書籍『ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』の補講

第12回 光量子仮説と相対性理論―アインシュタインはどのように考えただろうか?ー

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時代の背景

少しだけ次代背景についてコメントします。プランクのこの発見の背景としてドイツの鉄鋼産業の国家事業がありました。1871年から20年間のビスマルク宰相の時代,ドイツは科学によって産業を興し,国家の研究所を建造する政策があったようです。

時の宰相ビスマルクは演説で次のように宣言しました。

Nicht durch Reden oder Majoritätsbeschlüsse werden die Großen Fragen der Zeit entschieden, sordern durch Eisen und Blut.

(見城・武口による英訳:Not through speeches or majority vote are the big problems of the time resolved but by iron and blood.)

意味:現在の大問題は演説や多数決ではなく,鉄と血でこそ解決されるのだ。

この演説は,鉄血演説として知られるようになったものです。ここで言う大問題とは,分裂状態のドイツ統一であり,鉄というのは優れた大砲のための良質な鉄のことです。溶鉱炉の中の状態を調べる技術が必要になると同時に,科学者の関心もここに集まったのです。

溶鉱炉の中は,コークスの炎で熱せられ低い周波数から高い周波数の輻射(放射,光)に満ちています。そういう状態の物理的な極限モデルとして,黒体というものがしきりに議論されるようになりました。電気回路の法則で有名なキルヒホッフ(1824-1887)は,この方面の草分けであり,彼のもとで学んだのがプランクです。

黒体輻射の温度と周波数と熱エネルギーの関係を物理学古典論で論じていくと,どうしても理論自体もおかしくなり,実験とも合わないことが明らかになってきました。そういう中でプランクは,⁠光がとるエネルギーには有限最小値がある」とすると実験と合致することから,プランクの定数hを提唱しました。ウイーン大学ではボルツマンが,分子運動に関する統計力学を作り,マックスウェルの電磁気学を取り入れて熱力学を発展させていました。

20世紀明けのケルビン卿の講演

19世紀のイギリスでは蒸気機関が発明され,その科学技術が究められ,ケルビン卿らによって熱力学がかなり進歩していました。

そして20世紀に入り,1900年4月12日のイギリスの大御所ケルビン卿の講演,

  • 「Nineteenth Century Clouds over the Dynamical Theory of Heat and Light」
    ⁠熱と光の力学を覆う二つの雲)

は今でも語り草になっています。

彼は19世紀のほとんど解き明かされて青空のような物理学について,

  • "beauty and clearness of theory" was overshadowed by "two clouds".

と語りました。

晴れ渡った空に2つの未解決の問題(雲)が残っているが,そのうちにすっかり晴れ渡ると考えたようです。その雲とは,

  1. 宇宙に充満しているエーテルに関する謎(エーテルの問題)
  2. 熱輻射のスペクトル分布の観測結果が理論と合わない(熱力学と光の関係)

の2つですが,この雲は大きくなり暗雲となってきました。

そして,コラム2に示したような当時有名になっていた役者のそろった舞台に,新鋭のアインシュタインが登場したのです。

1.の問題解決として,1905年に相対性理論を発表します。

2.については,光は連続量ではなく粒子であり,そのエネルーは であるとして解決されます。

しかし,このようにデビューはしたものの,既存の名優は彼の理論を納得しなかったというより,見えなかったのではないでしょうか? まさに事実は小説より奇なりの格言があてはまります。

コラム2:時代年表

1904年 時代が動く
  • モーリス・ド・ブロイ:ランジュバンのもとで物理を学び始める(弟のルイ・ド・ブロイに後年大きな影響をもたらす)
  • Lorentz(オランダ⁠⁠:ローレンツ収縮の理論
  • ポアンカレ(Poincaré,仏⁠⁠:セントルイス万国博覧会場のワシントン大学で相対性原理について講演
  • ハーゼンエール(Hasenöhrl,オーストリア):古典的電磁理論からE=(3/4)mc2 を導く
  • アインシュタイン(スイス⁠⁠:オリンピアアカデミー,ベルンで討議を重ねる
  • アインシュタイン:Zur algemeinen molekularen Theorie der Wärme(熱の一般分子論)をAnnalen der Physikに寄稿, 光量子説の萌芽と思われることを発表。
  • 長岡半太郎(日本⁠⁠:土星のリング状の原子モデルを提唱
奇跡1905年
  • アインシュタイン:Annalen der Physikに決定的な論文を連続寄稿
  • 1905年3月 光量子説;光は粒子であり,そのエネルギーはE=hν ではあるまいか;熱力学の考察から量子力学を開く
  • 1905年5月 ブラウン運動
  • 1905年 6月 特殊相対性理論;力学と電磁気学を統合
  • 1905年 9月 相対性原理から,光の発生と質量に関するエネルギー則E=mc2 を導く
  •   注) Fiedrich Hasenöhrlはウイーン大学でボルツマンの後継者でありシュレディンガー(Erwin Schrödinger 1887-1961)の指導教官だった。補講第2回参照