父鉄道沿いを三峯方面へ。

八幡町、から大沼町へ入るとすぐに札所26番・円融寺の参道があります。

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26番円融寺。

狩野派の画家・鳥山石燕の納めた『景清の牢破り』の額が残されているそうです。後で調べたら本堂はいつでも参拝できるとのこと。次の機会には堂の中にお邪魔して実物を拝見したいところです。

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円融寺の奥の院とされている「岩井堂」へは、昭和電工の工場敷地内を通っていきます。

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守衛さんは親切で、岩井堂までの案内図をくれました。

足もとのグリーンゾーンを行くのがルールです。

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敷地の奥に琴平神社の鳥居が建っています。

岩井堂への表参道はここを右に行きます。私たちは琴平神社経由組と参道組に別れました。いずれにしてもここに自転車を置いていった方がいいでしょう。

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森の中の急な階段を上り詰めれば、琴平神社の本堂があります。

琴平神社といえば水運の神様だと思われていますが、元々は山で製鉄を営む人々(タタラ製鉄)が信仰していた神様だそうです。尾根沿いに信仰拠点となる場ををつくったのは製鉄業とも関係の深かった山岳信仰の修験者たち。各地の琴平神社が里を見下ろす尾根につくられているのはそのためです。

結果的に海や川から目立つ存在になったので、水運に携わる人たちが自然に手を合わせるようになり、水運を守護する神様になったようです( 参考『秩父歴史散歩I~III』⁠有峰書店新社⁠⁠。暮らしのワンポイントアドバイスでした。

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本堂の裏から岩井堂への山道が繋がっています。

きっちり山道なので、靴底にビンディングが出っ張っているサイクルシューズだときついです。といっても、その靴で先ほどの急な階段を上ってこれるような人なら大丈夫かも知れませんが。

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26番奥の院・岩井堂。

一見、京都の清水寺を思わせるたたずまい。

でも、様式も規模もまったく違うもの。本堂の裏には閻魔様をお祭りした洞窟があります。

元々は立派な建物はなく、この洞窟が修験の場だったのでしょう。

洞窟とお堂の裏を抜けると岩の間に岩山のてっぺんへと続く道が穿たれていました。

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登っていくと、山頂には立派な観音様の座像があり、その先を少し下ったところに修験堂が建っています。

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ここは琴平神社の奥の院。

大天狗と小天狗の木札が納められています。説明板によれば、堂の周りを囲んでいる平均台のような⁠危険な廊下⁠を周りながら神仏にお祈りを捧げるのが修行なのだとか。

危険たって危険すぎるでしょう、これ、のったらたぶん崩れ落ちるんじゃないかなあ。

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修験道の前の大きな岩は「仏国禅師の座禅石⁠⁠。

禅師がどういう方かは存じませんが、よじ登ってみたらとても眺めがよいです。正面に長尾根が横たわっております。

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岩井堂へともどり、緑の光があふれる参道を下ります。

長い長い石段。これを登らずに済む金比羅神社経由にしてよかった。

岩井堂からは尾根沿いの琴平丘陵ハイキングコースを通って札所27番へ行くこともできます。

途中に短いながら鎖場もあるらしいので、自転車を担いでいく方は十分注意してください。

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もう一度工場を通過させてもらって、正門を出たら左へ。

すぐに27番大渕寺に着きます。

山門前に奇岩が据えてあり、なにか説明がついていた気がするのですが思い出せません。調べてみてもわかりませんでした。気になる。

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ここの時点でお昼もだいぶ過ぎており、お腹がぺこぺこです。

ネットで検索した近所にある古民家レストラン・シャンドフルールへ行ってみることにしました。

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素敵なお店なのに残念ながら「本日はご予約のお客様のみの営業となっております」の看板

知らなかったのですが、⁠本日」だけではなく、常に完全予約制のお店なんですと。おまけに小学生以下はお断りなので、いずれにしろ今回のメンバーでは入店できませんでした。

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なので、国道沿いのざっかけないおそば屋さんでお昼です。リーズナブルでどっしりとした味付け。自転車ツーリングのお昼はこうでなくてはいけません。

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秩父鉄道沿いに戻る途中で見つけた「いまい⁠⁠。⁠B級グルメ・みそポテト・今井屋」の看板が気にかかり、お腹がくちいのにもかかわらず200円でみそポテトを購入。

きさくなおばちゃん「売れ残っても仕方ねえから焼きそばも持ってけ」と、200円で売っている大盛りの焼きそばをおまけにつけてくれました。次回は迷わず「いまい」で昼食です!

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「江戸巡礼道」の看板に従って秩父鉄道沿いの道を走ります。

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鉄橋で線路を越して、車の入ってこない砂利道に出ました。短いけれど、気持ちのいい道です。

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28番橋立堂

お堂の背後の岸壁が大迫力です。

岩盤の下は鍾乳洞になっていて、そこが奥の院。規模は小さいけれど、見応えのある鍾乳洞です。狭くて低いので、頭上要注意。

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境内にあるおしゃれな茶店虹がかかるの Very tasty & natural flavor cafe⁠覚えられません)で一服。かき氷にアイスコーヒーをかけて飲む「淡雪コーヒー」や種類の豊富なかき氷とアイスクリームが名物です。

お隣の渋い茶屋も捨てがたいです。あっちでソバを食べて、こちらでデザートというコースもいいですねえ。

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29番へ行く前に、浦山ダム・秩父さくら湖へ寄ってみることにしました。

エッチラオッチラ坂を登って、ダムの堰堤に出ました。切り立った谷の間から秩父の町が見えています。

堰堤からダムの下までエレベーターで降りることができます。内部にはダムの構造や、ダムができる前の風景写真が展示されいます。

このダムができる前、ダムの底に沈んでしまった道を通って名栗まで抜けたことを思い出しました。

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そして見つけてしまったこの階段。堰堤てっぺんまでの標高差約125m。

見つけてしまったからには昇らなくてはなりません。

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……昇りました。今日、一番疲れる登りでした。

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苦労して昇ったダムから一気にくだって……

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29番長泉院。

ここには葛飾北斎筆の桜を描いた額が納められています。普段は未公開。12年に一度、午年行われる「秩父札所総開帳」の時には一般公開するようです。

平成20年に6年ごとの「中開帳」が行われているようです。次は…おお! 来年が「総開帳」の年ではないですか!! これは、来年また1番からやり直さないといけないかな?

本日は29番を打って[1]おしまい。

残すところ5つですが、ここからは本格的に山の中。しかも札所間の距離も延びていきます。

さてさて、今年中に結願できますかどうか。

道中で出会ったあれこれ

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26番円融寺の山門前に安置してあるお地蔵様。

大事にされているのが一目でわかります。そのせいか、とても穏やかなお顔をしているのです。

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琴平神社の境内には土俵がありました。きちんと整備されているということは、定期的に奉納相撲が行われているのでしょうね。

うちの近所の神社にも土俵が2つもあるのですが、ひびだらけで、なんとも気の毒な限り。人口はここより多いのに伝統行事を継続できない我が町の文化レベルの低さを感じます。

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琴平神社・奥の院 修験堂の「危険な廊下⁠⁠。ね、危険でしょう?

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岩井堂への参道入口には太子堂が建っていて、二宮金次郎も勉強中。

昔は寺子屋として使われいたのかも知れません。

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その脇にあった石灯籠。

今回はたくさんの石灯籠に出会いました。これがその中でも一番の美しさです。

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27番山門前の奇岩。

何とも言えないこのフォルム。

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今井屋で買った「みそポテト」とおまけの「焼きそば⁠⁠。西武秩父駅に戻って美味しくいただきました。

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