素粒子の背景にある時空
1939年4月,
湯川はニューヨークでアメリカに入って大陸を横断しながら大学を回ることにしたのですが,
アインシュタインは,
そのとき6年後には原爆が広島と長崎に投下されることなど夢想だにしなかったはずです。歴史はなんとも皮肉です。
湯川のみたアインシュタイン
湯川がアインシュタインをどのように見ていたのか,
- (1)
(若いときの業績について) E= hν を広く深い思索と計算から導いたことがゴツイ, 特殊相対性理論の変換則にもかなっている。 - (2)
アインシュタインの凄さは一般相対性理論にある。それは特殊相対性理論に終わらず哲学思考をもって突き進んだことだ。 - (3)
1939年の最初の出会いのときのアインシュタインは湯川の中間子とか新しい量子力学にはあまり関心をもっていなかった。一般相対性理論と電磁場の統一論に関わっていた。ある意味では年のせいだろう (皮肉なことに, 湯川自身も, マレー・ ゲルマンがクオークの理論を持ち出したときに, 否定的だったと言われています)。 - (4)
戦後, 招聘を受けて再びプリンストン高等研究所で会ったときのアインシュタインは, スケールの大きな学者であり平和主義者だった (アインシュタインは大好きになった日本に原爆が落とされたことを深く憂慮し, これが平和主義者としての大きな決意をもたらしたことはいろいろな本に書かれています)。
湯川へのノーベル賞が発表されたのは,
南部が見た湯川
アインシュタイン没は1955年。彼と原爆廃絶活動をした湯川の逝去は26年後の1981年。2008年のノーベル物理学賞受賞者の一人が南部陽一郎氏ですが,
- α 中間子理論によって素粒子物理学の理論面の生みの親
- β1 朝永振一郎の繰り込み理論へつながる特質と,
- β2 坂田の自由なモデルの設定へつながる特質
- γ 戦後は直接的な理論貢献よりも,
間接的な活動だった。
ここで,
その一方,
アインシュタイン選集で湯川の対談相手をした谷川安孝は,
預言者湯川は,
時空概念の根本的改革が必要であるという啓示を残して去った。
それは,
- 参考資料
[※1] 湯川秀樹:アインシュタイン選集3, 共立出版
[※2] 見城尚志:図解・ わかる電気と電子 (ブルーバックスB1249), 講談社
[※3] 松尾博志:電子立国日本を育てた男, 文芸春秋社
[※4] 田中 正:湯川秀樹とアインシュタイン, 岩波書店
[※5] ディヴィド・ ボタニス, 伊藤文英他訳:世界一有名な方程式の 「伝記」, 早川書房