だれも教えてくれなかったコンテンツビジネス儲けのしくみ

第3回 B2Bのニッチコンテンツビジネスのチャンス 最強のグラフ

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「広報担当者向けの専門情報サービス」という構想

米田の提案した新事業とは,広報担当者向けの専門情報サービスだった。インターネットによって,広告の世界はがらりと変わった。広報の世界は,それ以上に激変している。だが,日本の広報で主流を占めるのは,上場に伴うコンプライアンス中心の広報か,インターネット上でのニュースリリース配信代行サービスだ。パブリシティの専門業者もあるが,規模も従業員数もたいしたことはない。前者は高付加価値(おもに金額面のみで)だが,米田の目には広報効果はほとんどないようにしか見えなかった。後者は安価で手軽だが,やはり効果が薄い。大量の告知にまぎれてしまう。どちらも不十分だ。⁠インターネットを活用した,新しい広報の方法論を紹介するサービスが求められている」という気がしていた。日本では未開拓の市場である「広報」を狙えば,先行者利益もあり,有望だ。

⁠話し合い」の翌日,米田は経理担当の鳴瀬匡(なるせ ただし)を昼食に誘った。メデューサデザインの間接部門には,経理担当の鳴瀬と,総務担当の佐々木という女性が机を並べて仕事をしている。鳴瀬は,40がらみの髭をたくわえた渋い男で,いつもパソコンに貼り付いて一心不乱に操作している。その日も,パソコンの画面をなめるようにじっと見つめて,何事かやっていた。

米田が声をかけると,ぱっと顔を上げ,⁠お昼ですか? 大丈夫ですけど,なんでですか?」と不思議そうな顔をした。経理の鳴瀬とは,領収書や仮払い申請などの手続きでやりとりしているが,親しく話をしたことはない。驚くのも当然だ。2人は,連れだって近所の蕎麦屋に向かった。蕎麦が出てくるまで時間がかかり,社員はあまり来ないので,こういう時にはうってつけだ。

米田はキャッシュフローと先行投資の話を,鳴瀬にしてみた。会社の状態を経理担当である鳴瀬からも訊いてみたかったのだ。最初はとまどっていたものの,もともと人なつっこい性格の鳴瀬は,米田の話に応じて会社のことを教えてくれた。

⁠数字だけで言えば,社長のおっしゃってることは合ってます。ただ,入金が確定しているものも少なくないわけで,そこまで手堅くしないでもいいとは思います。僕は米田さんの意見に賛成です」⁠

鳴瀬は,ひとりでうなずきながら茶をすすった。

⁠経営者って,社長のように手堅い人が多いんですか?」⁠

⁠いえ,みんなもっとお金使いますね。借金して投資するのも普通でしょ」⁠

⁠そうなんだ。じゃあ,社長はかなり固いんですね」⁠

⁠無借金経営を通して,さらに手堅く締めてます。まあ,安心して見ていられるんですけどね。それに僕なみに会社の数字を把握してるんで,意思疎通も楽です」⁠

⁠なるほどねえ」⁠

米田が運ばれてきた蕎麦をたぐり出した時,

⁠まあ,会社の数字を社長がこまごま把握してるってのは,善し悪しですけどね」⁠

鳴瀬がふっともらした。

⁠え? それってどういうこと?」⁠

⁠あ,いや,なんでもないです。聞き流してください」⁠

鳴瀬は,あわててそう言うと,蕎麦を頬張った。

自分でやればいい

米田は投資と事業について考え続けた。アメリカ企業のような投資先行型は好ましくないような気がするが,かといって,佐久間のように頑なに投資を拒むのもまた違うような気がした。卓抜した先見性を持つ佐久間が,ずっと中堅に甘んじている理由はそこにあるような気がした。佐久間に少しだけ先行投資の度量があれば,すごいことができる。米田はそう感じた。

だが,同時に佐久間は今のスタイルを変えることはないだろうとも思う。歯がゆさを感じた時,⁠ならば,自分でやればいいんじゃないのか?」という思いが浮かんで来た。すぐに否定したものの,独立して自分の会社を興すことの魅力から,米田はその考えにとらわれてしまった。自分の会社なら,自分が思ったように事業も投資もできる。自分に佐久間ほどの能力があるとは思えないが,やるなら失敗してもやり直しのきく今のうちに,という気がしてきた。もともと佐久間の会社に入社したのも,ノウハウを学び,人脈を広げ,いつか独立したいと思っていたからだ。もしかすると,そろそろ具体的に行動に移すべき時なのかもしれない。

思い立つと,いても立ってもいられなくなってきた。⁠今が起業の時なのかもしれない」という思いが強くなる。今の仕事をしながら起業準備を進めるのは難しい。退職してゼロから会社を作ろう。

⁠話し合い」の日から1カ月も経たないうちに,米田の心は起業に大きく傾いていた。ある日,米田は社長室の扉を叩いた。

⁠辞めちゃうんだ」⁠

退職願いを手渡すと,佐久間はあっけらかんとつぶやいた。普段からあまり感情を見せない佐久間だが,それにしても驚くほどの無反応だった。まるで予想していたかのようだ。

⁠はい。外の世界で自分の力を試してみたくなりまして……」⁠

そう言うと,佐久間は机に頬杖をつき,上目使いで米田を見た。

⁠こういうのって,正直言うと,すごく困るのよね」⁠

⁠え?」⁠

⁠米田さんには,目をかけていろいろ教えてあげたのに,その成果が売上につながる前に辞めちゃうわけでしょ。見えない教育コストって,地味に経営を圧迫するんだから」⁠

⁠申し訳ありません」⁠

⁠もしかして,自分で会社を作ろうとか思ってない? だったらそう言ってよ」⁠

すっと佐久間の目が細くなった。隠せないと,米田は観念する。

⁠……なぜわかるんですか?」⁠

⁠いや,君は正直だから,他社に移るなら,ちゃんとそう言う。仕事の当てもなく辞めるほど無茶でもないし,急いで辞める必要があるわけでもなさそう。となると,残る可能性は1つ。自分でなにか始める……だよね?」⁠

⁠社長には隠せませんね。そうです。黙っていてすみません。でも,本当のところ,なにをいつから始めるか決めていないんです」⁠

⁠若いっていいわね。あたしには,そんなことできない」⁠

⁠恐縮です」⁠

⁠褒め言葉じゃない。勘違いしないでね」⁠

そう言うと,佐久間は立ち上がり,右手を差し出した。米田は一瞬なんのことかわからずに,佐久間の右手を見た。細い指がきれいに並んだ華奢な手だった。長年にわたりコンテンツサービス企業を率いてきた,名物経営者の手とは思えない。

⁠この会社を出たら,君とあたしは起業家として同等ってこと。あらためてよろしくね。いつでも相談に来ていいよ」⁠

佐久間の言葉で米田は,ようやく意図を理解した。自分も右手を差し出し,固く握手した。その時,これでもう後には引けなくなったな,という思いが頭をよぎった。ふと不安が頭をもたげてくる。これからは,すべての責任を1人で背負わなければならないのだ。

著者プロフィール

一田和樹(いちだかずき)

11月6日東京生まれ。バンクーバー在住。

シンクタンクにてIT関連市場調査,製品開発を担当,独立後,インターネットプロバイダなどIT企業の役員,社長を歴任。人材育成にも長け,社長を務めた会社の社員の半数が起業した。

2010年島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞。サイバーセキュリティミステリを中心に執筆,その他,ファンタジーやマンガ原作などもこなす。筆が速いことと,多彩な芸域が特徴。

@K_Ichida

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