ネットだから気をつけたい! 著作権の基礎知識

第3回ユーザーにとっての福音?「引用」ルールの可能性とその限界

はじめに

前回までの連載の中で、他人の著作物を無断で利用することにはリスクが伴う、ということを繰り返しお話ししてきました。

もちろん、例外がないわけではなく、たとえば、⁠著作物」であっても、著作権法が明文で保護しない(権利の目的になることができない)と定めている「法令」「裁判所の判決」などは、誰でも自由に使うことができます(著作権法13条⁠⁠。

また、

「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、…著作物に該当しない。」

著作権法10条2項

という規定の存在からも分かるように、作成者の個性が表れていない創作物の場合、そもそも著作物に該当せず、同じものを丸々複製したとしても著作権侵害にはあたらない、とされる可能性があります。

先日、社会的関心の高い刑事裁判の「傍聴記」の一部がブログ上に無断で転載されたとして、⁠傍聴記」の作成者がプロバイダーに対して発信者情報開示や記事の削除を請求した事件のニュースが話題になりましたが(知財高裁平成20年7月17日判決、作成者側敗訴⁠⁠、これなどはまさに、転載した「傍聴記」「著作物に該当しない」ということが裁判所の判断の決定的な理由になったものです。

もっとも、著作権法13条は列挙されたごく限られた著作物にしか適用されませんし、⁠作成者の個性」の有無という問題にしても、どこまでが「事実」で、どこからが「著作物」か、という境界線は非常に曖昧です。

「著作物」と言えるかどうかの判断は、誰が書いたものか、によっても左右される可能性がありますし、創作性が乏しいものでも"丸移し"された場合には著作権侵害が肯定されやすくなる、といった相関的な判断が入り込むものでもあります。この辺の話題については、次回あらためて説明する予定です。

他人の著作物を利用して、自分なりの新しい表現や情報発信をしたいと思った時に、安心して頼れる拠りどころはないのでしょうか・・?

そこで登場するのが、今回ご紹介する「引用」のルールです。

「引用」というルールの存在

(1)

「自分が応援している作家の紹介記事をブログに書こうと思っているのですが、その際に、その作家が書いたエッセイの一節を使って記事を書きたいと考えています。このような場合でも、本人の許可を取らない限り、著作権侵害になってしまうのでしょうか?」

今は、個人、企業を問わず、インターネットを通じて容易に自己表現ができる時代です。そして、そのような表現や情報発信に際して、他人の「著作物」を取り込んで新たな創作物を再生産することも(以前に比べれば)技術的には簡単にできるようになっており、それがインターネット文化の一つの特徴になっているということができるでしょう。

自分のブログにネット上のニュース記事の一節を取り込んで論評する(そしてそのような論評記事をさらに引用して新たな論評を加える⁠⁠、といった類のものから、動画サイトに投稿されるパロディ動画まで、数え上げればキリがないくらい、今のインターネット上には、他人の「著作物」を利用したコンテンツがあふれています。

このようなコンテンツを創作することにリスクがある、というのはこれまでの連載の中でも説明してきたとおりですが、かといって、あらゆる形態での他人の「著作物」の利用が否定されたのでは表現活動を行う上であまりに不便ですし、⁠批評・評論」のように対象となる「著作物」が明確でなければ意味をなさない性質の表現活動の場合、活動自体が成り立たなくなってしまうかもしれません。

そこで、著作権法には、以下のようなルールが設けられています。

公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。⁠第1項)

著作権法第32条(引用)

ここでは「引用」という概念が用いられていますが、その意味は、世の中一般で使われている"引用"という言葉の意味とはちょっと違います。

例えば、俗に、"無断引用はいけません"などということが言われたりしますが、上記の条文にある「利用することができる」いうくだりは、⁠著作物」の権利者の許諾がなくても利用できる、ということを意味しています(著作権法32条は、本来著作権者が行使しうる権利を制限するための規定(権利制限規定)です⁠⁠。

誤解を恐れずに言うなら、⁠引用」という行為は、"無断でできるからこそ意味がある"と言っても過言ではありません。

また、私的使用に関する例外規定(著作権法30条)とは異なり、⁠引用」が認められるための要件に、⁠家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」といった限定は付されていませんので、理屈の上では、個人のみならず企業や団体による利用であっても、⁠引用」として認められる余地があることになります。

もっとも、⁠引用」は、著作権に関する様々なルールの中で、⁠例外」として位置づけられるものです。したがって、どのような形態であっても他人の「著作物」の取り込みが許されるというわけではありません。

ここからは、事例を交えながら、どのような場合に、⁠引用」として著作権者の許諾が不要になるのかをもう少し詰めて見ていきたいと思います。

適法な「引用」と違法な「複製」の境界

(2)

「自分の研究のための資料収集と、興味関心を同じくするネットユーザーへの情報提供を兼ねて、特定の話題を扱った各種メディアの記事を自分のホームページに全文転載し、必要に応じてコメントを入れたりしているのですが、これも「引用」だからセーフですよね?」

(3)

「若者に対する過激な言動で知られる著名経営者A氏を批判する目的で、その人物が経営する会社のホームページからA氏の写真をコピーし、"角を生やす""鞭を持たせる"といった加工をして自分のブログの記事の中に取り込んでいるのですが、これは批評目的の「引用」として許されるのではありませんか?」

他人の「著作物」を利用する目的は人それぞれで、中には上に挙げたような目的で「著作物」⁠上の例でいえば、⁠記事の文章」「写真⁠⁠)を利用したい、という人もいることでしょう。

目的は異なりますが、いずれも、他人の「著作物」があったほうが、自分の表現を効果的に伝えるには好都合であることに変わりはありません。

しかし、このような行為は、⁠引用」に関する著作権法の条文や、これまでの判例で示された基準に照らすと、適法なものといえるか極めて疑わしいものであるといえます。

「他人の写真集等に掲載されたカラー写真を改変した(一部をカットし、白黒とした上でタイヤの写真を合成した)作品を自己の写真として週刊誌等に複製掲載した行為」が問題になった事例について、最高裁は、

「引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない」

(最高裁昭和55年3月28日判決)

と述べて、上記利用行為の「引用」該当性を否定しました。

ここで示されている、「明瞭に区別できること⁠⁠、「利用する側の著作物と利用される側の著作物が主従関係にあること」という要件は、先に挙げた著作権法32条(引用)の条文から直ちに導きだされるものではありませんが、著作権法の条文に記された曖昧な要件(⁠⁠公正な慣行に合致」等)に比べるとわかりやすいルールであること、そして、最高裁が示した重みのあるルールであることから、その後の裁判例の中でも繰り返し用いられています。

また、著作権法の条文上、⁠引用」の際に認められる著作物の利用態様として「変形」「翻案」といった行為が明記されておらず(著作権法43条2号⁠⁠、元の「著作物」をそのまま「複製」する場合の他には、著作権法43条2号に明記されている「翻訳」しか認められない、という解釈が有力であることや、

次の各号に掲げる場合には、当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。

  1. 第32条(注:引用に関する規定⁠⁠、(以下略)

著作権法第48条(出所の明示)

この款の規定(注:引用に関する第32条の規定を含む)は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない。

著作権法第50条(著作者人格権との関係)

といった規定があることから、仮に①、②の要件を満たす場合であっても、③著作者の氏名を表示しなかったり、他人の「著作物」を無断で改変して取り込んだりしたような場合には、適法な「引用」と認められない、あるいは、同一性保持権、氏名表示権といった著作者人格権侵害(広義の著作権侵害)となるという解釈が導かれることになります。

「著作物」に関する権利としては、これまでご説明してきた「⁠⁠狭義の)著作権」のほかに、⁠著作者人格権」⁠公表権、氏名表示権、同一性保持権⁠⁠、というものが存在します。前者が「著作物」の財産的価値を保護するものであるのに対し、⁠著作者人格権」「著作物」を創作した人の"人格"にかかわる利益(⁠⁠著作物」に対する一種の"こだわり")を保護するものである、という点に違いがあるのですが、⁠著作者人格権」を侵害した場合でも、利用の差し止めや損害賠償といった制裁が科されることに変わりはありませんので、⁠著作物」を利用する場合には、⁠狭義の)著作権」だけでなく「著作者人格権」にも注意する必要があります(⁠⁠著作者人格権」については、別の回であらためてご説明する予定です⁠⁠。

したがって、上に挙げた例の中のうち、(2)については、利用する側の「著作物」⁠自分のホームページ及び引用記事に対するコメント)と利用される側の「著作物」⁠各種メディアの記事)が、質的・量的に主従関係にあるかが問題になりますし、(3)についても、利用された「著作物」⁠A氏の写真)との関係で、利用する側の「著作物」⁠ブログの記事)「主」といえるか、さらに、A氏の写真に対して行った「加工」「著作物」「翻案」や同一性保持権を侵害する「改変」にあたらないか、といったことが問題になってきます(また、いずれの場合においても、利用される側の「著作物」の出典や著作者名を明示していなければ、氏名表示権侵害が成立する可能性があります⁠⁠。

どの程度手を加えれば、翻案や改変にあたるのか、というのは微妙な問題です。教科書準拠教材の作成に際して、原作の文章に傍線や波線を付加したり、一部を太字にして強調する程度であれば「改変」にあたらないとした裁判例(東京地裁平成18年3月31日判決)などもありますので、軽微な修正であれば、大丈夫と言いたいところではありますが・

実際にも、ある宗教団体を批判する目的で、その団体の名誉会長の写真(第三者によって改変されてインターネット上に出回っていたもの)を自分のホームページに掲載した行為が、⁠引用」にはあたらない、とされ、宗教団体側の損害賠償請求が認められた例(東京地裁平成19年4月12日判決)もありますので、注意が必要です。

このように見てくると、無用なトラブルを避ける、といった観点からは、

(1)取り込んだ他人の「著作物」を、自分自身の作成した文章・図画等と明確に区別できるか(⁠⁠囲み」「カギカッコ」等が適切に付されているか⁠⁠。

(2)他人の「著作物」を必要以上に取り込み過ぎていないか(一部に言及すれば足りるのに、面倒だからといって全文丸々取り込んだりしていないか⁠⁠。

(3)取り込んだ他人の「著作物」について、著作者の氏名や出典元の表記を適切に行っているか。

(4)取り込んだ他人の「著作物」を、勝手気ままにいじっていないか(文章の表現を変えたり、画像を加工したり、原文の面影を残したまま要約したりしていないか⁠⁠。

といった点に配慮し、これら(1)(4)をクリアできない場合には、原則に立ち返って、利用しようとしている「著作物」の権利者にきちんと確認を取るのが望ましいといえます。

「引用」ルールのこれからの可能性

さて、ここまでお読みになって、⁠何が『福音』だ!結局、窮屈なことに変わりはないじゃないか。」とお思いになる方も多いかもしれません。

確かに、判例も含めた現在の「引用」ルールに則って第三者の「著作物」を利用しようとすると、第三者の「著作物」を用いた"パロディ"や、"比較広告"(例えばライバル会社が宣伝で使っているフレーズを逆手にとって自社の製品をPRするなど)なども、著作権侵害とされる可能性が出てくることになり、"思い切った表現ができない"状況に置かれることになります。

冒頭で取り上げた1)⁠応援記事)のようなケースと違って、"パロディ"や"比較広告"のような利用の仕方をする場合には、権利者に許諾を求めることが躊躇われることも多いでしょう(また、仮に許諾を求めたとしても、拒絶される可能性が高いでしょう⁠⁠。

にもかかわらず、こういうときに「引用」のルールを使えない、というのでは意味がないじゃないか、ということは誰しも感じることで、そこに「フェア・ユース」条項のような包括的な権利制限規定を持たない我が国の著作権法の限界があるともいえます。

しかし、権利の行使が制限される場面が極めて限定されている著作権法の諸ルールの中では、今回ご紹介した「引用」のルールが、法律の条文上もっとも制約が少なく、⁠著作物」を利用するユーザーの表現の枠を広げる可能性を秘めた数少ないルールであるのも事実です。

「公正な慣行」が、時代とともに変わりうる概念であることを考えれば、インターネット文化の発展によって、他人の「著作物」を利用した新しい表現が認められるようになる余地もないとはいえないでしょう。

今は、ユーザーにとって、"もう少しの辛抱"というべき時期なのかもしれません。

最近では、ネットオークションの出品物を紹介するためにオークションサイト上に当該出品物の画像を掲載する行為を「引用」ルールによって正当化しようとする解釈論(学説)も出てきています。現時点ではまだ通説となるには至っていない状況ですが、⁠引用」ルールの可能性を考える上では興味深い動きといえるでしょう。

なお、最後に、応用問題として、一つの事例を挙げておきます。

(4)

「ある会社のホームページに掲載された商品の宣伝文を、自分のブログで取り上げて紹介しようと思ったのですが、その会社のホームページには、⁠当社に断りなく行われる一切の転載・複製・引用を禁じます』という記載があります。このような場合、⁠引用」のルールに則って利用したとしても、その会社の許可を得ない限り、著作権侵害になってしまうのでしょうか?」

企業や著名人のホームページなどには、⁠一切の・を禁じます」といった注意書きがよく付されていますが、このような場合には、著作権法のルールに則った「引用」を行うことさえも否定されてしまうのでしょうか?

自分の会社のホームページに、不用意にこんな注意書きを付してしまうと、上記のような問い合わせをたくさん浴びることになってしまうわけで、そこは気をつけないといけないところなのですが(苦笑⁠⁠、結論からいえば、きちんと「引用」の要件を満たしていれば、⁠できる」といって良いのではないかと思います。

ホームページ上の記載はあくまで一方的な意思表示に過ぎないのに対し、⁠引用」のルールは、ユーザーの利便性を高めるために、法律が特別に認めた重要なルールなのですから、前者が後者に優先する、というのは常識的には考えにくいところです。

著作権法の第一人者である中山信弘・東大名誉教授も、⁠引用は著作権法が認めている重要な権利の制限であり、著作権者の一方的意思表示によりこれを禁止することはできない」として、一方的表示は「法的には意味のない記載」だと断言されています(中山信弘『著作権法』⁠有斐閣、2007年)262頁⁠⁠。

もっとも、法的に正しいことをしたからといって世の中うまくいくとは限らないわけで、それは「引用」に関しても例外ではありません。

ここは、他人の「著作物」を利用する目的や利用することの必然性、そして、それによって「著作物」を利用される側がどのような感情を抱くか、といった点を考慮し、⁠引用」のメリットとデメリットを見比べた上で、個々のケースに即した判断を試みるほかない、ということになるでしょう(と、言うは易し、行うは難し・で、このあたりは、個々人のセンス、あるいは、実務家としての腕が試される場面となります⁠⁠。

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