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第2回「scottberkun.com」Scott Berkun:翻訳エッセイ編―創造的思考Hacks

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翻訳エッセイ編―創造的思考Hacks

2007年8月7日 火曜
原文:Creative thinking hacks

私たちは誰でも(今でも鼻くそをなめているあの馬鹿な従兄弟は別として⁠⁠、よりクリエイティブになるために必要なものをすべて持ち合わせている。問題は学校や親や映画や職場といったものによって、クリエイティブな本能を避けるように教え込まれているということだ。クリエイティビティという言葉は、しばしば誇大な連想をまとっており、天才とか才能とか革命的とかイノベーションとかいった、乱用されハイプまみれ[1]の言葉と一緒に使われることが多い。ハイプ屋やクリエイティブな人に対する威嚇者たちがそういったレッテルをキャンディみたいに振りまいていて、多くの人が本来持っているクリエイティブな本能を敬遠するようになっている。このエッセイでは、私がワシントン大学で教えている創造的思考法の授業を高速なHackを中心に焼き直したものだ。誰でもいつでもクリエイティブであることができるように、ここでは考え方とコツの両方を提示する。

クリエイティビティの幻想を殺す

最初に、今日のメディアの多くと同様に、このエッセイもバイオレンスから始めることにしよう(そして意味もなくびっくりマークを付ける⁠⁠! 目を閉じて、かつて作られた最も凄まじい剣を想像し、これまで耳にしてきたクリエイティブな人々の伝説の数々に斬りかかるのだ。ダ・ヴィンチやモーツァルトやアインシュタインは、ロマンチックに神へと引き上げられ、彼らの人生の月並みな部分は最小化され、我々の語る伝説がいったい誰のことなのか、彼らの母親でさえわからない。次に、その剣についているミントの香りのする火炎放射器を使って、アイザック・ニュートンのリンゴやベンジャミン・フランクリンの雷の凧やエジソンの電球といった子供時代のおとぎ話に火を放とう。そういったクリエイティビティと発見にまつわる人気のあるお話は、良くていいかげん、悪ければ真っ赤な嘘だ。大衆をなだめすかすものではあっても、クリエイティブな人々に彼らの能力について教えるものではない。みんな引き倒し、おまけでナパームを塗った手榴弾を10個ばかり放り込み、古くて壊れているクリエイティビティに対する見方が炎を上げるのを眺めよう。くすぶって煙を上げる残骸の上でダンスしよう! まだ温かい、爆発したクリエイティビティの偶像の残骸の上でマシュマロを焼こう! お楽しみはこれからだ。

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あなたが切り拓いたこの新しいクリエイティビティの景色の中では、次の簡単な定義を使うことにしよう。⁠アイデアとはほかのアイデアの組み合わせである⁠⁠。声に出して5回繰り返そう。飼っている猫にも言ってやろう。車の窓からバスを待っている人にも叫んでやろう。あなたが目にしたどんな驚くべきクリエイティブなものだろうと、あなたが耳にしたどんなアイデアだろうと、前からあった小さなアイデアへと分解できる。自動車は? エンジン+車輪だ。電話は? 電気と音だ。REESE'S ピーナッツバターカップは? ピーナッツバターとチョコレートだ。偉大でクリエイティブなアイデア、発明、理論はどれも、ほかのアイデアから成り立っている。そのことがなぜ重要なのか? それは単なる消費者ではなくクリエーターになりたいのなら、現在世の中にあるアイデアを頭の燃料として見る必要があるからだ。単なるモノや機能として見るのはやめよう。それは再利用されるのを待っている材料の組み合わせなのだ。

組み合わせ

料理というのはクリエイティビティに対するよいアナロジーになる。シェフの能力は、材料をまとめて何かを作り上げることにかかっている。歴史上で最も才気溢れたシェフであろうと、集中するだけでベーコンを出現させた人はいない。あるいは、熟したトマトが進化の望ましい結果のリストに「あるべきもの」だと神の力に進言した人はない。⁠組み合わせとしてのクリエイティビティ」という世界観を受け入れることは、クリエーターをさまざまなしかたで助けてくれる。あまりクリエイティブじゃないと感じるとき、答えはいつも使える組み合わせをもっと注意して見るということなのだ。クリエイティブさを増やすために、観察を増やす以上のことは必要ない。今よりも可能な組み合わせに対してもっと心を開くことだ。

ちょっとテストしてみよう。目の前にあるものを何か2つ選んで。たとえばWebブラウザと、うざくて臭い友達のルパート君を選んだとしよう。じゃあ目を閉じて、この2つを組み合わせるさまざまな方法を想像してみよう。

うまくいかないようなら、3つばかり例を挙げよう。

  1. 最小化ボタン付きのルパート
  2. うざくて臭いWebブラウザ
  3. ルパートの顔の上で(あるいはルパートの顔を使って)Webを見る

これらの組み合わせは有用でなかったり、良いものでなかったり、現実的でさえないかもしれないが、クリエイティブであるには違いない。3番目の要素、たとえば4リットルのジョルトコーラを加えたら、さらにおもしろい組み合わせができるかもしれない(ルパートのうざい性格を漂わせたカフェイン過剰摂取の臭いWebブラウザ⁠⁠。

時とともに、創造的思考の達人は再利用可能な組み合わせやパターンを学んでいく。それは新しいアイデアを作ったり古いアイデアを改良したりするために繰り返し使えるものだ。クリエイティブな分野を何か研究してみるといい。コメディでも料理でも執筆でも作曲でも。そうすると何度も現れてくる良い組み合わせが作れるパターンを見いだすようになる。

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(スナーク[2]よけの注意書き:アイデアを扱ううえで組み合わせだけでは解決できないような難しい問題があるのは確かだ。そしてまた、単なる組み合わせが必ずしも見事なものを生み出さないということも認めよう。⁠払っただけのものが手に入る」とはことわざの教えるところだが、この無料のエッセイのタイトルをよく見てほしい。これは創造的思考についてであって、見事な思考についてではない。だからスナークにはよそに行ってもらいたい。)

抑制

私たちは恐れる。私たちは暗闇を恐れ、親たちを恐れ、親たちが暗闇の中でやっていることを恐れる。私たちのちっぽけで都合の良い脳みそは、私たちが恐れたり理解しないことを考えないように最大限の努力をする。これは生存のためには有用だが、組み合わせを作るうえでは害になる。私たちは結果がどのようなものになるか予想して、多くの組み合わせの追跡をやめてしまう。覚えておいてほしいのは、私たちは予想するのが下手だということだ。クリエイティブになるための難しさの半分は恐れを消すということで、それによって、うまくいきそうにないとか、どうなるかよくわからないという場合でも、アイデアを試してみるのだ。奇妙なアイデアというのは、ほかのものからは学ぶことのできない何かを教えてくれる。そうして次の組み合わせがより有用なものになる可能性を高めてくれるのだ。

クリエイティブな人によく見られるのは、自分の恐怖をよりコントロールできる、ないしは単に決まりの悪いことに対する恐怖をあまり感じないということだ。クリエイティブであるということは、知的だとか優秀だとかクリエイティビティに一見関連していそうなそのほかの性質よりも、恐れないということにより強く関連している。これは人が酔っているときや、ドラッグをやっているときや、夜遅い時間にクリエイティブになるように感じる理由を説明している。これらの状況で私たちの抑制は低くなり、あるいは変化するため、ふだんよりも多くの組み合わせを見ることができるようになるのだ。

環境

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クリエイティビティは個人的なものだ。本(あるいはエッセイ)は、よりクリエイティブになる方法を教えてくれはしない。時間をかけて、自分自身に注意を向ける必要がある。アイデアが浮かびやすいのはどういうときだろう? 一人でいるときか? 友達といるときか?バーにいるときか? 海辺にいるときか? 一日で一番リラックスする時間か? 音楽が聞こえているときか? 自分のクリエイティブなリズムに注意を払って、クリエイティブな活動をそこに持って行くようにしよう。エマーソン主義を身に付けるのだ。これは自己認識と呼ばれている。自分の振る舞いに注意を払わないなら、そして自分という奇妙で固有の驚異をどうすればより磨くことができるか学ばないなら、クリエーターとして生産的になることはできない。

粘り強さ

楽しみのためにクリエイティブになるのは簡単だ。しかし必要に応じてクリエイティブになろうと思ったら、そのための習慣を身に付けなければならない。粘り強さだ。問題に対して興味深い組み合わせをいつでもすぐに見つけられるわけではない。そして恐怖を見定めて克服するというのはあんまり楽しいことではない。ある時点で、クリエイティブな仕事は、単なる仕事になる。偉大なクリエーターたちの歴史を学べば、彼らを推し進めている意志の力と、献身という共通の核を見い出すだろう。ファン・ゴッホ、ミケランジェロ、モーツァルトは毎日仕事し続けた。エジソン、ヘミングウェイ、ベートーベンはほかの人よりはるかに多く仕事をしたことで伝説的になっている。才能や遺伝子を忘れることだ。偉大なる人たちと我々とを隔てているのは、彼らの仕事に対する献身なのだ。

しかし創造性に関する最大のHackが何かというと、あまり見栄えもせずつまらないことに見えるかもしれないが、単にあきらめないということだ。アイデアで遊ぶというのと、それを世の中で実現するというのは別のことだ。アイデアが頭の中で完全に形成されたとき、避け得ない一つの事実がある。世界を変えるためには、アイデアは頭の中から出なければならないということだ。これは絶えず変わりなく日々続ける重労働においてのみ生じる旅だ。提案書を書き、デザインをスケッチし、アイデアを売り込む。どれも私たちの多くがやり方を知っている仕事だ。問題は自分のアイデアを現実にするためにどこまで行くつもりがあるかということであり、これは創造的思考とはあまり関係のない課題だ。

創造的思考のためのHacks

別にいいんだけど、あなたが前をすっ飛ばして直接ここにきたことは知っているよ。

アイデア帳を付け始める
やり方は、頭に浮かんだアイデアは何であれ、いつでも書き留めるということだ。制限はない。何についてのどんなアイデアだろうとここに書く。そうすることで、自分のクリエイティブなリズムを見い出す助けになる。しばらく続けるうちに、一日のいつ頃が一番クリエイティブか気づくようになるだろう。私は紙のノートをお勧めする。スケッチしたり絵を描いたりできるからだ。しかしデジタルデバイスでも使える。何かで行き詰まったら、手帳をひっくり返すといい。解こうとしている問題に使えそうな、忘れていた古いアイデアを見つけることだろう。
潜在意識を働かせる
シャワーを浴びているときにアイデアが浮かぶ理由は、潜在意識がアイデアを浮かび上がらせられるくらい十分にリラックスしているからだ。それがもっと起こりやすくするために、頭のスイッチを切る時間を見つけるようにしよう。走ったり、泳いだり、ジョギングしたり、セックスしたり、あなたの抱えているクリエイティブな問題からは遠く隔たった何かをするのだ。
反転
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詰まったら、欲しいものとは逆のアイデアを出してみよう。やろうとしているのが最高のアルバムカバーをデザインすることだとしたら、最悪のアルバムカバーをデザインすることに切り替えてみる。5分間反転した問題に取り組むことで、フラストレーションが抜けて、笑いが浮かび、恐怖を乗り越えることができるだろう。あまりにもひどくて、ほとんどいいとさえ言えるものを作り出せる可能性がある。そしてゴールをもとに切り替えたときにヒントが得られるだろう。
モードを切り替える
誰しもアイデアを表現する際の中心的な方法がある。スケッチ、文章、話すこと。使っているモードを切り替えることで、違ったアイデアが見つかりやすくなる。表現のメディアに別なものを使うごとに、同じアイデアに対する見方が変わる。これは新しいアイデアを見つける方法であると同時に、考えているアイデアを掘り下げるための方法でもある。
即興劇のクラスを受講する
これはあなたが思っているよりも簡単で苦痛がない。これは創造の方法についてまったく新しい考え方を教えてくれる。即興劇のクラスの多くは楽しいパーティゲームのようなもので構成されており、リアルタイムでアイデアを組み合わせる方法を学ぶことができる。これはどんなクリエーターにとっても強力なスキルとなる。
パートナーを見つける
多くの人は、ほかのクリエイティブな人たちと一緒にいるときに最もクリエイティブになる。プロジェクトでパートナーを組んだり、一人でプロジェクトをやっているクリエイティブな人と一緒になることで、エネルギーレベルを高く保つことができる。そして彼らは辛いときに一緒に飲んでくれる仲間にもなる。
読むのをやめて始めること
“クリエイト⁠というのは動詞だ。活動的であること。何か作ること。会計学みたいには勉強しないことだ。何かをやって、たくさんの失敗をし、自分のクリエイティブなプロセスについて何か学び取るといい。だからWebから離れて何か作り始めることだ。

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