書籍『ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』の補講

第2回アインシュタインに影響を与えたオーストリアの物理学者

本書のp.141のコラムに出てきたハーゼンエール(Friedrich Hasenöhrl)は、アイシンシュタインより少し前から、輻射エネルギーと質量の関係について研究していた物理学者です。今回は、彼の論文をいろいろと調べるうちに、面白い事実がわかりましたので、その話をしてみます。ただしすこしだけ言い訳をさせてください。この当時の資料はほとんどドイツ語です。小生も20歳代にはドイツ語論文を読み、ドイツ語で技術論文を書いたことはあるのですが30年以上も離れているうちに単語をかなり忘れてしまいましたので精読は無理です。論文や英語で綴られた資料を眺めているうちにこんなことがわかってきたというものです。

Hasenöhrlによる係数

ハーゼンエール(Friedrich Hasenöhrl)は波動力学の創始者シュレディンガー(Erwin Schrödinger 1887-1961)がウイーン大学在学中の学位論文指導教官でした。シュレディンガーの伝記2点[1,2]ではFritz Hasenöhrlの名前で語られています。1904年7月のAnnalen der Physikに寄稿した論文(Zur Theorie der Strahlung in bewegten Körpern, 運動物体における放射の理論)でも著者はFritz Hasenöhrlになっています。通常はFriedrichの短縮形というか愛称がFritzだとされていますが、論文や著作そしてその引用のときにどちらを使うかについては筆者(見城)にはよくわかりません。

彼はこの論文「運動物体における放射の理論」で、放射エネルギー の等価質量は速度に無関係に

だとしています。

Abrahamによる係数

これに対してMax Abraham(1857-1922)は係数に違いがあるのではないかと指摘して、公開のレター論文で自分の計算を見直して積分の計算にはウッカリした誤りがあって係数は4/3だと修正しています。

Abrahamはユダヤ系の裕福な商人の家に生まれ、ベルリン大学でMax Planckのもとで学んだあと彼の助手をしばらく務めています。電磁気学の古典論としてはかなり影響力のある著作をしたようです。面白いことに彼の本が北海道大学農学部図書館に保管されているようです。彼は自分の考えを率直に表現する性格の持ち主でした。エーテルの存在を強く確信していた彼はイタリアのミラノ大学で教授のポストを得ていたときアインシュタインと議論をしたことがあるようですが、相対性理論を頑迷に認めようとしませんでした。

アインシュタインによる係数

さて、アインシュタインは1905年9月の短編論文で、相対性理論の帰結としてこの係数は1だとしているのですが、彼らの論文もほかの論文も一切引用していません。そのために昔からアインシュタインの論文は盗作だと主張する人がいます。しかし物事は慎重に見究めなくてはならないと思います。

この係数の問題について詳細に書いているのが、砂川重信の「理論電磁気学」です。そこでは電磁気学の古典論では、係数が4/3になることが克明な理論で述べられています。相対性理論と比べたときの違いがどのようなものであるかを克明に解説しているのですが、それによるとこの問題を解決したのがRohrlichであり1960年のことで、古典論は近似であってアインシュタインの理論が正しいとしています。

つまり、アインシュタイン存命中には解決されていなかった問題だったともいえます。いまインターネットで調べるとこの問題でRohrlichが出てくるのは彼の著作 From paradox to reality: Our new concepts of the physical world. Cambridge University Pressです。

生きていればノーベル賞

ここには長い物語りがありそうです。Hasenöhrlは気体物理学で有名なボルツマン(Ludwig Boltzmann 1844-1906)の弟子でした。当時原子の構造を解明する物理学はまさに修羅場で、ボルツマンは論争の最中に自殺します。2年の空白のあとHasenöhrlは後任として、ウイーン大学で理論物理の講義を再開します。入学したばかりのシュレディンガーは彼の最初の講義でボルツマンの思考に感動します。

第1次世界大戦に志願してHasenöhrlはイタリア戦線で負傷し回復後1915年に再度チロルの戦線にもどったときに手榴弾を受けて戦死しています。シュレディンガーの伝記[2]によると、彼が1933年にノーベル賞を受賞したとき「Hasenöhrl先生が存命であれば、本日私の代わりに先生の名が告げられたであろうという気持ちです」と語ったと記されています。

Hasenöhrlが与えた影響は大きい

シュレディンガーとアインシュタインはベルリン大学で同じころに教授でしたし、二人がダブリンの高等研究所とプリンストンの高等研究所に赴いたのちにも文通を続けていましたのでHasenöhrlのことを話題にしたことがあったと思うのですが、不勉強のためかそのことについて書いたものを見たことがありません。

ウイーン大学の回廊には写真のように大きな業績を上げた教授たちの胸像が並んでいます。2005年の6月にそこを訪れたとき筆者はBoltzmannやシュレディンガーの胸像の写真は撮ったのですがHasenöhrlのことを知らなかったために調べませんでした。

本書のp.141に記したオーストリア歴史年表のことですが、それより数年前にウイーンの蚤の市で買ってきたもので、2006年のはじめころ本書執筆のために索引から "Einstein" を探していてHasenöhrlに関するこの記述を見つけたものです。

Hasenöhrlはアインシュタインとシュレディンガーに大きな影響を与えた物理学者だということがわかってくるのですが歴史的に忘れられてしまってよろしいのでしょうか?

Fritz Rohlichは1921年のウイーン生まれですが、アメリカで活躍し著作を残した物理学者のようです。詳しいことは分かっていません。

シュレディンガーに関する資料
  1. 中村量空:シュレディンガーの試作と生涯、工作社
  2. D.ホフマン著、櫻山義夫:シュレディンガーの生涯、地人書館
  3. 見城:図解わかる電気と電子、講談社ブルーバックスシリーズ

ウイーンは600年の歴史をもつハプスブルグ王朝の帝都として栄えモーツアルトが活躍したところです。そこから偉大な物理学者が生まれたのですが、ドイツに悲劇をもたらしたヒトラーが画家になろうして苦学した都でもあります。本書はこんなことを含めてシュレディンガーの物語を綴っています。

ウイーン大学の回廊
ウイーン大学の回廊(1) ウイーン大学の回廊(2)

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