『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』準備室!

第9話 『Spaceballs』 “平坦主義者”はサイバーアナーキスト。“人は罪なくして 親たりえない”

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早朝の社長室。まだ社長は来ていない。今,社長の椅子に腰掛けているのは専務の宮内だ。かっちりしたスーツで武装している。

  • 「好き勝手やっているそうだな」

和田は,じっと宮内の顔を見つめた。宮内の表情から特別な感情は読み取れない。

  • 「そうしろというのが,ご指示でしたので」

少し間をおいてから,罪の意識などなくてあたりまえという無垢な口調で,和田は答えた。

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  • 「その通りだ。まったく問題ない。水野がクレームを送ってきたが,オレが握りつぶした。お前がプロジェクトを私物化しているんだとさ」

  • 「はい。私物化しております。民間企業に勤務するということは,他人に自分の人生を切り売りすることです。私物化されるのはあたりまえ。水野さんは,資本主義を理解していないようですね」

  • 「まあ,いい。で,用件はなんだ?」

  • 「篠田宰が平坦主義者と判明しましたので,いちおうご報告しておこうと思いました」

和田の言葉を聞いた宮内の目が,すっと細くなった。

  • 「……本物か?」

  • 「本物と書いてガチです」

  • 「どのオペレーションに関わったんだ?」

  • 「そこまでは,わかりません」

  • 「平坦主義者は,サイバーアナーキストだ。連中は破壊しかしない。その挙げ句に “人は 罪なくして 親たりえない⁠だと? わけがわからない。とにかく手当たり次第に破壊する。しかも少数精鋭で腕がいいときてるからたちが悪い」

宮内は肩をすくめた。このオヤジにはアメリカン・ジェスチャーは似合わない,と和田は思った。

  • 「アノニマスやラルズセックのようなものですか?」

  • 「まったく違う。とくに日本ではな。日本のアノニマスは,掃除とデモしかしないだろ。それに参加者は全員特定されてる」

  • 「ほんとですか?」

和田は,いささか驚いた。クラッキングしないアノニマスなんて,クリープを入れないコーヒーだ。とんだ『ニセモノ注意報』だ。それに全員特定されているとは,どういう意味なんだろう。

  • 「ああ,総務にいる公安OBのおっさんが,リストを見せてくれた。うちの社内にもアノニマスはいる。毎週秋葉原で掃除して,メイド喫茶寄ってからエロゲとフィギュアを買い込んでくるんだ。ばれてるなんて本人は知らないだろうけどな」

  • 「……今のはアノニマスと⁠大きなお友達⁠を不当におとしめる危険発言ですね。録音してネットに流したら大炎上しますよ」

  • 「平坦主義の実態は,ほとんどわかっていない。篠田がメンバーだと公安に教えれば大喜びで飛んでくるだろう。公安に恩を売っておくのも悪くない」

和田の指摘を宮内はスルーした。

  • 「宮内専務は,密告する薄汚い犬になるんですね」

和田はそう言うと,宮内の目をのぞき込んだ。目に力を込める。

  • 「……いや,もう少し状況がわかるまでは泳がせておこう」

宮内は,すっと目をそらした。それから立ち上がり,窓の外に目を向けた。あいにく曇天でなにも見えない。

  • 「オレの父親は,トンデモ陰謀論の信者だった。母親は某宗教の秘密幹部だ。互いに素性を隠したまま結婚し,死ぬまで隠し続けた」

  • 「じゃあ,なぜ宮内さんは知っているんでしょう?」

  • 「ふたりとも息子であるオレにだけ真実を話し,それぞれ英才教育を施したんだ。人たらしと呼ばれる口のうまさと,ウソをついても心が痛まない良心回路のバグは母親仕込みだ。他人の論理の瑕疵を見つけるのがうまいのは父親譲りだ」

なるほど,と和田は納得した。宮内の技能のバックグランドを垣間見た。人に歴史あり,宮内にトンデモ両親あり。

当時を思い出したのか,宮内の表情が曇った。ふたりの間の空気がどんよりとよどむ。

  • 「愉快なご家族だったんですね」

気分を変えようと和田が言うと,宮内の頬が赤く染まった。逆効果だったらしい。

  • 「お前な……いやいい,お前にまっとうな話は通じない。それがわかってるから,今回の仕事に抜擢したんだ。やむを得ない」

  • 「あたし,なにか間違えましたか?」

  • 「まあいい。篠田には注意してくれ」

  • 「はい」

  • 「他になにか気になる動きはあったか?」

  • 「倉橋と水野がつきあう兆しがあります」

  • 「……なにか問題あるのか?」

  • 「不愉快です」

  • 「私物化していると言われるも当然だな。間違っても,そんなことオレ以外の人間の前で言うなよ」

宮内は苦笑した。

和田が準備室に戻ると,倉橋歪莉が,机を磨いていた。年季の入ったぞうきんで,木目調のプリントがはげるほどに何度も繰り返し吹いている。なにげに壁の時計に目をやると,まだ始業30分前。歪莉の不幸が好物の和田も近づくのをためらうほどのダークネガティブオーラ。

  • 「声が聞こえるんです。机が汚いからふけって命令するんです」

和田が歪莉の横を抜けて自席に着くと,歪莉が机を磨きながらつぶやいた。

  • 「……机を磨くと声が止むんですか? そもそもなにも聞こえませんけど」

  • 「わかってます。私にだけ聞こえるんです。おかしいでしょう?」

そこで歪莉は,手を止め,両手で顔を覆ってすすり泣き始めた。ぞうきんを持っていた手で顔を覆うとバイキンがつくのではないかと和田は思ったが,それどころではなさそうだ。

  • 「水野さんとなにかあったんですね」

和田はなぐさめるつもりで,カウンターブローを繰り出していた。歪莉は,ううぅと地獄の底から湧いてくる様なうめき声をあげ,机につっぷした。

  • 「私が魚を食べるから生臭いって……だから石鹸を食べろって言うんです。それも電磁波で消毒した石鹸でないといけないんです」

  • 「水野さんは,そんなに独創的なことを言わないと思いますよ。彼は凡庸な人間です」

  • 「でも,確かに言ったんです」

歪莉は,しゃくり上げながら答えた。きょうじんと小人は養いがたしとはよく言ったものだ。歪莉と赤星満さんが並んでピースサインをしている姿が頭に浮かぶ。和田は嘆息し,無視を決め込んだ。歪莉は,ぐすぐす泣き続ける。壁掛け時計は無慈悲に時を刻み,次々と室員が入ってきた。みな,一度歪莉の泣き姿に目を留め,それからすぐになかったことにして自席に着く。さすがに水野だけは,顔色が変わった。

  • 「水野さん,倉橋さんに電磁波で消毒した石鹸を食べる変態プレイを強制したと聞きました。事実でしょうか?」

和田が青い顔の水野に尋ねた。

  • 「なっ,なにをおっしゃいます。この僕が女性にそんなことをするはずないでしょう」

水野は,大げさに驚いてみせた。

  • 「すみません。取り乱しました。もう大丈夫です」

水野の声を耳にした歪莉は,泣き濡れた顔を上げた。けなげな女を演じるつもりらしい。しゃらくさいと和田は顔をしかめる。

  • 「石鹸の件は,妄想だったんですね」

  • 「……私もそう思っていたところです。私ったら,また勘違いしちゃった。あはははは」

  • 歪莉の笑いが痛いことは珍しくないが,今日は特に痛い。親指のささくれを強引にむいたような,やってしまった感満載。あとに尾を引く心の痛み。
  • 「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

歪莉の乾いた笑い声は,東欧の森に響く呪いの呼び声のようにオフィスに響き渡った。室員は,みな聞こえないふりをして黙って仕事を始めた。やがて歪莉は過呼吸で倒れ,水野にお姫様だっこされて出て行った。それを見た和田は,いささか不愉快な気分になった。

気がつくと,舞夢が和田のうしろで空中浮遊する鞄のパントマイムをしていた。和田はそれを目の端でぼんやりとながめ,いつかやってくるという南関東直下地震に思いをはせた。その頃,自分はなにをしているのだろう?

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和田安里香(わだありか)
網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳,身長162センチ,体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし,カンもいいが,どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので,自分の趣味のプロジェクトを開始した。

倉橋歪莉(くらはしわいり)
法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが,人から嫌われることを極端に恐れており,誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが,フラストレーションがたまりすぎると,爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです」⁠

水野ヒロ(みずのひろ)
網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳,身長178センチ,体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない,優等生人生を送ってきた。だが,最近自分の人生に疑問を持つようになり,奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に「そんなことは誰でも思いつきますけどね」などと口走るようになり,打ち合わせに出席できなくなった。

内山計算(うちやまけいさん)
網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳,身長167センチ,体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で,なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。

篠田宰(しのだつかさ)
実例担当
年齢44歳,身長165センチ,体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
社長室。影が非常に薄く,やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。

著者プロフィール

一田和樹(いちだかずき)

11月6日東京生まれ。バンクーバー在住。

シンクタンクにてIT関連市場調査,製品開発を担当,独立後,インターネットプロバイダなどIT企業の役員,社長を歴任。人材育成にも長け,社長を務めた会社の社員の半数が起業した。

2010年島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞。サイバーセキュリティミステリを中心に執筆,その他,ファンタジーやマンガ原作などもこなす。筆が速いことと,多彩な芸域が特徴。

@K_Ichida

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