草花の知恵

第12回 「お目見え式」

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春めいた陽気に誘われて奥多摩を歩いてきた。今年はじめての足ならし,野の草花とのお目見え式も兼ねている。小鳥たちの啼きぞめにも立ち会ってこよう。東京で唯一のこされた村である檜原村の民宿にも,温泉つきができたとか。お湯のあとは名物のこんにゃくをサカナに,地酒をどっさりいただくとしよう。

もくろみがいろいろあると気がせくらしく,九時すぎにはもう五日市駅頭に立っていた。奥多摩の山は標高千メートル前後がうねうねとつづき,黒々とした杉林のあいだに,茶色っぽい雑木林がまだら模様をえがいている,それが黒ずんだ茶色から,やわらかい薄茶に変わっていて,新芽の近いことを告げている。

登山口に降り立ったのが十時前。土の匂いに,おもわず深呼吸をした。枯れ葉の匂いに芽ぶき始めの木の匂い。春さきの特徴だが,空気が微妙に入りまじり,甘ずっぱいような味わいをしている。

点々と黄色いのはフクジュソウ。アイヌの人たちは,フクジュソウの花を一年の始まりとしていたそうだ。北国で最初に咲く花をしるしにして,優雅なカレンダーの作り方である。フキノトウは背がのびて,いまや重たげに頭を垂れている。

雑木林に入って落ち葉を踏みしめていくのはいいものだ。足がようやく山歩きを思い出したぐあいで,歩調が落ち着いてきた。足と目は連動しているらしく,足が落ち着くと,目も視点が定まってくる。

一面の朽ち葉のなかに小さな緑のかたまりがあって,白い花が斑点のようについている。ユリワサビにちがいない。アブラナ科の花のなかで一番早く咲く。葉は山菜として食用になる。ワサビのような香りと辛みから名づけられた。その名前につられて根っこをたしかめたくなるものだが,ヒゲのように細くてアテが外れる。

春蘭(シュンラン) 画:外山康雄

春蘭(シュンラン) 画:外山康雄

全身が汗ばんできて,息づかいが荒くなったころ,尾根にとび出して視界が一気にひらける。山歩きで,もっともうれしい一瞬である。谷をへだてた大きな山の背に,赤い尾根がポツリポツリ。それぞれをよく見ると,陽当りのいい,それもなるたけ日射時間の長い辺りが選んである。多少の不便を我慢すれば,はてしのない大空と雄大な眺望を,日々の友にして暮らしていける。

薄い茶色がひろがったなかに,あざやかな黄色が一つ,二つ,三つ。いわずとしれたマンサクの花。「満作」と書いて豊年満作にかこつけたぐあいだが,「まず咲く」が訛ったともいって,たしかに春一番のメッセンジャー役をつとめている。五枚の花弁がリボン状にむすばれ,先っぽが触手のようにのびていく。

木洩れ日がモードの服のような絵柄をつくっている。どんなファッション・デザイナーも,これほど変化に富んだのは思いつくまい。自然の無限の造形性を前にすると,人間の創造力など,ほんの子供だましだと気がつくはずだ。

ほどのいいところで道をそれて,林中に踏みこんだ。おめあてはシュンラン,木の根かたなど,うず高く枯れ葉が積もったなかにサヤ状をした緑の葉が数葉,そこから茎がのびている。せいぜい十センチか二十センチで,腰をかがめ,頭を地面にくっつけるほどにしないと目にとまらない。生まれたての赤ん坊のような肌色をしていて,茎ごとに花が一個。純白に濃い赤紫の斑点があって,いかにもラン科の花の華やぎを予測させる。妖艶な女になる前のおシャマな小娘といったところだ。

写真好きは地面すれすれにカメラをかまえ,四つん這いですり寄っていく。その姿たるや,卑猥にして見るにたえずのありさまで,シュンランがクックッと笑いをこらえている。

著者プロフィール

池内紀(いけうちおさむ)

1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者。エッセイスト。

主な著書に『ひとり旅は楽し』(中央公論新社)『ぼくのドイツ文学講義』(岩波書店)『町角ものがたり』(白水社)など。『カフカ小説全集(全6巻)』(白水社)など翻訳書も多数。新刊は『森の紳士録』(岩波新書)。


外山康雄(とやまやすお)

1940年東京深川生まれ。新潟県浦佐で育つ。2002年南魚沼郡塩沢町に古民家を再生したギャラリー「野の花館」開設。

画集に『折々の花たち 1~4』(恒文社)『野の花の水彩画』『私の好きな野の花』『野の花 山の花』(日貿出版社)など。

外山康雄の野の花館:

URLhttp://www.toyama-yasuo.jp/

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