モヤモヤ議論にグラフィックファシリテーション!

第34回よく描く絵「目には見えないマスク』描ける話」

こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。

目には見えていないのに描けてしまう絵。今回紹介するのは「マスク」です。

前回・前々回の「べきだ枠」の絵もそうでしたが、その会議室にいる人たちが、実際はそんな格好をしているわけではないのに、絵巻物の中に描けてしまうという絵があります。今回紹介するのも、そんなふうに描けてしまう絵です。

喋っちゃダメーッ!「バッテン」マスク

下の「マスク」姿の絵を描いたときも、決して会議室の中に、花粉症や風邪をひいて「マスク」をしている人が居たから描いたわけではありませんでした。それなのに描けてしまった「マスク⁠⁠。そしてそこには必ずといっていいほど一緒に「バッテン」マークも描けてきました。

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これらの絵は、両方とも、⁠部下を見守る上司の姿⁠を描いた絵です。描いたときの議論の内容はいずれも「部下育成」が話題でした。

  • 「部下が自主性を発揮しないのはなぜだ?」
  • 「上司が細かく指示を出し過ぎているせいでは」
  • 「若いうちにもっと失敗を経験させないと成長しないのでは」
  • 「そのために我々も、部下の仕事を黙って見守ることも必要だ」

そんなやりとりを聴いて⁠部下を遠くから見守っている上司の姿⁠を最初に描きました。まだ「マスク」の絵は描いておらず、ただ、⁠部下から少し距離を置いて、黙って腕を組んで立っている上司の姿⁠でした。

しかし、気が付いたときには、その上司の口元に、⁠マスク」と赤くて大きな「バッテン」マークを描き足していました。

思わず描いてしまった「バッテンマスク⁠⁠。描いていたときは無意識なだけに、絵を振り返ったとき「どうしてこんな絵を描いてしまったのか」とじぶんでも毎回、不思議に思いました。でも、この「バッテンマスク」に何度も遭遇するたびに、このマスクの「バッテン」は、その上司に対するわたしの思いが勝って、筆を走らせたということが見えてきました。

口では「黙って見守る」と言うけれど

というのも、どの議論でも「部下を黙って見守ろう」という声が必ず上司の方たちから聴こえてくるのですが、実際に絵巻物の紙の上に描けた上司を見てみると、⁠黙って見守る」と言ったそばから部下に何か言いたげなのです…。そんな上司には思わずツッコミを入れてしまいたくなるほどです。⁠本当に一言も喋らずに居られますか?!」そんな私の気持ちが込められたのがこの「バッテンマスク」でした。

そもそも、最初から「部下を黙って見守ろう」という議論があったわけではありませんでした。たいてい最初は、上司であるみなさんから、日ごろ部下に対して抱えている愚痴や不満が聴こえてきていました。

  • 「部下に覇気が無い」
  • 「我々の若い頃は、じぶんで試行錯誤しながら経験を積んだもんだ」
  • 「自分から『こうしたい』⁠こうします』と上司に言っていた」
  • 「上司にわざわざ許可を取らずにやっていたことも多い」
  • 「最近の若手は、指示待ち状態…」etc.

ただ、プログラムや議論が進むに連れて

  • 「昔は新しいことに挑戦できる環境があったけれど」
  • 「時代も変わった」
  • 「今は失敗を経験できない環境にあるのではないか」
  • 「我々もあれはダメこれはダメとつい先に指示を出してしまっている」

という話になり、

「失敗を経験させよう」⁠仕事をもっと任せよう」⁠部下を黙って見守ろう」と聴こえてくる。そんな流れです。

こうした話の流れから描けてきた絵巻物の中の上司たちが、本当に明日から突然「黙って見守る」ことができるのかと思うと、正直「本当に黙って見守れるのかなあ」と思うのです。一度や二度ならともかく、今後その「沈黙」を継続していくとなると、これまでの習慣を変えるのは本当に難しいですよね…と思うのです。

で、思わずわたしの絵筆はその上司の口元に「バッテンマスク」を描いてしまうのです。⁠本当は部下に言いたいことがあるでしょうけど、言いたいことをぐっと抑えて!」という気持ちを込めて、⁠マスク」だけに留まらずその上から大きく「バッテン」と書き足してしまうのです。

本当に明日から「マスク」無しに「傾聴」できますか?

上記のことは実際のグラフィックフィードバックでも皆さんにお伝えしています。⁠本当に黙って見守れますか?」と。

ある管理職研修で、リーダーの「傾聴力」についての講演があったときにも、⁠リーダーとしてみなさんは普段、部下の話にどのぐらい耳を傾けているでしょうか」⁠パソコンを見たままの会話で部下の話を実際どの程度聴けているでしょうか」といった講師の話に、参加者のみなさんは深く頷き、講演の終わりには、何人かの方が

「明日から部下に対して⁠傾聴⁠を心がけたいと思います」

と宣言されました。でもそのときに描けたのも、赤くて大きな「バッテン」マークのついた「マスク」でした。そして思わず聞いてしまいました。⁠本当に傾聴できますかねえ?」と。

だって、1つの会社で20年以上ものキャリアを積んできた方々が、明日から急に「傾聴」している絵というのがどうしても描けなかったのです。絵巻物の中の上司はやはり部下の前に立ったら、いつものように先に口火を切って指示を出しそうだったのです。

「マスク」をしたら「耳」「開いた」!

しかし、こうした大きな「バッテンマスク⁠⁠。最初はわたしが無理矢理、嫌がる人の口に押し付けるように描いたものでしたが、描いてみたら意外な効能を発見しました。

「バッテンマスク」を描いたその人の顔の絵に、後から自然と「大きな耳」が描けたのです。

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「大きな耳」とはその人の「耳の穴」「大きく開いて」きた感じです。すると「あれ?! なんだか、上司であるこの方、部下の話を聴けそうな気がする!」と思えてきたのです。さっきまで「傾聴します」と言っても、⁠それは口先だけで、本当に部下の話を聴けるのかアヤシイなあ」と思えたその人に、そんな「大きな耳」が描けた途端に「聴ける!」と思えてきたのです。

…と、まるで他人事のように「本当に黙って見守れますか?」とツッコミを入れたり「マスクをしたら黙っていられそうですね!」と言いたい放題のわたしですが、⁠大きな耳」が描けたときに「この絵はまさにわたしだ!」ということに気づき、愕然としました。

グラフィックファシリテーションをしているときのわたしは、絵筆を動かしている間、一言も喋ることができません。でも、それはまさにこの絵でいうところの「バッテンマスク」状態だったのです。そしてそのおかげで私の耳は「開いて⁠⁠、いろんなことが聴こえるようになりました。

絵筆を持っていない普段のわたしは、⁠人の話を聴いているようで聴けていない」ということは多々あります。先ほどの上司のみなさんに言う資格がないほど、⁠聴く」ということは本当に難しいことです。

でも、グラフィックファシリテーターとして、絵筆を持つようになってから、多少なりとも人の話が聞けるようになりました。⁠聴こえてくる音声は可能な限り漏らさず絵に描く」という制約条件の中では、一切喋ることができないため、まさに知らず知らずのうちに「バッテンマスク」をしている状態となり、こんなわたしでも「耳が開いて」みなさんの議論を聴けるようになったのだと気付きました。

「バッテンマスク」が開く世界

この「バッテンマスク」のおかげで「耳が開く」という体験がどんなにすごいことなのかということをもう少し詳しお話します。わたし自身が、絵筆を持つ今の仕事をするようになって、聴こえてきたのは、わたしにとっては(正確にはわたしの耳にとって)すべてが新しい世界でした。

  • 「あの人は何度も同じことを言ってるな」とか。
  • 「さっきもその話は出たなあ」とか。
  • 「なんだか今の発言は何かに遠慮しているなあとか」とか。
  • 「結論を急いでいるけどどうもみんなは納得してない感じだなあ」とか。

こういう体験は、グラフィックファシリテーターとして「喋りたくても喋れない」という状態に追い込まれない限り出会えなかった世界です。わたしの耳は「開く」こともなく、聴こえてもこなかった世界でした。でも「耳が開いている」と同じ議論が全く別のものとして聞こえてくるようになりました。

  • 「やっぱりあの人は納得していないのかなあ」とか。
  • 「黙っているけれど本当は何か言いたそうだなあ」とか。
  • 「怒っているけれど本音は別のところにありそうだなあ」とか。

私の耳には、かつて会議の一参加者として座って聴いていたときとは全く違った世界として聴こえてきています。

  • 「なーんだ、本当はそれが言いたかったのか」とか。
  • 「なーんだ、そのことを気にしていたのか」とか。

そんな気づきから、堂々巡りの議論がぴたりと止まったり、絡まっていた議論がするりとほどけたりするという体験をするようにもなりました。これらはまさしく「バッテンマスク」のおかげで「耳が開いた」効能といえると思います。

「バッテンマスク」はグラフィックファシリテーターの疑似体験ができるツールともいえそうです。グラフィックファシリテーターと同じように議論を絵に描けますよとは言いませんが、冗談ではなく、実際に「マスク」をして会議や人の話を聴いてみると、今までとは違った聴こえ方を体験できると思います。プロジェクトでどうにも話がまとまらないと感じたときなどに、⁠マスク」は他人の話を全く違った世界としてあなたの耳に届けてくれる強制力のある補助ツールとして一役買えると思うのですが、どうでしょう。

組織活性のための、楽しく「バッテンマスク」活用

「バッテンマスク」の絵は、当初は、本当はしゃべりたくてたまらないその人に、わたしが半ば強制的に無理矢理描いていましたが、ある会社では、こんなに楽しく描けたことがありました。

その会社の幹部を集めた会議の冒頭で、経営企画室長がニコニコしながら次のように発言しました。

「みなさんは社長の前だと言いたいことも言えなくなるので、本日の会議に社長は出席させません」

そこで思わず描いた絵が下の絵です。

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その経営企画室長が、社長に向かってニコニコしながら「バッテンマスク」をつけている絵です。こんな楽しい絵が描ける会社ってなんだかステキじゃないですか。

実際このときの事前の打ち合わせでは、社長ご自身からも「社長のわたしが同席していると幹部のみんなが黙ってしまうので、今回は出席しない。議論した内容は後で絵巻物で報告してほしい」と言われていました。そして実際トップが⁠みずから⁠「バッテンマスク」をする絵が描けたこの日、当初は、普段大人しい幹部の皆さんが発言するかどうか心配されていたのですが、実際には幹部の皆さんの眠っていた自主性がめきめきと発揮され、とても有意義な議論が生まれました。

部下の本音を引き出すために、社長を見習って「バッテンマスク」⁠じぶんから⁠してみるのは、組織マネジメントにはとても有効な手段だったのです。今まで聴こえていなかったことが「聴ける」ツールになりうると思いました。組織でも、プロジェクトでも、上司や部下との間でも、コミュニケーションがうまくいかないなあと感じたとき、⁠バッテンマスク」を意識して本当に「マスク」をつけているつもりで黙って聴いてみると、とにかく何か全く新しい世界として聴こえてくると思います。若手や後輩の意外な可能性と自主性が、音声となって聴こえてくるはずです。

「バッテンマスク」“じぶんから”つけて「聴ける人」になる

少なくとも部下から「あの上司に『バッテンマスク』をつけさせたい」と言われる前に、⁠じぶんから⁠つけてみたいものですが、これまでグラフィックファシリテーションで同席した会議の中で、⁠この人はヒトの話を本当によく聴いているなあ」と絵筆が感じた人たちを思い出してみても、その人たちには自然と「バッテンマスク」「大きな耳」が描けてきます。

以前連載4回にも書きましたが、一見すると会議中とても無口な皆さんなのですが、わたしの筆がグイグイ走らされるその人たちは、⁠いいことを言うなあ」とか「その視点は見落としていたなあ」とか、筆が走らされる理由はいろいろですが、

  • 「会議中、発言が少ない人ほど、じつはよく議論を聴いていることが多いなあ」
  • 「会議中、静かな人ほど、じつはよく議論の流れを見ているなあ」

という印象でした。

そして、議論の要所要所で鋭い発言をする彼らの「聴いている」静かさは、喋り過ぎの傾向にあるわたしには憧れでもありました。ついついマスクを外して喋りがちな私としては、常に⁠じぶんから⁠「バッテンマスク」をつけるという行為を心がけたいと思いました。

さて、この「バッテンマスク」にはじつは2つのタイプがあります。次回は、もう1つのタイプについて紹介したいと思います。いずれのタイプもその存在そのものを知っているだけで、コミュニケーションが格段に楽になると思いますので、次回も楽しみにしてください。ということで、今日のところはここまで。

グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/

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