コレクター的読書(?)法
本を読むときに,どんなスタイルで読みますか?
わたしは,もともとはコレクター気質が強いので,好きな本だと保存用,閲覧用と2冊買ったりします。特に好きな本に限っては,何冊もっているかわからないくらいです。盲目的に買っています。
先日,本をスキャンしているのは合理的だと松浦晋也さんに評されました。しかし,そうでしょうか。ぜんぜん合理的だとは思っていないのです。
安価な本に限らず,『観用少女』の愛蔵版は上下5冊ずつもっていますし,韓国語版,英語版,中国語版,雑誌総集編版と,版が変わるたびに購入しています。また,赤江瀑の限定版も色違いや送り箱の有無で2冊もっていたりするなど,エスカレートするいっぽうです。革装3方金ステンドグラス箱入りで私家版を作ったりもしてます。
当然,普通に読む本もできるだけ本を痛めないように,そ~っと開いて読みます。ですが,読んでいました,というのが正しいかもしれません。あるときまでは,本の角を折ることはしないし,書き込みするなんてありえない,と思っていたのです。
デジタル化で得た「自由」
そのあるときとは,本をデジタル化し始めたころです。
本を解体してデジタル化すると,基本的に本は原型をとどめず,紙束になり,リサイクルする以外に方法がなくなります。場合によっては,本を読み終わると,ほとんど即座に,デジタル化するようにさえなりました。なんにしてもエスカレートするものです。
こうなると,本を綺麗に読む意味はほとんどなくなります。だってすぐに解体してしまうのです。綺麗もきたないもないのです。
なぜ本を綺麗に読む必要があるんでしょうか,どうせすぐに解体してしまうのに。
ということに気づいてから,本は(別にわざわざ落としたり泥をつけたりはしないけど),いろいろ書き込みをしたり,もっと自由に読んでもいいんだ,と考えるようになりました。
ああ,本を読む自由。
自由に読む本。
なんて,ゆったりした気分でしょうか。いや,ほんとうに自由っていいもんです。
紙の本に対するこだわりと,デジタル化とは共存するわけです。

