Lifelog~毎日保存したログから見えてくる個性

第9回手作業と自動化

手作業と自動化

ライフログ、すなわち人生というとんでもなく長いような短いようものを対象に記録をとっていくということは、どうしたって、ある種の自動化を避けて通るわけにはいかないのです。

たとえば筆者は、Gmailに加えて自作のPileMailシステムを使って、スパムをよけています。Gmailの強力なスパムフィルターと、自作のPileMailのスパムフィルターを重ねて適用することで、じつにスパムはほぼ0という状態が続いています。数年前、2004年ごろには、ほとんどスパムだったという一時期もあったので、それがPileMailの開発の強いモチベーションになったわけですけれど、結果としてスパムを手でよける、分類する、というような不毛な事態とは、完全に手を切ることができました。これを「自動化」といいます。

PileMailの場合には、スパムとはいえないけれど、まあ読まないようなDMのたぐいもタギングしながら一掃できるので、目の前には必要なメールがわずかに1通か2通、ということも少なくありません。日によっては0通とか。この1通か2通だけが手作業で読むのに足りるメールだと考えられます。

PileMail分類後のメール
PileMail分類後のメール
PileMailで分類したあとのメールファイル(拡張子は.mailというテキストファイル)は、わずかに1ファイルのみです。分類したメールは、DM(ダイレクトメール)などのフォルダにタグづけされて分類しています。
PileMailの分類一覧
PileMailの分類一覧
分類ルール一覧です。メールアドレス、本文などでメールを分類できます。明らかなDMなどを対象としていて、現時点でほぼ100%の効果をあげています。

リッチな手作業

こうなると、スパムが懐かしい、なんて罰当たりなことを思ったりすることもあります。いや、じっさいに来たら、ぜんぜん懐かしくないですけどね。

このことから考えてみると、手作業でできる範囲は、限られているのだとあらためて思います。手作業というのは、きわめてリッチなのだなぁ、と感じることもあります。

手作りというのは素朴なもので、より高度なものは大量生産でできる、みたいな価値感もあるかもしれませんけど、大量生産の自動化でできるものは、しょせん大量生産に過ぎず、ありふれたものでしかないわけです。特徴がない。

『PilePaperFile』のように、まったくオリジナルのものを作るということは、どのみち手作りでしかないわけで、手作りの一品ものを作る手作業のほうが、筆者にはあっているのかもしれません。

ただし、その手作業が、自動化の上で成立している、ということも重要なわけです。自動化によってフィルタリングすることで、初めて手作業にかける時間が生まれ、手作業と向き合い、時間を忘れるくらい没頭することができるからです。

スパムと向き合う時間は無駄だけど、PileMailを作るのにかかる時間は充実していると感じています。

フォルダの階層は3階層。年月日で決まり

自動化を可能にしたひとつのルールが、フォルダ構造に時間軸を取り入れたことでした。

2001年以前にも、断続的に時間軸を整理に採り入れてはいたのですが、2001年5月に1日1ファイルで日記を書き始めてからというもの、すべての情報は、年月日の階層構造で整理することにしました。

この年月日という整理方法は、ライフログとも、きわめて相性のよい整理方法であると考えています。機械的でありながら過度に機械的でなく、ルールは平易でわかりやすいためです。

フォルダの分類は、テーマ別などさまざまな方法があることはわかりますし、年月日以前には、いろいろな方法を試してもいました。年月日はあまりにも機械的に思えて、そこからものを探すことができるのかと、いうのが始める前の疑問でありました。

結果、7年を経て、困ったことはほとんどない、というのが現時点での結論です。

背景としては、もちろん検索システムの高度化もあります。検索が高度になったことで、年月日であっても平気になったということもあります。それならば、検索を使えばどんなファイル構造でもよいのかというと、そうでもないと思います。

ゆらがない年月日構造

長期間にわたってデータを蓄積し活用する場合には、データぜんたいになにかひとつの軸をもつことが大切で、それは長期間にわたってゆらがないことが重要だと思います。時間を経て軸がゆらいでしまうと、ゆらぐ前の構造が古びてしまい、過去のデータが何がなんだかわからなくなりがちだからです。

年月日は、そこに価値観や評価を含まない点で、まず第1軸が年月日というのは、長期にわたってぜったいにゆらがないもののひとつであると考えることができます。これは他にない長所を備えていることを意味します。年月日に年号を使うとか、中学時代、高校時代のような分類にしていくと、年月日であっても価値観を含むようにはなります。それはそれとして。

blog全盛の昨今で、よくblogを読んでいて、⁠去年のいまごろは」という記述を目にするようになりました。ログと年月日の相性がよいと感じるのはこういうときです。ただし、これが去年のいまごろだけならまだ正常な(?)感じもしますけど、去年の、おととしの、3年前の、5年前の、10年前の、とたどってずーっと一生ぶん戻れてしまうというのがライフログなのです。

6月1日を過去に向かってたどる
6月1日を過去に向かってたどる
だんだん粒度が粗くなりますが、ずっと過去に向かってたどっていくことができます。

コンピュータに「明日」「昨日」を教える

コンピュータのファイルシステムに、⁠今日」を教える作業には、けっこう手間どったものでした。正確にいうと、⁠今日」を教えるのは比較的簡単です。というかすごく簡単です。

コマンドプロンプトでも時計でも、なんでもいいから開いてみれば、容易に今日を示していることがわかりますし、示すことができます。たとえばdateとタイピングすればよいのです。

ところが、⁠今日」の簡単さに比較して、⁠昨日」やあるいは「おととい⁠⁠、あしたや明後日となると、これはもうそうとう難しい。

昨日は、先月であるかもしれないし、うるう年であるかもしれないし、ひょっとすると去年だったりすることもあるのです。同様に明日も来月かもしれないし、うるう年であるかもしれないし、来年になることだってあるためです。

ライフログで自動的にログをとりそれを活用する観点からいうと、昨日の、あるいは1週間前の情報を手に入れたいと思うわけですが、年月日の構造と「昨日」「先月」などという命名とが、けっこうかけ離れた状態にあることは、容易に想像いただけるでしょう。

コマンドラインでdate
コマンドラインでdate
dateコマンドを使うと、今日を知ることはできます。では明日は? 昨日は?
昨日と明日
昨日と明日
標準のシステムでは昨日も明日も知りません。単に数字を足したり引いたりするだけでは、昨日やあしたは表現できません。システムで年月日を使うためには、カレンダーを用意する必要があるのです。表記の問題もあり、なかなか厄介です。

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