書籍『ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』の補講

第3回 事実は小説より奇なり

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ガウスとボヤイ親子

ヤーノスの『空間の科学』は,ゲッチンゲンの天文台長で教授になったばかりのガウスに,父ファルカスから1831年6月20日の日付で届けられた。賞賛を期待していた父ファルカスへの返信は,⁠すでに自分でも長年研究したことであり,ご子息がこれ以上この問題にかかわるのは感心しません」というふうなものだった。

一方のロバチェフスキーの仕事に対して,ガウスはある程度の理解を示したようだ。ロバチェフスキーは,やがて母校カザン大学の学長として出世した。

ヤーノスの父ファルカスは,学生時代から平行線の永久問題を解くことに情熱を燃やして,ガウスと議論をしてはその論理の瑕疵を指摘されていた。ヤーノスは,父が果たせなかった夢を達成したと思ったが,自分より先にガウスが第5公準を否定して新しい幾何をつくる発想を得て研究を進めていたことを知って,数学への意欲を失なってしまった。

1832年にガウスがゲーリング(Christian Gerling 1788-1864)にあてた手紙には,ヤーノスが第一級の天才だと言いながら,実際には父子に対して冷淡であり,ロバチェフスキーの存在すら知らせていなかったのが不可解である。このあたりの裏の事情を詮索しようとしてはいけないだろうか?

ファルカス・ボヤイは,息子の自慢話をガウスへあてた手紙に書いている。それに対してガウスは,自分の息子は身体がひ弱で,数学の才能には恵まれていないことをしたためている。ガウスにしてみれば,親友とは言えファルカス・ボヤイの自慢話は,うっとうしくはなかっただろうか?

当時,親しい間柄の青年同士は,手紙にずけずけとものを言う習慣があったのかもしれない。例えば,父ファルカスがガウスにあてた手紙で,お前の娘が自慢息子と危険な関係になるような可能性はないだろうなとか,お前のワイフはお風見鶏のように気分をくるくると変えるような女性ではないだろうな,などと言っている。親友とは言え,偉くなっていたガウスには,ムッとくる手紙ではなかっただろうか?

一方,ファルカスは地方の名門の出で名士でもあったから,ガウスから冷淡に扱われた息子のヤーノスが精神的に苦しむようになったことに,耐えられなかったに違いない。

才能を育てるにはトレーナーが重要

科学の歴史もそうだが,野球やサッカーのようなスポーツの名プレーヤを輩出するメカニズムには,監督だけでなく,トレーナーが重要である。科学史に登場する天才は,いろいろなやり方で,教師(トレーナー)を超えた。

アインシュタインは,幾何学の専門家ミンコフスキーの授業をサボって超えた。

ヤーノスは,父がこだわっていた永久問題を解く(第5公準を他の4つの公準から証明する問題)のではなく,第5公準を捨てた幾何を目指すことによって,父を超えた。

ロバチェフスキーもバーテルを,そのようにして教師を超えた。

ヤーノスの場合は,超えたことをガウスによって否定されたと思ったに違いない。ユークリッド幾何を超えるために人生を営んできたのに,それが認められなかったのだ。

そのためかヤーノスは,肖像画を自分の剣でずたずたに切り裂いてしまったといわれている。ファルカスの肖像画は残っているが,ヤーノスのものは現存しない。彼の業績に光が当てられたのは,没後の1867年である。

その年に,たまたま(ヨーロッパに起きた政治的混乱のあと)オーストリアとハンガリーが対等の関係の二重帝国が成立している。ハンガリーの人々が,ヤーノスへの熱狂的な崇拝の念を持つようになったのは,タイミングの助けもあったように思える。

ハンガリーは,第一次世界大戦によって,二重帝国が崩壊し政治的な不安定に陥ったときに,隣国ルーマニア軍による侵攻を受けた。

そして,ボヤイ親子がうまれ育ったトランシルバニア(Transylvania)地方は1920年のトリアノン条約によってルーマニア領になってしまったことも,ハンガリーの人々に数学史に画期的な革新をもたらした父子への想いを一層熱くしたのではあるまいか。

写真は,マロスバーシャールヘイ(Marosvásárhely,ボヤイ父子が住んでいた町;ルーマニア名Tirgu-Mureş,ティルグ・ムレシ)にあるボヤイ博物館に展示されている擬球である。また「ピタゴラスの定理でわかる相対性理論」のp.183の肖像もこの博物館に展示されている。

ボヤイ博物館に展示されている擬球

ボヤイ博物館に展示されている擬球

ここに,ボヤイ父子に関する資料の収集家であるDr.Péter G.Szabóの名を挙げておきたい。同氏は,セゲド(Szeged)大学の情報工学科(Institute of Informatics, Department of Applied Informatics)の準教授で,情報理論のほかに数学歴史の研究家でもある。日本での研究歴もあって,日本の各地の神社に奉納されている算額資料の収集にも熱心である。

今回の絵葉書も同氏から入手したものである。

Dr.Péter G.Szabóホームページ:
http://www.inf.u-szeged.hu/~pszabo/