書籍『ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』の補講

第12回 光量子仮説と相対性理論―アインシュタインはどのように考えただろうか?ー

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E=mc2E=hν の2つの式

第10回では,1905年9月のAnnalen論文で質量とエネルギーの関係を,実に見事な論法で導いてE=mc2 を得ていたことを取り上げました。

実はこの年の3月のAnnalen論文では, E=hν を見事な論法で得ていたのです。これは光の最小単位があって,そのエネルギーが だというものです。ここでhはプランクの定数として知られる定数で,ν は周波数です。

ここではまず,この二つの簡単な式のつながりにメスを入れてアインシュタインがどんなことを考えたのか試論を提供します。

本稿のために,アインシュタインの1905年3月論文,

Über einen die Erzeugung und Verwandlung des Lichtes betreffenden heuristischen Gesichtspunkt(光の発生と変換に関する一発見的見解について)

の原文と,その日訳および英語訳を眺め,また湯川秀樹の「アインシュタイン選集⁠⁠ の解説を数回読んでみたとき,かれこれ48年前のある教室の光景が思い出されたのに驚きました。

武内助教授の講義

筆者は,1958年に東北大学工学部に入って翌年の秋にできたばかりの電子工学科に進むことを決意しました。1年から2年前期の教養部での講義のなかで充実感を覚えたのが,物理学でした。当時の教養部の教授の中には,旧制第二高等学校の雰囲気をもつ先生が残っていました。新制高等学校の物理学では味わえない深みと幅のある講義を聴いて,中間試験と定期試験を3学期(1年半)もかけて受けていくもので,90点以上,ときには100点を取り続けたのが痛快でした。電子工学科を決めた理由の一つがここにありました。

そして2年生の後半だったか3年の前期だったか忘れたのですが,電子物性論に関する講義が,大阪大学理学部伏見康治研究室出身の新鋭の武内助教授により行われました。その講義には,通信工学科の先輩も聴講に来ていました。

この講義で聞いていたのが,まさにこのアインシュタイン選集の内容だったと思うのです。後ろの席の友人は「見城,この武内という助教授は優秀だな!」と耳元でささやき心の高ぶりを共有した思い出があります。そこに展開されるエントロピーの理論計算には,わかりやすく展開された教養部の物理とは違って,深さというか高さというより凄みを感じたものです。

コラム3:(独)heuristische (英)heuristic とは何か

3月論文のタイトルに使われているこの単語は,意味深長です。辞書では「発見的」となっています。発見を導くような考察という意味が汲み取れます。仮説的と記すほうが近いと思います。実際「アインシュタインの光量子仮説」などといいます。

アインシュタインの本当に画期的な仕事は光量子仮説だった

アインシュタインというと相対性理論ということですが,むしろ光電効果を論じた3月論文こそ画期的な論文と評価する人が多いのです。これは量子力学創出の論文とも言えるからです。

アインシュタインが光に関する疑問の解明に取り組んだのが19歳。そしていくつかの問題を解決したのが26歳です。筆者は20歳のときにそういう事柄について講義を受けていたのです。

残念ながら講義の細部までの納得には至らなかったし,疑問もいくつかありながら質問する勇気もなかったのは自分だけではなかったと思います。19-20世紀のヨーロッパで20年以上にもわたって議論されてきたことを,せいぜい1.5時間の講義を2回ほどで講義されるのですから無理もないことだったかもしれません。

その疑問の一つが,平衡状態にある黒体を論じるのに統計力学を一方で使い,他方では(ボルツマンが)マックスウェルの電磁気学で扱って結果を出しながら,空洞輻射の本質を解き明かされる部分で,不思議でもあり理解しがたい部分がありました。

今思うと質問するべきでした。というのは,そういう本質的な問題を学生に率直に指摘されたとき,教師は本当に理解したり疑問をもっていないと,自信のない答えになったり,言葉多くして要を得ない答弁のようなものになるからです。鋭い質問は,教師自身の自覚を促すものですから,学生は積極的に質問するのがよろしいと思います。

アインシュタインのこの時代には,すでに運動力学とか熱力学という風に,物理学の細分化というかジャンルが出来ていたのかもしれませんが,当人の頭の中では,そういうものすべてが,一体化,混沌化,統合化されて考察が進められていたのではあるまいかと思います。

アシンシュタインは重要結論を数式では表していなかった! 慎重さのためか?

アインシュタインは,共振という物理現象の特質を見抜き,エントロピー計算のテクニックを発揮して,光のエネルギーは の整数倍のはずだと論じます。9月論文でアインシュタインはE=mc2 という式を書いていません。これを文章で述べているのですから,今日流の卒論の指導教授からは注意を受けそうです。同じように3月論文でもE=hν とは明記してはいません。表1を参照してください。

9月論文は手品のようでもあり,狐につままれたような感じがします。2つの座標系を設定して不変なものを定義しただけで,エネルギーと質量という宇宙存在の根源の特質が導かれるという内容だからです。ですから,この式の信頼性の検証には時間がかかったようです。数学的に正しいとした一人が,Rohrlichで1960年であることを第2回の補講に記しています。

表1 3月論文と9月論文のエネルギー式導出の対比

 3月論文9月論文
 量子力学の光量子論対性理論の帰結
式にするとE=hνE=mc2
原文では文章で記述
低い密度の単色光輻射は,熱理論的関係において,あたかも大きさ で互いに独立のエネルギー量子から成り立っているかのように振舞う。
⁠意訳)密度の低い単色光輻射は,互いに独立した大きさが のエネルギー量子から構成されているかのような熱理論特性を示す。
ある物体がエネルギーE を光の放射の形で放出すると,その質量がE /c2 だけ減る。

注:原文では光速としてV を使っているがここではc とした。このように原文ではプランク定数h の代わりにその意味を示すRβ/N を使っている。

ただし

  • R :ガス定数
  • β=h/k ⁠k.ボルツマン定数)
  • N :モル数

別の側面から,もう一度考察してみましょう。1904年のコラムにも記したように,その年の7月のAnnalen der Physik(物理学年報)にハーゼンエール※2は,輻射エネルギーの質量換算についてはE=(3/8)mc2 という式を導き,アブラハムの指摘によって計算ミスに気づいてE=(3/4)mc2 としました。このことについては第2回の補講に書いたとおりです。

ハーゼンエールの論文では,記号として今日と同じ光速のcβ(=v/c) を使っていることにも注意したいと思います。

アインシュタインは1901年から毎年,この物理学年報には熱力学などの論文を発表していましたから,ハーゼンエールの仕事を知らなかったということは考えられません。

ですから,ハーゼンエールのような古典論による複雑な論理ではなく,6月の理論で輻射エネルギーと質量の関係を計算し直したら,係数が3/4ではなく1になってしまったとも解釈できると思います。

これは蛇足ですが,ハーゼンエールの論文では記号h が使われているのですが,空洞の容積のことです。まだプランク定数としてのh は確立していなかったようです。アインシュタインもh を使っていません。

それに,アインシュタインが数式としてはE=mc2 と記さなかったのは,表1に記した文章で計算の意味を慎重に表現しようとしたからかもしれません。

ハーゼンエールの式だけを見ると,質量の減少が大きなエネルギーを発生するという解釈も可能かもしれないのですが,彼は黒体が運動しているときには,輻射のエネルギーのために質量が若干増えたと解釈されることを論旨としているように考えられます。

※2)
F. Hasenöhrl: Zur Theorie der Strahlung in bewegten Körpern, Annalen der Physik, 1904, pp.344-370