禅で学ぶ「エンジニア」人生の歩き方

第1回お仕事として向かい合う

お初にお目にかかる方も多いかと思いますので、まずは自己紹介などさせていただきたく思います。

お仕事としてエンジニアを……そろそろn年ほどやっております、がる と申します。この連載を通して、エンジニアの方が「エンジニアとしての人生とどう向き合っていくか」の一助になれば、と考えております。しばしの間のお目汚しとなりますが、ご笑覧いただければ幸いです。

さて。よく「コンピュータは0と1で融通が利かない」と申しまして……それに関しては特に異論はないのですが、これが「コンピュータシステム」となりますと……少々異論がございます。

「コンピュータ」とは異なり、我々が開発対象とする「コンピュータシステム」というものは、それはそれは人間味があって泥臭い、割り切れないものであります。

それも当然といえば当然で。コンピュータシステムの根底にあるのは「使う人の欲望の類」であり、それが「1と0で割り切れるほどに単純かつ明朗なものではない」のですから。当然ながら、その具現化されたものであるシステムもまた、それなりに色々な混沌を孕むものでございます。

また一方で、コンピュータの世界は「日進月歩」どころか「秒進分歩」なんて言われる世界なのですが、それについていくための「スキルアップ」やら「学習」やら「トレーニング」やらもまた、なかなかにハードワークなのではないかと愚考いたしますが如何でしょうか?

そうして、ふってわくような「無理無茶」と秒進分歩の学習との両輪を成立させることを考えると……注意しないと、少々疲労やらストレスやらが気になってしまいます。

そうして……非常に残念なことなのですが……

そんな状況で実際に心身が疲弊してしまうケースが、決して「稀である」とは言い難いのが、多くのエンジニアが置かれているいまの現状なのではないかと愚考いたします。

そんな「心身の疲弊」に対処する術は、おそらく不可欠なものではないかと思っています。

そういった「心身の疲弊」に対して、昨今様々なメンタルヘルスにまつわる書籍、ストレス対処法などが出回っていますが、その中で、私はこの連載を書かせていただくにあたって「禅」をチョイスさせていただきました。

別に「禅でなければならない」理由は何一つないのですが、仏教は……正直なところ、おそらく宗教の中でも、かなり「緩くてアバウトで清濁合わせて飲みやすい」特徴を持っていると思っています。

そうして、仏教の一派である禅と、その禅に由来する言葉たちもまた、とても良い感じに緩い……もとい、清濁を併せのんだ、ゆったりしたものが多いのです。

そんな緩さが、きっと「厳しくてタイトな」エンジニアライフに、エンジニアの心身の健康に、とても有益なのではないかと思っています。

この連載では、毎回、2~3個程度の「禅に由来する言葉(禅語⁠⁠」をチョイスして、紹介するとともに、それが「どうエンジニアに関連するのか」を解説していきながら、すこし今までとは異なる角度で「心身が疲弊しないエンジニアライフ」について語っていければと思います。

この連載が、皆様の心身の健康への一助になることを祈っております。

禅語「挨拶」

ランク:新人 カテゴリ:職場にて

よく「挨拶は大切」とか言いますが、挨拶ってなんでしょうか? といいますか。皆さんは挨拶をどのようにされてますか?

まず一番いただけないのが、無言です。朝出勤しても無言。通路ですれ違っても無言。夕方帰る時も無言。せっかく顔を合わせているのに、ちょっとどころではなく寂しいと思いませんか?

次に……案外に多い、でもいただけないのが「形式的な挨拶⁠⁠。⁠挨拶なんかしたくないけど規則だから仕方なく」⁠挨拶しないとおかしいと思われるから仕方なく」⁠社会的な常識だから」など。表情に、特に目に、ありありとその思いが出てしまうものです。でも「嫌そうに挨拶」をするのもされるのも、なかなかに嫌なものだと思いませんか?

とはいえ。

そもそも「挨拶」って、なんなのでしょうか? なぜ、したほうがよいのでしょうか?

実は、⁠挨拶」という言葉自体が、禅に語源を持つ言葉なのです。元々は「一挨一拶」といいました。ついでに言いますと……挨拶(一挨一拶)は本来、気軽に出会い頭に、なんて手緩いものではありません(苦笑

挨とは「背中を叩く、押し進む、迫る、近づく⁠⁠、拶とは「責める、迫る、はさみつける、押しつける、切り込んでいく」という意味合いがあります。

つまり「近づいて迫って押し進んで責めて切り込んで押しつけてはさみつける」のが、挨拶です。……どう考えても「日常出会い頭に気軽にする」ものだとは思えない字面のオンパレードです(苦笑

……何をしたいんでしょうか? 禅は。

禅における「挨拶」とは、⁠相手がどれだけの見識を持ったかを悟ったかをその浅さ深さを確認する」ための行為でした。簡単に言うと「力量をはかる」ってやつですね。相手の見識をはかるわけですから、相応に深い突っ込んだやり取りをするわけで。

つまり「近づいて迫って押し進んで責めて切り込んで押しつけてはさみつける」ことで、その相手の反応の返し方を見ることで、力量を判断したわけです。

挨拶をするほうもされるほうも、真っ向からの真剣勝負。そうやって、お互いに相手を知り、理解し合ったわけです。

いや別に職場でそこまでのことを、ましてや朝昼晩やりましょう、とは全くもって思わないのですが(ンなこと毎朝やってたら、多分疲れます⁠⁠、そうしてまた、今一般的に言われている「挨拶」が、そこまでヘビーなやり取りであるわけではないのですが、挨拶には「あなたを知りたいし私のことを知って欲しい」という、お互いが手を繋ぐための一番はじめの願いが込められているのは、今も変わらない挨拶の根底です。

エンジニアはお客様の「思い」をくみ取って形にするお仕事でもありますし、一方でスキルアップのために、教え教わることはとても大切な側面です。

ということは。相手とのコミュニケーションは「大切」とか「重要」とかを通り越して「必須」です。そうして、まず「コミュニケーションの入り口」としての挨拶は、エンジニアとしてやはり必須なのではなかろうか、と私は思います。

  • 「これから、今後とも、よろしくお願いいたします」
  • 「あなたの思いを伝えてください。聞かせてください」
  • 「わからないことがあったら教えてください」
  • 「わからないことがあれば聞いてください」

そんな思いを気持ちを込めて。

まずは、一言。言葉で「相手の心にノック」をしてみませんか?

禅語「放てば手にみてり」

ランク:中級 カテゴリ:スキルアップ

この禅語は、学習の時とデバッグの時に非常に有意義な言葉です。どちらか片方を切り離して語っても旨味が少ないので、せっかくですから両方を狙っていきましょう。

まずは言葉の説明から。なんの比喩でもない、非常に直接的な話なのですが、あなたが今「何をさておいても欲しい」ものが、目の前にあるとしましょう。しかもなんとお持ち帰り自由です。

でも、あなたの手は、ほかの場所で「欲しいんだけれども目の前にあるものほどではない」ものをたくさん持っていて、手が完全にふさがっています。新しいものを持つ余地などまったくありません。

さて。どうしますか?

あなたは手にひとつの鉢を持っています。すでにその中にはなみなみと注がれた水があります。その鉢に、さらに新しい水を注ぎ入れるには、どうしたらよいでしょうか?

冷静に優先順位に従って、手に持っている荷物をいくつか捨てるなり、鉢の中の水をいったんぶちまけるなり出来ればよいのですが。そうすれば欲しいものを持つこともできますし、新しい水を鉢に注ぎ入れることもできるのですが。

人はつい「もうちょっとなら持てるんじゃないか」⁠表面張力もあるしなぁ」と思い悩んで、そこで固まってしまったりするものなんですね。経済関係だと「サンクコストの呪縛」なんて言葉もあります。

人間の過去は思い込みや執着は、なかなかに激しいものがあります。

一度、思い切って全てを手放してみれば、そこからまた新しい何かが広がります。それこそが「放てば手にみてり」という言葉です。執着や固定観点を一度とっぱらってみてはどうですか? という言葉です。

何かを学ぶ時に、つい「今まで学んだことを無意識のうちに前提にしてしまう」ものなのですが、そんな「水がなみなみと入った鉢」に新しい水(知識)を注ぎ入れようとしても、いくばくも入らないのは自明の理です。

いったん頭をカラッポにして(鉢の水を全てぶちまけて「カラッポ」にして)真っ直ぐな心で学ぶことで得られるものもあるのではないでしょうか。芸能の世界ですと、守破離なんて言葉もありますね。このうち「守」の部分にあたる発想です。

デバッグをする時にかならず耳にする言葉があります。

「ここはうまくいっている⁠はず⁠⁠ここは問題ない⁠はず⁠⁠。

本当に? そこがうまくいっていたらそもバグにはなっていないですよね?

ちゃんと出来ている「はず⁠⁠、問題ない「はず⁠⁠。ここではない「はず⁠⁠。そんな両手の荷物は全部、捨ててみてはどうでしょうか? そうして、1ステップ1ステップ、1変数1変数を「偏見のない目」で見ることで、今まで見えなかったバグが、ひょっこりと顔を見せてくれるのではないでしょうか?

何かに執着してしまいそうな時。⁠放てば手にみてり」という言葉を是非思い出してみてください。

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