時代の背景
少しだけ次代背景についてコメントします。プランクのこの発見の背景としてドイツの鉄鋼産業の国家事業がありました。1871年から20年間のビスマルク宰相の時代,
時の宰相ビスマルクは演説で次のように宣言しました。
Nicht durch Reden oder Majoritätsbeschlüsse werden die Großen Fragen der Zeit entschieden, sordern durch Eisen und Blut.
(見城・
武口による英訳:Not through speeches or majority vote are the big problems of the time resolved but by iron and blood.) 意味:現在の大問題は演説や多数決ではなく,
鉄と血でこそ解決されるのだ。
この演説は,
溶鉱炉の中は,
黒体輻射の温度と周波数と熱エネルギーの関係を物理学古典論で論じていくと,
20世紀明けのケルビン卿の講演
19世紀のイギリスでは蒸気機関が発明され,
そして20世紀に入り,
- 「Nineteenth Century Clouds over the Dynamical Theory of Heat and Light」
(熱と光の力学を覆う二つの雲)
は今でも語り草になっています。
彼は19世紀のほとんど解き明かされて青空のような物理学について,
- "beauty and clearness of theory" was overshadowed by "two clouds".
と語りました。
晴れ渡った空に2つの未解決の問題
- 宇宙に充満しているエーテルに関する謎
(エーテルの問題) - 熱輻射のスペクトル分布の観測結果が理論と合わない
(熱力学と光の関係)
の2つですが,
そして,
1.の問題解決として,
2.については,
しかし,
コラム2:時代年表
- 1904年 時代が動く
- モーリス・
ド・ ブロイ:ランジュバンのもとで物理を学び始める (弟のルイ・ ド・ ブロイに後年大きな影響をもたらす) - Lorentz
(オランダ):ローレンツ収縮の理論 - ポアンカレ
(Poincaré, 仏):セントルイス万国博覧会場のワシントン大学で相対性原理について講演 - ハーゼンエール(Hasenöhrl,
オーストリア):古典的電磁理論からE= (3/ を導く4) mc2 - アインシュタイン
(スイス):オリンピアアカデミー, ベルンで討議を重ねる - アインシュタイン:Zur algemeinen molekularen Theorie der Wärme
(熱の一般分子論) をAnnalen der Physikに寄稿, 光量子説の萌芽と思われることを発表。 - 長岡半太郎
(日本):土星のリング状の原子モデルを提唱
- モーリス・
- 奇跡1905年
- アインシュタイン:Annalen der Physikに決定的な論文を連続寄稿
- 1905年3月 光量子説;光は粒子であり,
そのエネルギーはE=hν ではあるまいか;熱力学の考察から量子力学を開く - 1905年5月 ブラウン運動
- 1905年 6月 特殊相対性理論;力学と電磁気学を統合
- 1905年 9月 相対性原理から,
光の発生と質量に関するエネルギー則E=mc2 を導く - 注)
Fiedrich Hasenöhrlはウイーン大学でボルツマンの後継者でありシュレディンガー (Erwin Schrödinger 1887-1961) の指導教官だった。補講第2回参照