草花の知恵

第4回 「カリガネソウの咲くころ」

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東京都北区滝野川,世田谷区三軒茶屋,豊島区雑司ヶ谷,国分寺市並木町。これまで住んだことのある町である。若いころは半年に一度ぐらいで移っていたから,こまかく数えると倍ぐらいになる。太宰治にならえば,「わが東京八景」がつづれるにちがいない

いく先にいつも,カリガネソウがつきそっていた。「雁金草」と書くが,音だけだと「借金草」ともとれる。いつもだいたい貧乏だったから,名前から即座に「借り金」を連想した。

雁金草(カリガネソウ) 画:外山康雄

雁金草(カリガネソウ) 画:外山康雄

べつに花がついてきたわけではないだろう。引っ越しした先で,ひと段落がつき,近所まわりを歩いていると出くわした。どこであれ引っ越し先は,その土地の中心といった辺りではなく,場末めいたところや町外れだった。近くにグラウンドがあったり,何の用とも知れぬ空地がある。散歩のすがら,ふと辺りを見わたすと,おなじみの野草がのびていた。

茎から三つ叉状に分かれて,青紫の花がついている。淡い赤紫のこともある。大きいのは丈が1メートル近くあるので,鼻先にピッタリの高さ。それに,野の花らしい野性さと素朴さ。おりおり先っぽを折り取って,持ち帰った。引っ越しの荷をといたばかりの雑然とした玄関に,ありあわせのビンへ挿しておく。そんな花を見て,家探しをすませたあとの安堵を覚えたものだ。

もともと痩せた土に合うのだろう。北海道の原野などには,一面に雁金軍団がひろがっている。四国の清流で知られた川沿い,九州の山里。花が鐘形をしていて,先っぽが五つに分かれている。よく見ると,なかなか繊細なつくりなのだ。

痩せた土地のつづきで学校のキャンパスの隅っこにもよく見かける。ひところ,わが家に「チャンプ」という犬がいた。「チャンピオン」を略してチャンプ。私はさらに略して「チャン」と呼んでいた。血統その他,いかなる分野でもチャンピオンになるけはいのない犬だったが,散歩のとき,なぜか花を見つけると,神妙な顔つきでクンクン嗅いでいく。ときには眺める角度を変えて,頬にくっつけたり,舌先でチョイと舐めてみたりした。その仕ぐさは多少とも,新種の同定にかかっている植物学者を思わせた。

チャンプとともに過ごしたのは,現在も住んでいる都下三鷹市郊外のこと。すぐ近くにルーテル学院大学,東京神学大学,ICUこと国際基督教大学と,三つの大学がつづいている。散歩のとき,この順に一巡した。おもえば,わが家の愛犬は,すこぶる学術的かつ広大な散策コースを持っていた。

とりわけICUはキャンパスが広い。奥まったところなど,旧武蔵野の面かげをとどめている。そんな一角だが,以前は何かの用にあてられていたが,放置されて久しい。わが散歩主従のお気に入りで,たいていそこに入りこんで遊んでいた。

背をこすカヤを分け入ると,丸い空地がひらけている。緑の草地にカリガネソウが勇壮にのびている。葉は楕円形で,大きい。人差し指と親指でマルをつくり,カリガネソウの葉っぱをのせ,まん中を窪ましてから,勢いよく右の掌でたたくと,ポンと軽い音がして葉が破れる。幼いころに覚えた遊びのひとつである。

チャンプがすぐに退屈するので,そんなサービスをしたわけだ。夏の午後はムッとするような草いきれがある。それでもカリガネソウの花が咲くのは,少し秋めいてきた風の吹くころで,草むらに寝そべっていると,気持ちがいい。ウトウトしかけると,退屈したチャンプが「そろそろ行こうヨ」といった顔つきで,胸にのしかかってきた。

  • 「ソラ,どうだ,ソラ――」

カリガネソウを折りとって,細い茎をチャンプの鼻の穴に突っ込んだりした。取っ組み合って,ころげまわった。チャンプはオスであって,男同士だと少々アヤシゲな雰囲気になるところだが,男とオスなら安心だ。

そんな生活が十四年あまり。チャンプが死んで,まる三年になる。犬小屋だけは記念に残しているが,それがいつしか庭先の野の花に埋もれてきた。

著者プロフィール

池内紀(いけうちおさむ)

1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者。エッセイスト。

主な著書に『ひとり旅は楽し』(中央公論新社)『ぼくのドイツ文学講義』(岩波書店)『町角ものがたり』(白水社)など。『カフカ小説全集(全6巻)』(白水社)など翻訳書も多数。新刊は『森の紳士録』(岩波新書)。


外山康雄(とやまやすお)

1940年東京深川生まれ。新潟県浦佐で育つ。2002年南魚沼郡塩沢町に古民家を再生したギャラリー「野の花館」開設。

画集に『折々の花たち 1~4』(恒文社)『野の花の水彩画』『私の好きな野の花』『野の花 山の花』(日貿出版社)など。

外山康雄の野の花館:

URLhttp://www.toyama-yasuo.jp/

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