『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』準備室!

第28話 『プレスリーVSミイラ男』イカ煎餅シャムシエルが「えすくれめんとぉぉぉ」叫んで現象学少女をぼこ殴りするリョナ展開に妖精事務員たみこは敗退し、世界は「ザ・ブック」回収される

  • 「ご説明しましょう。倉橋さんは現象学少女あるいは妖精事務員たみことなって被験者の精神世界にダイブしています。精神世界を保護していたATフィールドを無効化し、相互主観性を破壊しています。そこにあるのは、素の被験者の世界です。モンスターとして倉橋さんの前に現れたのは、被験者が認識しているビジネスという概念。化け物になってしまったのは、相互主観性が破壊されているため、共通の相貌認識が不能なためでしょう」

内山がずらりと並んだ計器を背に解説を始めた。その場の誰も理解することができないことを得意げに語る姿は、マッドサイエンティストの貫禄にあふれている。

  • 「相互主観性がないということは、倉橋さんと被験者はエスノメソドロジー的実験の一環として、バトルを始めようとしているのか?」

眉を顰めた顔で篠田が、つぶやく。篠田は少しは理解しているようだ。少年時代に資本論を枕がわりにしていただけのことはある。

  • 「その通りです。互いに理解できない存在同士が対峙すれば、戦いは避けられません。倉橋さんがその戦いに勝てば、彼女なりに被験者のビジネス世界を解釈することが可能になります」

背中をそらして内山が答えると、その拍子にでっぱった腹がぷるんと揺れた。

  • 「もし負けたら?」

水野が心配そうな声を出す。

ホログラフではビオランテの如く不定形かつ適当な造形のモンスターが、妖精事務員たみこに襲いかかっている。モンスターから無数の触手が、たみこに伸びる。たみこは、巧みに触手を避け、手にした大根で切り落とす。だが、触手は次々と生えてきて、切りがない。

  • 「まどマギみたい」

堕姫縷がつぶやくと、

  • 「イカ煎餅みたいな造形は、むしろシャムシエルでしょう」

和田が返した。横の篠田は、なにを言ってるのかわからないという目でふたりを見る。

永遠に続きそうなモンスターの触手攻撃にも終わりがきた。たみこの一瞬の隙をついて、モンスターの触手がその足首をとらえたのだ。

  • 「あっ」

たみこは、小さな叫び声をあげて大地に倒れた。次々と触手が襲いかかり、たみこの身体の自由を奪う。

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  • 「えすくれめんとぉぉぉ」

どこに口があるかわからないが、イカ煎餅の怪物が低い奇声を発した。胴体の中央からぶっとい腕が生え、その先端に巨大な握り拳が形作られる。

  • 「えすくれめんとぉぉぉ」

モンスターは再び咆哮し、触手に押さえつけられて身動きのとれないたみこの腹部にパンチをたたき込んだ。ゴスロリの服の真ん中が、ぼこりとへこむ。たみこの顔が苦悶に歪み、身体がのけぞる。

  • 「やめろ! やめさせてくれ! 本当に大丈夫なのか?」

水野が悲鳴をあげて、白衣の内山の胸ぐらをつかんだ。

  • 「あれはあくまで心象風景あるいは夢のようなもの。心配にはおよびません」

内山は冷ややかに答えたが、ホログラフではたみこがぼこ殴りされていた。腹といわず、顔面といわず、手当たり次第に巨大な拳をたたき込む。

  • 「大漁だあぁぁぁぁぁぁ」

モンスターが叫び、たみこを乱打する。ゴスロリの服がちぎれ、幼い肌が露出する。たみこは口から血を吐き、全身を苦痛に震わせた。

  • 「なんですか、このリョナ展開は?」

あきれ顔の和田は内山をにらんだが、まったく意に介さないようだ。

  • 「そんなことよりも、負けたらどうなるんだ? 答えろ! 内山!」
  • 水野が甲高い声で内山に怒鳴る。そこにいた誰もが、負ければリアルでも死ぬ、といった回答を予想した。ありがちなヴァーチャル展開。

    • 「負ければ、被験者の世界観で倉橋さんのビジネス世界が解釈されます。果たしてそれが我々にとって解読可能かどうかは見てみないとわかりません」

    内山は平然と全員の予想を裏切る答えを口にした。

    • 「ききたいのは、そこじゃない。彼女の身に危険はないのか?」
    • 「すでに説明した通り、彼女はこれ以上悪くなりようがありません。同じことは被験者や我々にも言えます。エスノメソドロジー的実験バトルで負けても状態は悪化しません。すでに正常との境界線ぎりぎりですからね」

    内山の言葉に全員が、⁠自分だけは違うはずだ」という表情を浮かべたが、あえて言葉には出さなかった。

    • 「……僕だけは違いますけど」

    内山が小さな声で漏らすと、全員が一斉に、⁠お前が言うな!」と突っ込んだが、内山にはきかない。

    • 「なんの成果もあげられませんでしたぁ」

    歪莉が目覚め、大声で叫ぶと号泣した。拘束衣をつけているため、涙をぬぐうこともできず、ただ泣きじゃくる。

    • 「精神が不安定のようですね。いつも通りとも言えますが」

    内山の冷静なノリツッコミに、一同うなずく。

    • 「もういいでしょう。外しますよ」

    水野は歪莉に駆け寄ると、拘束衣を外し始めた。

    • 「水野さん……ありがとうございます」

    感激した歪莉が嗚咽を漏らしながら礼を言い、水野の胸に顔をうずめる。

    ホログラフは花畑から一転して荒廃した都市の風景に変わっていた。イカ煎餅のモンスターは、ひとりの老人に変身する。

    • 「被験者の世界観で、世界が解釈しなおされています」

    老人は一冊の本を大地に置く。

    • 「ザ・ブックです。あそこに、彼の世界が凝縮されています」

    内山はそう言うと、タブレットを手に取り操作した。計器のランプが激しく瞬き、ホログラフがかき消えた。

    • 「世界を回収しました」

    内山の言葉を耳にした和田は、⁠世界を回収した」とはなんという言いぐさだろうと思い、その一方ですでに自分たちはうすっぺらいデジタルに回収できる世界の住人に成り下がっているのだなという思いに至る。

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    • 『プレスリーVSミイラ男』
    • ビオランテ
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    • 資本論
    • シャムシエル
    • えすくれめんとぉぉぉ
    • リョナ
    • なんの成果もあげられませんでしたぁ
    和田安里香(わだありか)
    網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
    年齢26歳、身長162センチ、体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
    社長室。頭はきれるし、カンもいいが、どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので、自分の趣味のプロジェクトを開始した。
    倉橋歪莉(くらはしわいり)
    法則担当
    広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが、人から嫌われることを極端に恐れており、誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが、フラストレーションがたまりすぎると、爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
    口癖は「私もそう思ってたところなんです⁠⁠。
    水野ヒロ(みずのひろ)
    網界辞典準備室 寓話担当
    年齢28歳、身長178センチ、体重65キロ。イケメン。
    受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない、優等生人生を送ってきた。だが、最近自分の人生に疑問を持つようになり、奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に「そんなことは誰でも思いつきますけどね」などと口走るようになり、打ち合わせに出席できなくなった。
    内山計算(うちやまけいさん)
    網界辞典準備室 処理系担当
    年齢32歳、身長167センチ、体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
    ブログ事業部の異端児で、なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
    コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。
    篠田宰(しのだつかさ)
    実例担当
    年齢44歳、身長165センチ、体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
    社長室。影が非常に薄く、やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。
    古里舞夢(ふるさとまいむ)
    年齢36歳。身長165センチ、体重80キロ。
    受託開発部のエンジニア。極端な無口で人見知り。
    和田のファン。何かというと和田に近づき、パントマイムを始める。どうやら彼なりの好意の表現らしいが、和田を含め周囲の全員がどんな反応をすべきかわからなくなる。
    綴喜堕姫縷(つづきだきる)
    容姿は女性、性別は男性。身長172センチ、体重52キロ。
    年齢不詳。カナダ、UBC大学卒業。文化人類学専攻。英語とロシア語が堪能。宮内専務の秘書。その前は、バンクーバー支店長の秘書をしていた。
    妖艶な美女。独特の雰囲気で見る者を魅了する。サブカル、特に昔のマンガにくわしい。バンクーバー支店で採用したため、本社には詳細な人事情報がない。

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