書籍『ピタゴラスの定理でわかる相対性理論』の補講

第15回 ライバル同士の対話

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当時のイギリスではどうだったか

Edmund Whittaker のAether and Electricityによると,電子の発見で有名がJ.J.トムソンが1881年に荷電した球状導体が直線運動するとき,電界のエネルギーをE とすると,質量が (4/3⁠⁠ E/c2 だけ増えたように振舞うという結論を得ていたようです。これは,ハーゼンエールが黒体輻射について計算した上の結論と一致します。

これも重要なことですが,エーテルの仮説があった1900年当時,フランスのポアンカレは,ポインティングのエネルギー流がそれに(1/c2 をかけた運動量をもつことから,電磁エネルギーは(1/c2 倍の等価の質量を持つことを示唆していました。これはアインシュタインの結果と一致します。

1909年といえば,アインシュタインはベルンの特許局に辞表を出してチューリッヒ大学に移っています。

イギリスでは,マックスウェルの伝統を引き継ぐケンブリッジ大学が,理論物理のメッカでした。当時のケンブリッジではLarmorという先生が,アインシタインの向こうを張っていました。よく言われるように質量には,重力に関係して定義される質量と,慣性に関連した質量があって,それを統一的に解決したのがアインシュタインの一般相対性理論です。この理論ができる以前からLarmorは特殊相対性理論を認めませんでした。物質の質量は,物質のもつ電荷によって説明できるのだという信念の持ち主でした。電荷は電界エネルギーを伴うので,質量と電磁界のエネルギーは互いに関係があると考える思想です。この考えでは,やはりハーゼンエールの関係式のようなものが出てきます。

これが半分当たりで,半分エラーだったのですが,当たりの方をつぎの砂川の理論で見てみましょう。

1907年ごろからケンブリッジ大学の若手の中に,たびたびドイツに行ってドイツ語で物理を学ぶ者が出てきて,アインシュタインともコンタクトをとるようになります。1919年に一般相対性理論の正しいことを確認したのが,ケンブリッジ天文台長のエディントンであり,この反省を契機にケンブリッジ大学は,ディラックのような気鋭を育成するようになります。このあたりのことを詳しく書いているのがAndrew WarwickのMaster of Theory ※3です。

砂川重信の『理論電磁気学』※4のすばらしさ

有り難いことに,慣性質量について単純なモデルを使って日本語で詳細に考察していたのが砂川重信です。砂川は,場の量子論の専門家で大阪・東北の両大学で教授をしていました。砂川は,電子の運動方程式を非相対論で追究すると,次式になることを説明しています。

ただし

  • m0 = 電子の裸質量
  • v = 電子の速度
  • f = 他の電子の影響によって受ける力
  • ε0 = 真空の誘電率

(1)式右辺の第2項は自己力というもので,自分の作る電磁界によって受ける力です。右辺第3項以降は,数学の手順として級数展開したときに現れるもので,光速cが大きいので近似的に無視できます。

電磁気を考えないニュートン力学では

ですから,これに合わせるように(1)式を書き換えると次のようになります。

これはJ.J.トムソンの結論と一致するのですが,砂川の論理は,運動が直線と限らない一般の場合で成り立つことを説明しています。

このように電子は,本来の自分自身の質量m0 に加えて⊿m が付加されています。⊿m は自分自身の電荷のために現れる見かけ上の質量の増加で,電磁的質量(あるいは着物質量)と呼ばれるもので,ハーゼンエールが得たと同じ形になります。

このように異なる場面で,同じ式が現れることに意義があると思います。輻射は電磁界のエネルギーですから,まさにこれは電子の運動エネルギーと輻射エネルギーの相互の関係です。

(5)式に係数(4/3)が現れるために,相対性理論の結果と異なる原因について砂川はさまざまに論じているのですが,一つは,電子が有限の半径aをもつ剛体としていることが相対性理論と相容れない一つの要因だとしています。つまり,半径a→0とすればそれは解決するのですが,⁠2)式のエネルギーは∞になり電磁的な質量も∞になってします。このあたりの暫定的な解決として,後に述べる朝永振一郎の繰り込み理論が出てきたのだと思います。

電子が他の電子の影響を受けながら運動するとき,通常の力学とは違って自分が作る電磁界の影響も受けるので,見掛けの質量が大きくなる。

政治的意味をもった係数1

前回にも書いたことですが, E=mc2 が政治的・軍事的な意味をもつようになったのは,ドイツのハーンとシュトラスマンによるウラニウムの核分裂現象の発見(1938年)によるものでした。アインシュタインとハーゼンエールの議論からほぼ20年の後です。

ハーゼンエールは第1次大戦でイタリア軍の手榴弾で戦死しますから,この式が重大な意味をもつことを知らなかったはずです。当人同士は,学会の懇親会などではどんな話をしたのでしょうか? そんな資料があればと期待しています。

アインシュタインの式とされるE=mc2 があまりにも簡潔なこともあって,またマンハッタン計画という大プロジェクトがあって,アインシュタインと原爆とが結びつけられたことは,彼にとっては生涯の不本意だと思います。核分裂による質量の減少が,強力な輻射エネルギーになることをそのまま利用したのが原爆です。現在では原子力発電のエネルギー源です。アインシュタインは,この式にもっと別の期待をしていたように思えてなりません。