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第13回 世界有数のデータプラットフォームを作っていく ―Arm傘下に入ったTreasure Dataがめざすあらたな"ノーススター"

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“デジタルマーケティングはTreasure Dataの「ノーススター」ではない”

パテル氏の言葉にある通り,Treasure Dataはグローバルで300社を超える顧客企業を抱えており,今回行われた会見にもジョンソン・エンド・ジョンソン,SUBARU,ソニーマーケティングといった同社の顧客がゲストとして登壇し,エンドースメントを寄せています。またArmの親会社であるソフトバンクは買収の3カ月前となる2018年5月,Treasure Dataとのデジタルマーケティングにおけるパートナーシップを発表していましたが,今回の買収についてソフトバンク 代表取締役 社長執行役員兼CEO 宮内謙氏は「Treasure Dataがソフトバンクグループの一員になってくれてこんなにうれしいことはない。あらゆる分野で今後,IoTが一気に加速していく中で,デバイス,コネクティビティ,データをエンドツーエンドでカバーできるIoTプラットフォームをもてることは我々にとっての大きな強みとなる」とArm Treasure Dataへの強い期待を表明しています。

Treasure CDPがとりわけマーケティングツールとして高く評価されてきた理由には,生のデータを大量に保持し,その上で1on1にひたすら特化してきた点が大きい。既存のマーケティング手法では困難だった個の特定に大きな威力を発揮し,いまでは多くの企業から「120億を超えるデータをもとに分析を行う,イノベーションに欠かせないパートナー」⁠SUBARU)など高い評価を得ている

Treasure CDPがとりわけマーケティングツールとして高く評価されてきた理由には,生のデータを大量に保持し,その上で1on1にひたすら特化してきた点が大きい。既存のマーケティング手法では困難だった個の特定に大きな威力を発揮し,いまでは多くの企業から「120億を超えるデータをもとに分析を行う,イノベーションに欠かせないパートナー」(SUBARU)など高い評価を得ている

ビジネス面だけではなく,Treasure Dataの技術力の高さ,とくにオープンソースに対する貢献度の高さもまた,国内外でもひろく知れ渡っており,たとえば共同創業者のひとりである古橋貞之氏が開発したログコレクタ「Fluentd」は,インターネットでビジネスを展開する企業なら必須のツールへと成長を遂げました。そのほかHadoopやHivemallといったオープンソースプロダクトに対してもTreasure Dataは積極的なコミットを続けており,Treasure CDPのエコシステムもこうした開発者のコミュニティへの関与をベースに発展してきました。

データプラットフォームとしての知名度が高く,ロイヤリティの高い顧客をグローバルでサポートし,すぐれた開発者を数多く抱えるTreasure Dataを,Arm,そしてソフトバンクグループがデータビジネスの「最後のピース」として手に入れたかった理由は十分に理解できます。

ソフトバンク 代表取締役 社長執行役員兼CEO 宮内謙氏

ソフトバンク 代表取締役 社長執行役員兼CEO 宮内謙氏

一方で,Treasure DataはなぜArmの買収に応じたのでしょうか。2011年の創業以来,筆者は幾度となく,芳川氏や共同創業者の太田和樹氏(前 Treasure Data CTO,現在はArmのテクノロジ部門バイスプレジデント)と話す機会がありましたが,よく「Treasure Dataは必ずNASDAQに上場する」と強い意思をこめて語られていたのを覚えています。投資家から資金調達を受けたスタートアップである以上,いつかはイグジットしなければならないとはいえ,上場ではなく買収というゴールを受け入れたことに少なからぬ疑問があったのは事実です。

「今回の(買収を受け入れた)件は決して後ろ向きな決断ではない」―会見でイグジットの方向性について質問を受けた芳川氏は,迷いなくこう答えていました。⁠私は"イグジット"という言葉はあまり好きではない。今回の件はTreasure Dataとしての新しいスタートであり,ユニバーサルなかたちで新たなデータ基盤を作る機会を与えてもらったと受け止めている。米国を中心にデータビジネスを展開してきて,データのコンバージェンスが起こり始めていることをリアルに実感してきた。NetflixやUberといったディスラプターたちが台頭し,より力を獲得しつつある中で,ディスラプト(破壊)される側の旧来の企業はこれまでなす術がなかったが,データプラットフォームといういちばん手のかかる部分を我々が提供することで,ディスラプターたちにファイトバックすることが可能になる。Treasure Dataの役割はそのインキュベータ,つまりデータのゆりかごを彼らに提供すること」と芳川氏は買収を受け入れた理由をこう語っています。

データプラットフォームとしての可能性は「世界有数の企業であるArmと組むことでより拡がる」と強調する芳川氏ですが,筆者はIoTプラットフォームのデータ分析基盤として高い評価を受けたことが買収を受け入れた大きな要因であるように思えます。現在,Treasure Dataは多くの企業から「デジタルマーケティングに欠かせないパートナー」と呼ばれており,実際,Treasure Dataのことを"デジタルマーケティングの会社"と思っているユーザも少なくありません。とくに,2016年の資生堂によるTreasure CDPの導入以来,その華やかなデジタルマーケティングの成功事例に惹かれてTreasure Dataの知名度は劇的に上がり,顧客数も大きく伸びました。しかしデジタルマーケティングにプラットフォームのイメージが固定されてしまえば,より多くの企業にデータによるデジタルトランスフォーメーションの機会を提供し,ディスラプターたちにファイトバックしてほしいというTreasure Dataの本来の方針とはズレが生じてしまいます。芳川氏は「デジタルマーケティングは今後も重要な市場であり,我々としてもフォーカスを続けていく。だがデジタルマーケティングはTreasure Dataの"ノーススター(北極星)"ではない。今回の買収は我々の新しいノーススターをこれから求めていくためのスタートだと思っている」とコメントしていますが,データビジネスを展開するうちに旅路をガイドする存在のはずのノーススターの位置に若干のズレが生じていたのかもしれません。そういう意味で,創業から7年が経った現在,"ユニバーサルなデータ基盤"をふたたび求める旅 - 新しいノーススターを追い求めるタイミングが買収というイグジットの形式をともなってやってきたともいえるでしょう。たとえそれが,創業時から描いてきた上場というゴールとは異なっていても,タイミングを見誤らずにイグジットを決断できた姿勢は高く評価されるはずです。


「世界中でひとつだけ解析用のデータベースがあるなら,それがTreasure Dataでありたい」― 2013年1月,太田氏を取材したセッションで聞いた言葉をいまでも筆者は鮮明に覚えています。そのときとはビジネスの規模は大きく変わりましたが,おそらくTreasure Dataの理念はいまも変わらないはずです。スタートアップを卒業したいまなら「世界中でひとつだけ解析用のデータプラットフォームがあるなら,それがArm Treasure Dataでありたい」でしょうか。いずれにせよ,新しいチャプターを迎えたTreasure Dataの今後をこれからも見ていきたいと思います。

8月22日に行われた会見のメインスピーカーによる記念撮影。右から芳川裕誠氏,ディペッシュ・パテル氏,宮内謙氏

8月22日に行われた会見のメインスピーカーによる記念撮影。右から芳川裕誠氏,ディペッシュ・パテル氏,宮内謙氏

著者プロフィール

五味明子(ごみあきこ)

IT系の出版社で編集者としてキャリアを積んだ後,2011年からフリーランスライターに。フィールドワークはオープンソースやクラウドコンピューティング,データアナリティクスなどエンタープライズITが中心。海外カンファレンス取材多め。Blog 「G3 Enterprise」やTwitter(@g3akk),Facebookで日々IT情報を発信中。

北海道札幌市出身/東京都立大学経済学部卒。

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