Lifelog~毎日保存したログから見えてくる個性

第21回 出てくる体験・レーザーディスク

この記事を読むのに必要な時間:およそ 3 分

PileDesktopのモチーフ

この1981年10月には,いまは『観用少女』で知られる川原由美子が,小学館の『週刊少女コミック』誌上で『すくらんぶるゲーム』の新連載を開始しています。ミニコミ誌の編集部のどたばた騒動を扱うこの第1回目の表紙の背景に注目です。編集部の壁を見ると,写真や地図やメモや紅葉(こうよう)の紅葉(モミジ)が無造作にとめられています。

『週刊少女コミック』1981年11月5日号。

『週刊少女コミック』1981年11月5日号。

雑誌なので月号表記は1カ月進んでいます。この背景の無造作なメモや写真のレイアウトは『SmartWrite』『PileDesktop』『PictureView』を彷彿とさせます。

いまあらためてこのイラストを見ると,これまで作ってきた『SmartWrite』『PileDesktop』『PictureView』のモチーフは,ここから生まれているのだ,ということをしみじみと感じます。紙と写真とメモとオブジェクトを混在できる自由度の高さ,手書きならではの表現力の再現,無造作で無作為であるようでいて全体として統一感のある自然さ。重ね合わせと重ねによる影,文字のサイズや書記方向の自由さ,etc.

な~んだ,これを作りたかったのか,という感じ。無造作で無作為なものが好きなのは世阿彌の影響かと思いますが,つくづく,自分の底の浅さというか,自分を構成しているものの多くの出典を知ることができることに,不思議な感覚を覚えます。

前回保坂和志の「自分がしゃべっている言葉の出処を忘れているかぎりにおいて,その言葉は自分の言葉ということなのだろう」⁠保坂和志『小説,世界の奏でる音楽』新潮社 pp.271)という言葉をご紹介しましたが,⁠帰ってきた時効警察オフィシャル本』⁠太田出版)を読んでいたら,映像作品をめぐるオダギリジョーのインタビューの一節にこんな話が出ていました。

オダギリ: 僕のなかでの,フェリーニに対するオマージュであって,ほかにも僕の好きな作品,監督に対してオマージュ的に撮らせてもらったシーンがいくつかあります。

―― 作品というのはすべて,経験的な記憶で出来上がってるものですからね。そこも含めて"自分らしさ"だという。

オダギリ: どう吸収したかってことがアウトプットするときに"自分らしさ"に変わっていくのでしょうね。

『帰ってきた時効警察オフィシャル本』⁠太田出版 pp.20)

『帰ってきた時効警察オフィシャル本』⁠太田出版)

『帰ってきた時効警察オフィシャル本』(太田出版)

映像作品をめぐるオダギリジョーのインタビューより。⁠帰ってきた時効警察オフィシャル本』⁠太田出版 pp.20)

出処を忘れていないというか,出処は忘れていても,ライフログシステムによって,容易に出処が出てくるわたしにとって,自分はばらばらにぶちまけたパズルのピースのようにばらばらな存在に感じられます。津野海太郎の『新・本とつきあう法 活字本から電子本まで』⁠中央公論社)に,本を読むと本が考えてくれてしまうという話が出てきます。自分と外から来るものとの関係に自覚的になることとは,マイケル・ポランニーのいう「暗黙知」を明晰知に変えることでしょうか。

本を読むったって,本を読むだけで終わったんじゃ,つまらないでしょう。ウェーバーについて詳しく知ったって,ウェーバーのように考える考え方,なるほどさすがにウェーバーを長年読んできた人だけあってよく見えるものだなあ,ウェーバー学も悪くないと思わせる見方を身につけなければしかたがない。論語読みの論語知らずといいますね。字面の奥にある「モノ」が読めてこなけりゃなりません。本をではなくて,本で「モノ」を読む。これが肝心で,つまり,真の狙いは本ではなくてモノです。

内田義彦『読書と社会科学』⁠岩波書店)

自分である,というのは長い道のりであることです。ほんとうに。

内田義彦『読書と社会科学』⁠岩波書店)

内田義彦『読書と社会科学』(岩波書店)

懐かしい感じのする岩波新書です。ときおり読み返してます。

内田義彦『読書と社会科学』(岩波書店)

本を読むのでなく,読んだから深い考えをもつようになる,というのが重要だというわけです。

内田義彦『読書と社会科学』(岩波書店)

しみじみしみじみ。ふむふむ。

著者プロフィール

美崎薫(みさきかおる)

夢想家,未来生活デザイナー,『記憶する住宅』プロデューサー,記憶アーティスト。住宅,書斎,机をはじめ,ハードウェア,ソフトウェアの開発をプロデュース。著書『デジタルカメラ2.0』(技術評論社)など多数。