[祝!ダイオウイカ動画撮影成功]日本人が世界で初めて撮った「モンスター」─この手に“The First”称号を~世界を驚かせる日本人科学者たち

この記事は技術評論社刊『英語野郎 Vol.2』⁠2005年12月22日発行)に掲載されたものの転載です。このほど国立科学博物館の窪寺恒巳氏をはじめとするチームにより動く姿が撮影されたダイオウイカ、2005年にその写真撮影に初めて成功した際の窪寺氏のインタビューをここに公開します。

2005年9月28日、イギリスの学術誌『The Royal Society』のWebサイトで、世界中の海洋学者にとって衝撃的な論文と写真が公開されました。これまで誰も見たことがなかったダイオウイカgiant squid学名:Architeuthis)の生きた姿を、国立科学博物館の窪寺恒巳さんら日本の調査チームが初めて撮影に成功したのです。

世界で最も巨大な無脊椎動物the world's largest invertebrateであるダイオウイカは、ときたま死骸が海岸に打ち上げられたり、死にかけた状態で漁網にかかることはありましたが、深海に棲息していることもあってその生態は謎に包まれていました。数多くの科学者やカメラマンが生きたダイオウイカの姿を追い求め、撮影を試みたものの、いずれも失敗に終わっています。

AP通信The Associated Pressが配信した記事のリードを見てみましょう。

Scientists Get First Photos of Rare Giant Squid in Wild

TOKYO (AP)-- When a nearly 20-foot long tentacle was hauled aboard his research ship, Tsunemi Kubodera knew he had something big. Then it began sucking on his hands. But what came next excited him most-- hundreds of photos of a purplish-red sea monster doing battle 3,000 feet deep.

※tentacle:触腕

※be hauled aboard:船上に引き揚げられて

※suck on:~に吸い付く

調査船に引き上げられた約20フィート(6m)もの触腕、窪寺さんがそれに触れるとさっきまでダイオウイカの一部だったそれは、まるでまだ持ち主がいるかのように手に吸い付いてくる、しかし引き揚げられたもうひとつの成果であるカメラはもっと興奮を誘うものだった。深海3,000フィート(900m)で激しく動く怪物─モンスター)の何百枚もの写真を撮っていたのだから…。

─―船上での窪寺さんたちの熱気が伝わってくるような、躍動感あふれる文章です。

今回の撮影成功について、窪寺さんはAP通信の取材に対し「We were very lucky」と答えています。しかし単なる偶然によるものではなく、長年に渡る地道な調査と研究が千載一遇の⁠lucky⁠をもたらしたのは明らかです。科学者にとって最高の名誉とも言うべき「一番乗り」を果たした要因はどこにあったのでしょうか。

漁師さんのテクニックを応用

さっそく、国立科学博物館の窪寺さんにお話を伺いました。

窪寺恒巳さん、ダイオウイカの模型を手に、親切に説明していただきました
窪寺恒巳さん、ダイオウイカの模型を手に、親切に説明していただきました

窪寺さんがダイオウイカの撮影にあたってまず目をつけたのはマッコウクジラです。よく図鑑なんかで格闘する図が描かれていますが、実際マッコウクジラの胃の内容物を調べると、95%以上はイカを食べているそうです。そこで、マッコウクジラのいるところにはイカもいると考え、日本の近海でマッコウクジラが多く見られる小笠原に乗り出しました。

ダイオウイカと違って、マッコウクジラは呼吸のために必ず海面に上がってきますから、そのときに記録装置をとりつけると、ある程度行動パターンを調べることができます。こうしてマッコウクジラのいる水深や海域を調べて、そこにアタリをつける形で撮影装置を仕掛けました。

仕掛けは小笠原の漁師さんが「旗流し」と呼んでいる釣り道具を改良したもの(図1)で、水面に出た浮きからダイオウイカが生息していると思われる水深400~1000メートルの深さに、エサとなるスルメイカJapanese Common Squid⁠、エサのにおいを出すオキアミのすり身mashed euphausiid shrimps⁠、そしてカメラと深度計がセットされたユニット(NTPR systemと呼ばれている=写真)を垂らして写真を撮るというもの。

図1 仕掛けの概要、bait squidはイカ型の疑似餌
図1 仕掛けの概要、bait squidはイカ型の疑似餌

カメラユニットに触らせてもらいましたが、非常に頑丈で重かったです。NTPRとは国立極地研究所National Institute of Polar Researchのことで、この機材はもともとアザラシの胴体に取り付けて、アザラシの視点で見えるものを撮るために開発されたそうです。

双眼鏡のような形の一方の筒がデジタルカメラ、もう一方にストロボが付いていて、同調して撮影できます。中には深度記録計depth loggerとタイマーが入っていて、タイマーで撮影開始時刻や撮影間隔をセットし、撮影中の水深も同時に記録できます。水深2000メートルまで耐えることができます。ただ、特注品で非常に高価なので、なかなか買えないとのこと。この機械も作られてから10年以上経っていて、データは撮影後に引き上げて、パソコンにつなぐまで見ることができません。撮影できる画像のサイズが150Kバイトで最高600枚、最短撮影間隔も30秒と、現在のデジカメと比べると、ちょっとパワー不足が否めません。

窪寺さんの前にあるのが実際にダイオウイカを撮影したNTPR systemと呼ばれるユニット
窪寺さんの前にあるのが実際にダイオウイカを撮影したNTPR systemと呼ばれるユニット

2002~2004年にかけて、9~11月のマッコウクジラが小笠原に近づくシーズンにこの機材を毎朝早くから海に出てセットして、5時間くらいかけて連続撮影が終わるのを待って回収、戻ってパソコンにつないで撮った写真を確認、という作業を繰り返しました。その間下ろす深さや海域、エサとカメラの間隔を変えたり、オキアミをつけたりといった試行錯誤を行い、23回めにやっとダイオウイカを撮影できたそうです。仕掛けをセットした後も陸に戻って一服なんてできず(旗が見える範囲にいないと見失ってしまうそうです⁠⁠、2台あったカメラも1台無くしてしまうなどアクシデントにも見舞われ、簡単に撮れたわけではありません。

意外とアクティブなダイオウイカ

窪寺さんたちがダイオウイカの撮影に成功したとき、海の中ではどのようなことがおこっていたのでしょうか? 撮影間隔は30秒ごとですが、これらをつなぎ合わせることで、まるで動画のストップモーションのように動きが再現されます。

最初にエサのスルメイカに食いついたダイオウイカは、エサを食べ終わった後、一度カメラの視界からフレームアウトします。その間どこかに逃げていたわけではなく、実は触腕の1本が疑似餌の先についていた釣り針に引っかかって、抜けなくなったのを引っ張り回していたため、カメラの視界の外に離れていたのでした。

実際に撮影されたダイオウイカの映像。触腕を丸めてエサを抱え込み、真ん中にある口に運んでいます。これは、ボールのように包み込むためラッピングwrappingと呼ばれています
実際に撮影されたダイオウイカの映像。触腕を丸めてエサを抱え込み、真ん中にある口に運んでいます。これは、ボールのように包み込むためラッピング(<span styl

8.5分後にカメラのフレームに再び入ってきたダイオウイカは、引っ張り回すのをやめ、今度はほかの腕を使って引っかかったところを外そうとします。この後、何度か同じような行動をとったあと、とうとう引っかかった触腕が切れてしまい、ダイオウイカは逃げていきます。ダイオウイカが逃げた後のゆるんだ糸と、疑似餌の針に残った触腕もしっかり写真に残っています。この触腕を引き上げてDNA鑑定をしたところ、まさしくダイオウイカの組織であることがわかりました。

イカの体は海水より重く、ダイオウイカのような巨大なイカが深海で泳ぎまわるには大きなエネルギーが必要です。ダイオウイカは浮力を得るために、体の組織に液胞pockets of ammonia solutionと呼ばれるアンモニアが入った浮袋のような細胞があり、筋肉の密度もそれほど高くないので、あまり活発な生き物ではないと考えられていました。しかし今回の撮影で触腕をふりほどこうとして暴れるほどアクティブであることや、触腕も意外と丈夫で、器用に巻き付けたりできることがわかったそうです。これならマッコウクジラとも、結構いい勝負ができるのかもしれませんね。

世界の反響、日本の反響

こうして撮影された世界初の写真は、冒頭に紹介したとおり窪寺さんによって英国の学術誌に論文として掲載され、大きな反響をもって迎えられました。もちろん世界初なので、世界レベルで発表すべきことですが、おそらく日本の学会誌に日本語で載せても、それほど大きな話題にはならなかったのではないか、と窪寺さんは振り返ります。

一方、海外で大きく発表されたものには、日本のメディアは飛びつきます。同じ内容でも日本で発表された方が低く見られる傾向があるようです。今回も、BBCやCNNなど海外の蒼々たるメディアが取材に押し寄せ、その後追い、あるいは再配信のような形で日本のメディアにも取り上げられたというのが実際のところです。

実際、撮影から英国誌(のインターネット記事)で発表されるまで1年弱くらいかかっていますが、その間ほかの研究者にも秘密だったので、よけいに驚かれたそうです。そのころちょうど(2006年1月28日まで)国立科学博物館で開催されている「パール展-その輝きのすべて-」という特別展の責任者として、開幕日を迎えたその日に発表があったため、窪寺さん自身も大変だったそうです。

もう一点、イカ(あるいはタコなどの軟体動物)についての一般的な印象が、日本と欧米では大きく違うというのも窪寺さんが指摘する点です。日本では、イカ、タコというとまず食べ物という発想になって、たとえば「ダイオウイカの足はにぎり寿司何人前?」という質問がまず出てきますが、これに対して欧米では昔からクラーケンKrakenという伝説の怪物を筆頭に、巨大なイカ、タコは「海の魔獣」というイメージを持っています。このあたりの認識の違いが、マスコミの報道や取材にも大きく表れると言います。

日本のある新聞記事などは、窪寺さんの撮影した写真に「ダイオウイカもお食事中」などと脳天気な見出しをつけていますが、海外メディアでは「Sea Monster」⁠Legend of the Deep sea」⁠Predetor」などとおどろおどろしい見出しが並びます。

ダイオウイカはまだ小物?

今後ももちろん調査を続けるという窪寺さん。英国学術誌に載せた論文「First-ever observations of a live giant squid in the wild⁠⁠-Tsunemi Kubodera, Kyoichi Mori,『The Royal Society』では次のように結んでいます。

This encounter was part of an ongoing and broader research program by the authors on the biomass and composition of large meso- and bathypelagic cephalopods of Japanese waters. We look forward to further insights from such research.

※bathypelagic cephalopods=深海浮遊性 頭足類

さらに深海に潜むと言われているまだ見たことのない巨大イカの発見を目ざし、これからも頑張ってください。⁠英語野郎』も応援しています。

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