草花の知恵

第8回 「昔の恋人」

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冷たい風が吹き出すと,マユミの木が目にとまる。塀の上に枝がのびている。垣根ごしにのぞいている。

「やっ,マユミだ」

昔の恋人に出くわしたぐあいだ。しばらく,しげしげと見つめている。やつれているようでもあれば,ふくよかになったようにも見える。

へんな木である。いつもそこに枝をのばしていたはずなのに,目にしなかった。目にしたはずだが,気にとめなかった。春には小さな花をつけていただろう。さ緑色で,四弁の花びら。白い花が集まって房のように下がっていた。そのはずなのに覚えていない。

冬の到来とともに,やっと気がつく。無数の実ができるからだ。四弁の花が丸みをおびた四角形をつくり,やがて熟して薄い紅色をおび,つぎには四隅から裂ける。まさにこのときだ,「やっ,マユミだ」と気がつくのは。

なにしろ茶ばんだ殻のなかに,あざやかな紅色がチラチラしている。目のさめるような真紅。植物学では「仮種皮」などとヤボな名づけがされているが,大切な種子をくるんでいる紅の下着。血のように赤いのはほんのしばらくだけだが,そのあでやかさに,つい目をそらしたくなるほどである。

真弓(マユミ)
画:外山康雄

真弓(マユミ) 画:外山康雄

マユミは漢字では「檀」。一般には「真弓」と書く。真は「本当の」といった意味で,真の弓。木質がしなやかで弾力があるところから,古来,弓の材料とされてきた。

 庭木にちょうどいい。樹高が三メートルから五メートルと,ほどがよくて,夏は葉を繁らせて影をつくってくれる。冬は葉を落として,陽ざしを遮らない。五月から六月にかけては四弁花が目を楽しませてくれる。九月ごろから結実をはじめ,秋の終わりの落葉がはじまるころ,木の実の集団をつくり,そんなある日に紅のパンティを見せてくれる。

最後の一点が,昔の道徳家に警戒されたのだろう。いけ花の世界では,「出家の祝言と,初住まいの祝い」に,マユミは禁物とされてきた。裂けてのぞいた赤いものがいけないらしい。

別名が「山錦木(やまにしきぎ)」。人のあまり入らない山に,ひっそりと花をつけていて,白い花が錦のように思わせるせいだろうか。コブシ,エンジュ,ズミ,クロモジ,ヤマボウシ・・・・・・同じ白花の仲間たちのなかで,いちだんと地味で,めだたない。花のわりに葉が長い楕円形で大きいせいもある。

紅葉がたけなわのころ,山は木の実でいっぱいだ。タラノキ,ニワトコ,ヤマブドウ,グミ。小鳥がついばんでいれば完熟のしるし。ヒヨドリの飛行を追っていれば,きっといきつく。

ブナの実やクリなどは,その場でいただくわけにいかない。わが家への ――誰にもよろこばれない―― お土産。ネコの大好物のマタタビ。ナンテンやイチイは鑑賞するだけ。いちど小鳥に誘われてナナカマドの実を食べてみたところ,口が文字どおり,ひん曲がった。猛烈な苦さが三日たっても舌から抜けなかった。

そんな一日,わが町に帰りつき,歩いて自宅に向かうすがら,生け垣からマユミが,にこやかに迎えてくれる。葉が落ちて気づくのだが,枝の伸び方が自由奔放で,低木なのに大きく見える。寒風をものともせず,勇壮に立ち向かうぐあいで,そのたたずまいからも,弓の材料として好まれたのではなかろうか。

昔の恋人は,あっさりと別れるのがいい。つややかな下着をチラリと見やってから背を向ける。マユミの実は風が強いと,音をたてて落ちる。何やらうしろから呼びかけられた気がするが,かまわずズンズン歩いていく。

著者プロフィール

池内紀(いけうちおさむ)

1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者。エッセイスト。

主な著書に『ひとり旅は楽し』(中央公論新社)『ぼくのドイツ文学講義』(岩波書店)『町角ものがたり』(白水社)など。『カフカ小説全集(全6巻)』(白水社)など翻訳書も多数。新刊は『森の紳士録』(岩波新書)。


外山康雄(とやまやすお)

1940年東京深川生まれ。新潟県浦佐で育つ。2002年南魚沼郡塩沢町に古民家を再生したギャラリー「野の花館」開設。

画集に『折々の花たち 1~4』(恒文社)『野の花の水彩画』『私の好きな野の花』『野の花 山の花』(日貿出版社)など。

外山康雄の野の花館:

URLhttp://www.toyama-yasuo.jp/

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