『電網恢々疎にして漏らさず網界辞典』準備室!

第43話 『ブレードランナー』ドキュメントはネクロノミコンとなり,会社はインスマスと化し,ワインバーグの子供が産まれる。最終回&勝手アンケート

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歪莉は堕姫縷が同人誌で培った技術でまとめ上げた『網界辞典アルファV1.04b』に目を通した。まとめたといっても,各室員が歪莉と戦った結果生み出された用語解説をひとつの冊子にまとめただけだ。

目次はもっとらしくできているが,中身は各人の頭の中を反映してバラバラだ。歪莉は理解しようと何度も読んでみたが,ただ疲れただけだった。個々の節に書いてあることはわかるのだが,複数の節を読むとなにが書いてあるのかわからなくなる。

『ドグラマグラ』のごとき辞典だ。繰り返し読むと発狂するに違いない。歪莉は確信した。そもそもこの会社には,システム関連ドキュメントを読んだために狂気の縁をさまようことになった犠牲者がたくさんいる。ローカルな言語の仕様書を読んだ多くのコーダーは気が触れたと言われており,最近ではフレームワークなどというさらにやっかいなものもあるので,ますますシステム関連ドキュメントのネクロノミコン化は進むいっぽうである。

歪莉は3月92日の納期に間に合わせるためにかり出されてドキュメントに接した時のことを思い出して身震いした。3月92日などという日付からして狂っていると思ったのだが,そんなことは言えない雰囲気だった。

受託開発の部署に一歩入っただけで帰りたくなった。緊張と不安が極限に達した人間の集団が醸し出す独特のオーラがたちこめ,寝袋で睡眠を貪るゾンビのような社員が床に並ぶ。空気がどんよりしており,カップラーメンの香りが漂う。男も女も死んだ魚の目をしており,インスマスの街が現代日本に現れたかのようだ。

書類とカップ麺の容器の散乱するオフィスを横切ると,悪夢にうなされた社員のうめき声が邪神を称える詠唱のように聞こえて,狂気の山脈に迷い込んだような錯覚に陥る。

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ドキュメント整理を手伝っていただきたいと説明を始めた担当者の口調はていねいだったが,すでにろれつが回らなくなっており,⁠リポジトリ」と言おうとして10回も舌を噛んだ。唇の端から会議室のテーブルに血が滴り,コピーしたばかりの真っ白なドキュメントを赤く染める。⁠あ,失礼」それに気づいた担当者は,手で血をぬぐい,ひきつった愛想笑いを歪莉に向けたが,口の中が真っ赤でこの世の終わりを連想させた。歪莉は『子宮破壊17』でスタジオから逃げ出して助けを求めた某女優を思い出した。逃げなければいけないと思いながらも,いつものくせで愛想笑いを返し,ネクロノミコンを手にしてしまった。

しかし案ずるには及ばなかった。校正を依頼されたドキュメントには全300ページにわたって,⁠リポジトリ」という文字が印刷されていただけだった。歪莉は翌日になって,担当者が医療保護入院したことを知った。

プレゼンを考えなければならないのに辞典が狂気の発火点にしか見えない。気がつくと,ワインバーグの『ライト,ついてますか』を読んでいる自分がいる。いまどきはシステム関係者だってワインバーグを知らない者の方が多い。この本は古里舞夢がパントマイムをしながら,室員に配っていったものだ。好きな女性の前でパントマイムしかできないなんて,彼もまたネクロノミコンの餌食になったのだろうか? と歪莉は宇宙の暗黒に思いをはせた。

コンピュータやネットワークは狂気を蓄積し拡散する媒体なのだ,と歪莉は確信した。網界辞典は,その狂気に対抗する祈りのようなものでなければならない。株主総会にやってくる連中の目を覚ましてやらねばならない。

歪莉の中に闘志がみなぎってきた。勇気と決意をのせた血流がだくだくと音をたてて全身を回る。⁠たったひとつの命を捨てて 生まれ変わった不死身の身体 鉄の悪魔を叩いて砕く キャシャーンがやらねば誰がやる! 」というセリフが,頭の中にぐわんぐわんと響きわたる。

サイバー空間で⁠意味⁠の再構築が必要なのだ。そのための『網界辞典』だ。今でなければならない。今できなければ致命的な喪失と別離を引き起こす。突然舞い降りた使命感に歪莉の全身が震えた。

死人のように横たわっていたベッドから跳ね起きて,カーテンを引くとちょうど朝焼けだった。

朝焼けの街に擬人化した,萌え萌え美少女の株主総会が降り立った。歪莉は,美少女戦士『株主総会』の尻から手を突っ込んで奥歯をガタガタいわせる自分を妄想した。

とりあえず 了

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足かけ3年におよんだこの連載も今回をもってお休みとなります。ほとんどの雑誌の休刊が廃刊を意味しているように,本連載も休みといいつつ復活はしないでしょう。編集部も読者のみなさんもよくぞここまでおつきあいくださったと思います。感謝の言葉もありません。

きれいな区切りもつけずに放り投げて終わりというのが,このお話にはふさわしいと思ったのでぶん投げました。すみません。

さよならだけが人生さ

月日は百代の過客にして,行かふ年も又旅人也

またどこかでお会いできることを楽しみにしております。

『網界辞典 終わっちゃったよアンケート』を実施しております。我こそは網界辞典愛読者を自認する方は,ふるってご参加ください。人気キャラ投票や再開への熱い意見の記入など楽しい内容となっております。いただいた意見は,編集部に送りますので,くれぐれも個人を特定できるような情報は書かないでください。

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和田安里香(わだありか)
網界辞典準備室長代行 ネット系不思議ちゃん
年齢26歳,身長162センチ,体重46キロ。グラマー眼鏡美人。
社長室。頭はきれるし,カンもいいが,どこかが天然。宮内から好き勝手にやっていいと言われたので,自分の趣味のプロジェクトを開始した。

倉橋歪莉(くらはしわいり)
法則担当
広報室。表向き人当たりがよく愛されるキャラクターだが,人から嫌われることを極端に恐れており,誰かが自分の悪口を言っていないか常に気にしている。だが,フラストレーションがたまりすぎると,爆発暴走し呪いの言葉をかくつらねた文書を社内掲示板やブログにアップする。最近では『裸の王様成田くん繁盛記』というでっちあげの告発文書を顔見知りの雑誌記者に送りつける問題を起こした。
口癖は「私もそう思ってたところなんです」⁠

水野ヒロ(みずのひろ)
網界辞典準備室 寓話担当
年齢28歳,身長178センチ,体重65キロ。イケメン。
受託開発部のシステムエンジニアだった。子供の頃からあたりさわりのない,優等生人生を送ってきた。だが,最近自分の人生に疑問を持つようになり,奇妙な言動が目立つようになってきた。優等生的な回答を話した後に「そんなことは誰でも思いつきますけどね」などと口走るようになり,打ち合わせに出席できなくなった。

内山計算(うちやまけいさん)
網界辞典準備室 処理系担当
年齢32歳,身長167センチ,体重73キロ。大福のように白いもち肌が特徴。
ブログ事業部の異端児で,なにかというと新しい言語を開発しようとするので扱いに困っていたのを宮内が連れてきた。
コンピュータ言語オタク。趣味は新しい言語のインタプリタ開発。

篠田宰(しのだつかさ)
実例担当
年齢44歳,身長165センチ,体重48キロ。薄い毛髪が悲哀を感じさせる。
社長室。影が非常に薄く,やる気もない。幽霊のよう人物。ただし脅威の記憶力を持っている。温泉とコーヒーに異常な執着がある。

古里舞夢(ふるさとまいむ)
年齢36歳。身長165センチ,体重80キロ。
受託開発部のエンジニア。極端な無口で人見知り。
和田のファン。何かというと和田に近づき,パントマイムを始める。どうやら彼なりの好意の表現らしいが,和田を含め周囲の全員がどんな反応をすべきかわからなくなる。

綴喜堕姫縷(つづきだきる)
容姿は女性,性別は男性。身長172センチ,体重52キロ。
年齢不詳。カナダ,UBC大学卒業。文化人類学専攻。英語とロシア語が堪能。宮内専務の秘書。その前は,バンクーバー支店長の秘書をしていた。
妖艶な美女。独特の雰囲気で見る者を魅了する。サブカル,特に昔のマンガにくわしい。バンクーバー支店で採用したため,本社には詳細な人事情報がない。

著者プロフィール

一田和樹(いちだかずき)

11月6日東京生まれ。バンクーバー在住。

シンクタンクにてIT関連市場調査,製品開発を担当,独立後,インターネットプロバイダなどIT企業の役員,社長を歴任。人材育成にも長け,社長を務めた会社の社員の半数が起業した。

2010年島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞。サイバーセキュリティミステリを中心に執筆,その他,ファンタジーやマンガ原作などもこなす。筆が速いことと,多彩な芸域が特徴。

@K_Ichida

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