禅で学ぶ「エンジニア」人生の歩き方

第5回 四つの戒め

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禅語「規矩不可行尽」

ランク:中級 カテゴリ:職場にて

今回のパターンに従って,まずは文を書いてみます。

「規矩不可行尽(規矩行い尽くすべからず⁠⁠ 行尽人必之繁(規矩行い尽くせば人必ずこれを繁とす⁠⁠」

規矩とは少々見慣れない言葉ですが,大本はぶんまわし(コンパス)と定規(物差し)のことです。大工さんの世界では,今でも「規矩術」という言葉が残ってますね。

で……そこから発展して,規矩には「手本,規則」なんていう意味があります。

つまり,少しかみ砕きますと「手本/規則通りの行いを尽くしてはいけない」となります……が……はて?

ルールを守りコーディング規約に則って規則通りにすることの,いったい何がよくないというのでしょうか?

規則やルールは,概ね「遵守しなければならないもの」と教わるものなのですが……ここに実は,いくつかの落とし穴があります。

ルールや規則を「絶対的に正しいから守りなさい」という人たちが時々いるのですが。もし例えば,規則やルールの最たるものである法律が「絶対的に正しい」のであれば,なぜ「法改正」などというものがあるのでしょうか?

その一点を考えても,規則やルールの類が「間違いなく正しい」とは,言い切れないことがわかります。

よく「法の網の目を潜り抜ける」などという言葉があるとおり,規則をただ杓子定規に守ろうとすると,その規則で書ききれなかった抜け道を通る悪意ある人が出てきたり,また逆に「本当ならその法で守るべき対象」を守りきれなかったり,などという矛盾が起きることも,残念ながら皆無ではありません。

さらに別の角度から見ると。
⁠規則通りにやればよい」とだけ教わってしまいそれに慣れてしまうと,現実の荒波にあっさりと負けてしまう,なんていう保護された業種/立場の人も,稀にとはいえいらっしゃると思うのですが如何でしょうか。

また……これは「作り話」の中だけのことだ,と信じたいのですが。
⁠規則とは,上が下を締め上げて,上が自分の立場地位財産その他を守るためにあるのだ」というようなシチュエーションの小説を読んだこともあります。
とはいえ。いわゆる「血縁で固められた企業」で,これに近いことが行われている,という話を耳にしたことがないわけでもありません……残念なことに。

このように,規則とは決して「絶対的」なものでも「平等」なものでもありません。むしろ「非常に不完全で不平等なもの」なんですね。 だとすると「規則だから,という理由で盲目的に従う」には抵抗感があることもわかりますし,つまり「盲目的に従え」と相手に強制するには少々難しいであろうことも想像ができます。

しかし一方で「規則がない状態」がどれほど無法地帯であるかは,これは言うまでもないと思います。 であるとすれば……どこに落としどころを持って行くとよいのでしょうか?

さて,ここで質問です。大切なのは「一言半句違えず,規則という文章を遵守する」ことですか? ⁠その規則を作るに至った理由を基準に,自らで思考する」ことですか?

規則には大抵「なぜその規則を作るに至ったか」という,理由があります。例えば法律ですと逐条解説というものが存在します。

この手の議論で,技術者にとってわかりやすいお話しに「GoTo文に関する議論」があります。

元々GoTo文が「好ましくない」と言われていたのは「プログラミングの構造化を妨げ,可読性やメンテナンス/保守性を著しく低下させる」から,だったと思うのですが,この「構造化,可読性の低下」の部分が忘れ去られ,ただGoTo文があるだけで「すべからく駄目である」とされてしまう文章を拝見したことがあります。

このあたりが「その規則が出来た理由」が忘れ去られてしまい「規則だけが形骸化した」一例です。

ほかにも……ご自身で経験が無くとも。先輩達に話を聞けば「無用の長物というよりもむしろ有害な規則/規約にまつわる話」は,きっとなにがしか聞けるのではないでしょうか?

これが「規矩行い尽くせば人必ずこれを繁とす」です。 つまり「盲目的に規則/ルールを強要されると,人はそれをわずらわしく感じる」ということです。

規則やルールには必ず「理由」がありますし,またそれは「その当時の理由」であって,今にそぐうかどうかも解りません。
また,仮にそれが「全面的に正しい」としてもなお,⁠正しいから従え」という言い方では無用の反発を産んでしまいます。

「味噌の味噌くさきは,上味噌にあらず」なんて言葉もありますし,そも禅にも,大本の仏教にも,聖凡の区別は本来ありません(禅語ですと⁠廓然無聖⁠なんて言葉もありますね⁠⁠。

規矩行いは,⁠何故そのルールがあり,それは今の状態にとって必要なのか」を,常に考えながら「必要に応じて最小限」だけにとどめるように,心に留め置きたいものです。

もし,そのルールが「本当に重要なもの」であれば。ルールを破って,一番重い火傷をするのは当人なのですから。

禅語「好語不可説尽」

ランク:上級 カテゴリ:教育

法演の四戒もこれが最後になります。最後の戒めは,こんな感じです。

「好語不可説尽(好語説き尽くすべからず⁠⁠ 説尽人必之易(好語説き尽くせば人必ずこれを易る⁠⁠。

ある程度色々な言葉を覚えると,特にそれが「好い言葉」である場合,とかく人に伝えて伝えて伝えたいものなのですが,禅ではそれを戒めています。

それは何故でしょう?

一つには「言葉だけでは伝わらない⁠⁠。二つには「押しつけても届かない」というのがこの言葉の真意になります。

例えば。火傷がどれだけか痛くて辛いことを,どんなに言葉を尽くしたとしても。言葉で痛みを正確に伝える事はできません。
例えば指先の細工物の仕方を,どれだけ「言葉だけ」で伝えても,指が動くわけでもなければ感覚が掴めるわけでもありません。 何となく頭だけで考えて,わかった「つもり」になって終わってしまうでしょう。

また。
受け入れる準備ができていない人に百万言を費やしたとしても。相手が受け入れる気がなければそれはただの騒音,ノイズに過ぎません。

これが「好語説き尽くせば人必ずこれを易る」です。

易るは「あなどる」と読みます。この部分を「安んず」とするところもあるようですが,意味合いはいずれも同じです。

言葉は,きちんと選べばわかりやすいものになりますが,一方で「非常に軽い」こともまた,事実です。 ⁠百聞は一見に如かず」という言葉もありますね。

だからこそ。
⁠わかりやすい」長所を最大限に生かしつつ「軽い」という短所を補うためにも,好語はタイミングが重要であり,なおかつ「説き尽くすべからず」なのです。
途中までは道案内をするけれども,最後につかみ取るのは己の力でなのだぞ,と言っているのです。

どうしても「つい」1から10どころか100まで口を出してしまいたくなるところを。 どこまで「ぐっ」とこらえて相手を信用して。本当に重要な勘所のピンポイントを「わずかばかりの言葉」で誘導だけして,後は当人に悟らせるか。

上職たるあなたの腕が経験が知恵が,問われる瞬間なのではないでしょうか?

「好語説き尽くすべからず⁠⁠。人を指導する立場において,何よりも旨に留め置きたい一言なのではないかと,私は思っております。

著者プロフィール

がる

こなしている職業を語ると「……で,何屋さん?」と聞かれる,経歴が怪しいエンジニア。「知のコラボ」とか「シナジー」とかって単語で上手に糊塗してみたい。