滑川海彦の TechCrunch40 速報レポート

TechCrunch40 レポート番外編:ランダムメモ

TechCrunch40カンファレンスを6回にわたってご紹介してきたが、どんな感想を持たれただろうか? 以下は思いつくまま、筆者の雑感を書いてみたい。

Web2.0ブーム続く

Web2.0がバブルではないかといわれて久しいが、TC40を見るかぎり、ブームは続いているようだ。会場は非常に盛り上がっていた。共同主催者のジェイソン・カラカニスが「40社のプレゼンを全部聞いた人は?」とたずねると7割くらいの手が挙がっていたし、5万ドルの大賞の発表までほとんど席を立つ参加者がみられなかった。後部と壁際の「椅子のみ」席も最後まで埋まったままだった。

もちろん、テーブル席に座れなかった参加者はブログで不満をもらしていたが、これは無理ない。来年(があるよう期待するが)はこういう事態が起きないように計画する必要があるだろう。

2500ドル払ってこれではいささか待遇が悪い
2500ドル払ってこれではいささか待遇が悪い

プレスは一番前の3列が専用席に確保されていて助かった。有線LANケーブルとAC電源も人数分用意されていて、初日にいっときインターネット接続がパンクしてあわてたが、その後は順調に作動した。

必死にタイプする筆者。大量に入力するときはラップトップのキーボードよりずっと速くなるので、別売キーボードを接続している(Hiroki Akimoto)
必死にタイプする筆者
スコットランドのプレス。伝統の衣装に身を固めて異彩を放っていた
スコットランドのプレス。伝統の衣装に身を固めて異彩を放っていた

あと問題点としては、ランチタイムも含めてセッションとセッションの間の休憩時間がなんといっても短すぎて、とくにわれわれ取材陣はプレゼンテーションを聞き逃すわけにいかないので、隣のデモピットをほとんど見ることができなかった。資料を見るとこちらにも面白そうな参加者がいろいろあったので残念だった。やはり公平に言って、2日で40社というのは少し欲張りすぎではなかっただろうか。

と、そういった多少の問題はあったものの、 IDGなど専門のカンファレンス企業を入れず、ビデオや音響など技術スタッフの一部を除いて、マイク・アリントンとジェイソン・カラカニスの10人足らずの手勢だけでよくこれほどの規模のカンファレンスを開催できたものだと感心した。

音響エンジニア(手前)に指示を出すジェイソン・カラカニスの会社の副社長
音響エンジニア(手前)に指示を出すジェイソン・カラカニスの会社の副社長

ジェイソン・カラカニスが司会、進行、時間管理から聴衆へのマイクの手渡しまで文字通り八面六臂で活躍していたのが印象に残った。主催者一同にサンキューメールを送って、その中でこの連載のリンクをあげておいたら、ジェイソン、さっさく自分のブログで国際的に報道された成果として写真入りで紹介していた。ほんとにあきれるほどよく働く男である。

よく働くといえば、TechCrunchのヘザー・ハードCEOは、News Corpという世界最大のメディア帝国の企業買収担当上級副社長という職を捨てて小さなブログネットワークのCEOに転身した。さすがにこれはアメリカでも珍しく、話題になったが、⁠もう一度現場に戻って仕事をしたかったから」という理由にシリコンバレーでは共感する声が多かったようだ。このあたりの連中はみな自分で手足を動かして仕事をするのが好きである。

クリップボードを抱えて笑顔で2日間走り回りつづけたヘザー・ハードCEO(左端)
クリップボードを抱えて笑顔で2日間走り回りつづけたヘザー・ハードCEO(左端)

誰一人お供を連れていないビリオネアたち

パネルディスカッションでは、Yahoo!の共同ファウンダー、デビッド・ファイロから伝説的ベンチャーキャピタリストのマイケル・モリッツまで資産1千億円級のビッグネームが勢ぞろいした。メンバーの中で日本でいちばん知られていないのがマイケル・モリッツだろうが、この元タイム誌の記者はGoogleへの投資で13億ポンド(約3000億円)儲けている。そのビリオネアの全員がお供を連れずに一人で身軽に行動していたのが印象的だった。

壇上の資産総額1兆円? 左からデビッド・ファイロ(Yahoo!共同ファウンダー⁠⁠、チャド・ハーレー(YouTube共同ファウンダー⁠⁠、マーク・アンドリーセン(ネットスケープ元CTO⁠⁠、マイケル・モリッツ(セコイア・キャピタル・ゼネラル・パートナー⁠⁠ ⁠TechCrunch)
壇上の資産総額1兆円?

日本だったら、どうということのない中小企業の社長さんにも秘書だの社長室長だのカバン持ちを引き連れずにはどこへも行けないタイプを見かける。トップ同士が名刺交換のあとゴルフのスコアとか健康法とかあたりさわりのない話を続け、ころあいを見て「では詳しいことはこの者が」といって担当者が紹介される、などという日本的なビジネスのプロトコルは、シリコンバレーの文化では苛立たしいのを通り越してまったく理解不能だろう。

韓国から2社も参加しているのに、日本から1社も参加がなかったのは、日本はある程度大きな国内市場があるために、どうしても内向きになりがちという点ももちろん理由だが、それ以上にカルチャーの違いが大きかったのではないかと思われる。日本では「司々にまかせて超然と全体を見る」タイプの指導者を理想とする風潮が残っている。残念ながらこれはインターネットという「木を切り倒して丸太小屋を作り、鹿を射って食料にする」西部開拓的なビジネス分野にはまったく不向きなモデルといわざるをえない。

参加40社のサービス・アプリケーションはそれぞれにおもしろかったが、プログラミングという側面に関していえば、特にかけ離れた水準のようには思えなかった。言葉の壁というが、これも別に文学を書こうというわけでなし、誰かネーティブ・スピーカーの協力者を一人つかまえて練習すればなんとかなる。要は伝えたい内容があり、伝えたいという気迫があればいいのだ。

ただし、ユーザーインターフェースやビジュアル・デザインにはさすがに一日の長があるように思えた。日本ではどうしてもエンジニアの興味は機能の実装そのものに向きがちで、ビジュアルデザインを含めたユーザーの使い勝手に十分手が回っていない例が多いのではないか。ヨシ・バルディの「悪いデザインはベンツの新車の座席の犬の糞(=なにもかも台無しにする⁠⁠」という警句はなかなかに真理をうがっているようだ。この点にさえ注意すれば、一人でこつこつ書いたプログラムにベンチャーキャピタルが資金を出してくれる、というシンデレラストーリーも決して夢ではないと思う。来年はぜひ日本からの参加をレポートしたいものだ。

蛇足:バグダッドカフェ、高級寿司、広東料理、元82空挺師団のキャビーなど

東京なら私鉄の小さな駅前でも韓国料理やラーメン屋などがそこここに開いていてどんな深夜でもメシを食うのに困ることはない。ところが西海岸では大都市とはいってもこの点、サンフランシスコは田舎町だ。夜の10時を過ぎるとメシが食えるところが極端に減る。日曜の夜着いて、明日の予習をしてふと気づくと深夜 1時。⁠late dining⁠⁠ とかでぐぐってみても、この時間に開いている店はクラブ、ナイトクラブ、バーのたぐいばかり。近場のレストランとなると、マーケット・ストリートのカストロ地区のBagdad Cafeだけ。

明るくてフレンドリーな24時間オープンのダイナーBagdad Cafe
明るくてフレンドリーな24時間オープンのダイナーBagdad Cafe

まあ、いいか、とタクシーを拾って出かけたが、結果は正解だった。場所柄、店内には例の「ゲイ・レズビアン解放運動」のでかいレインボ-フラッグがかかっていてスタッフにはレズビアンのおねえさん方が目立ったが、対応はフレンドリーで、店は明るく雰囲気はいい。客はとくにゲイ・レズビアンが多いということはない。マックブックを広げて懸命に明日の予習をする学生や、マーティン・ハイデガーがどうとか議論している芸術家風男女グループやらがいて、インテリのたまり場になっているようだ。料理は巨大なハンバーガーが売り物らしいが、ちょっと胸がやけそうなので、フィッシュアンドチップスとビールにした。どうというほどの味ではないが、まずくはない。サンフランシスコで夜中に食べる場所として覚えておいていいかもしれないGoogle地図⁠。

1日目は12時間のセッションで死にかけて、普段は外国で日本料理など食べないのだが、その後クラブでのパーティーを控えていて悠長にフレンチなど食べている時間もない。緊急避難でシェラトン・パレス・ホテルの日本レストランKyo-yaに寄った。テーブル席は満員。寿司バーではシェフスペシャルが7カン40ドルといいお値段だが、日本でも高級ホテルの寿司屋に行けばそんなものだろう。あきらめて1カン6ドルのスシを食べた。もちろんちゃんとしたニギリだったが、これはそれで当然。テーブル席を見やったが日本人はあまりいない。金融証券法曹関係とみえるダークスーツ組が目立つ。おなじ町でもスポーツジャケットにチノパンツで正装のつもりのTechCrunch組とは対照的。

2日目は取材仲間の市村さんや会場で知り合った日本語のうまいスタートアップのCEOとパレスホテルでモヒートをお代わりしつつだべった後、コンシエルジュの推薦でチャイナタウンのGreat Eastern Restaurant 迎賓閣へ。一日中座りっぱなしだったので歩くことにする。キアリ・ストリートを下っていってヒルトンホテルの前を過ぎて、次の次の角を左に入ってすぐ。ちょうどいい散歩になった。 海鮮粥とアサリのピリ辛炒め。これは横浜中華街的にうまかった。値段、量、味、ともやっと納得できる夕食でほっとする。

チャイナタウンの迎賓閣はオススメ
チャイナタウンの迎賓閣はオススメ

翌朝は元82空挺師団の軍曹で民間人コントラクターとしてベトナムに7年いたというタフそうな爺さんの運転するタクシーで空港へ。

「サイゴンも危なかったが、バグダッドに比べれば天国だ。女はきれいだし、ビールも料理もうまい。暑いといってもスコールが降る。今の若い連中は気の毒だ。 40ポンドもある装備を担いで人間爆弾におびえてなけりゃならん。オレが40歳若かったとしてもバグダッドには絶対に行かんね。ベトナム時代は、東京のダイイチ・ホテルによく泊まったもんだが、まだあるのかね? そうか、懐かしいな。このごろは大きなスーパーで日本料理の材料を売ってるからいい。トーフとかヤキトリとかよく買ってくる。日本料理は好きだが外では高くてとても食えないね。ベトナムレストランは安いからときどき行く。」

などと話を聞いているうちに空港に着いた。いや、疲れたが面白い出張でした。

(了)

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