2009年11月6日
皆様お初にお目にかかります。「江戸の良さを見なおす会」の和城伊勢と申します。これから3回に分け,年賀状にまつわるお話をさせて頂きます。
まずは現在の年賀状のスタイルになるまでの変遷を皆様とご一緒に振り返ってみたいと思います。
「年始の挨拶」から「年賀状」へ
「年賀状を送る」という風習は,まず「年始の挨拶」に始まります。
「昨年お世話になった方々へ新年のご挨拶に回る」という年始の挨拶は,奈良時代にはすでにあったとされています。それが平安時代には「年始回り」として慣習化されました。江戸時代,諸大名による将軍への拝賀は,城中の年中行事で最も重要な儀式でした。
しかし,それも次第に簡略化されていきます。戦国大名が賀詞を述べた書状が多く現存しているように,諸大名が将軍に対し年始の挨拶状を届けさせるだけのものになっていきます。それが現代の年賀状の起源との説があります。
そしてもう一つ重要なのが,江戸時代になると,一般の武士や庶民の間でも町飛脚が利用される様になったことです。江戸市中内では,現代にして数百円程で文を出すことができました。
江戸後期の日本の識字率は,当時の他の国と比べても非常に高かったと言われています。寺子屋で教えていた手紙の「読み・書き」は,武士や商人を始めとした町人文化にも広く浸透していたようです。
ご挨拶が簡略化されていく中で
とはいえ,代書屋がこの時代の商売として成り立っていたことから,現代の様に皆があたりまえのように自分で年賀の書状を書いていた訳ではないようです。
現代の葉書による年賀状が主流となるには明治も中頃まで待つことになります。
そして明治四年に郵便制度が確立した後の年賀状も,まだほとんどが書状で送られる上,数もあまり多くはありませんでした。書状は短いものなら1枚の半紙に書き,長くなると半紙を横に貼付けて行き,蛇腹に折って整えていました。
そのような状況を大きく変えるきっかけとなったのが,明治六年に郵便はがきが発行されたことです。安価で簡潔に年始の挨拶が送れるという事となり急速に年賀状という習慣が広まります。
数年前から年賀状を電子メールで下さるようになった方々の中に,去年辺りから再度手書きの年賀状を送って下さる方が増えました。年始のご挨拶が簡略化されて年賀の書状になったように,年賀状がメールに替わっていってしまう風潮をとても寂しく思っておりましたので,この傾向は非常に喜ばしいことです。
年末の忙しい中,社会人としての義務で年賀状を書くのはかなり面倒臭いものではございます。ただ,年賀状の本質を知って頂くと少し違った気分でお書きになれると思います。
次回のお題は「年賀状は誰に出すもの?」です。今回の歴史を踏まえ,年賀状の本質について考えてみましょう。