先のよめない業界で、先を考えてみること
かたまじめなタイトルで恐縮ですが、私がこの連載を起案したのは、そのものズバリ「Webクリエイティブ職の学び場」について、あるいは学習とキャリアについて考えてみたかったからなのです。
歴史の浅いWeb業界には先人がたどった定年までのキャリアモデルもありませんし、あったからといって役立つとも思えない不穏な世の中。テクノロジーも日進月歩で、目先の仕事をこなすのに覚えなきゃならないことも多いから、自分のキャリアを長い目でみて考えたり行動を起こす機会ってなかなか持てなくはないでしょうか。
ただ、完全なる計画を立てるのは不毛でも、何か早くから考えたり動いておいて損はない、そのほうが「今」ももっと有意義になるという事柄があるんじゃないかと思うのです。そこで、今回の連載です。現場でWebクリエイティブ職を牽引する方々を訪ね歩き、スタッフ育成の考え方や実際の取り組み、ご自身のキャリア観などを伺いながら、長い目でみたWebクリエイティブ職のキャリアや、それを踏まえて今を見直すヒントを共有していければ幸いです。
大前提は「変われる人」かどうか
記念すべき第1回は、面白法人カヤックを訪問。同社のCTOを務め、50名におよぶ技術部門を現場で取り仕切る貝畑政徳さんにお話を伺いました。本題に入る前に、そもそもカヤックにはどんな人が集まっているのか、人を採用するときの前提条件を尋ねてみると。
貝畑さん「基本的に共通しているのは、変われる人。素直さを持っている人、聞く耳を持っている人っていうところは、基本的な条件です」
自分の欠点や仕事の落ち度を指摘されたとき、それを素で受け止められる耳を持っていないと、反発したりしょげたりするだけで成長がありません。市場に求められるサービスも、作るための技術も変化していくのは必至だから、変化を好まない人には相当ストレスがかかる仕事…。「変われる人」とは、カヤックの入社条件に留まらず、Webクリエイティブ職になくてはならない素養ではないでしょうか。
変われる「素養」を「能力」に変える
しかし、こうした「素養」を現場で活きる「能力」に引き上げるには、相応の訓練が必要です。組織のやりようによっては、せっかく持っていた素養をつぶしてしまうことだってある。
カヤックに学びたいのは、素養を開花させる訓練機会が日常の中にふんだんに、意図的に組み込んでいるところ。お話を伺ってみると、精神面も実務面も一緒くたにして実践で「変われる力」を身につけるための仕掛けがわんさか。ルールを敷くのではなく、本人が自立的に身につけていく仕掛けになっているのもポイントです。前編では、この「変われる人」づくりの妙に迫ってみたいと思います。
半年も自分の目標を覚えている人なんていない
最近始めて効果が出ているのが「180度評価」だそう。360度評価は聞いたことがあるけれど、180度評価とはいったい…。まずはその成り立ちと中身について伺いました。
貝畑さん「360度評価を他者評価と自己評価で年2回行うんですけど、それは半年に1回のタイミングなので、半年も自分の目標にストイックに向かい続けられる人は少ないし、半年のスパンでその目標を達成するプランを立てられる人もそうそういない。
180度評価では、360度評価の大目標に対して1週間ごとの小目標を立てていくっていうのをやっています。360度評価は部署もプロジェクトも超えていろいろな人からの評価を受けますが、180度評価はそれよりも少し評価者が身近な人になります。6人ほどが集まり、順番に自分の目標や、それに対して1週間行ったことを5分程度で話します。発表後に、それに対して参加者全員から何かしらのフィードバックをもらう。これを1回のセッション毎週やっています」
放っておいても自ら研究開発するチームをつくる
「180度評価」の最たる狙いは、各自が自分で自分のモチベーションを高めて自己管理していけるチームづくりだそう。
貝畑さん「高い目標を立てる→結果を出す→人から評価される→次の目標を立てるというサイクルは、立てた目標が達成したり、スキルアップすれば達成感を得られるし、他人に認められる満足感もある。目標を立てて達成することって自分にとってものすごく気持ちいいことだという体験をさせることで、自ら目標を生み出すサイクルにもっていくように今チームを作っています。
これが回り始めると、放っておいても自分で研究開発するし、何も言わなくても、他の人がやっていることに対して興味を持つ流れになる。それがスムーズになる仕組みが180度評価です」
スタッフ育成にもマネージャー育成にも有効な「180度評価」
「目標→結果→評価」という簡単なプロセスをあまり意識しないで働いている人は意外と多いと貝畑さん。皆さんも身に覚えがあるのでは……。カヤックではこの仕組みを全社員に導入していて、実際どんなキャリアの人にもそれぞれに有効だそうです。
貝畑さん「そもそも目標が立てられないって人には、目標を立てて達成する楽しさを味わってもらう。もともと一人でものを作って満足できるって人には、そのままではクオリティが上がっていかないよってことで第三者の目を入れた評価が有効に働く。また、これができているって人に関しても、マネージャー視点がもてる機会になります。他のメンバーに高い目標を設定してあげたりフィードバックをしてあげること自体がマネージャーのスキルを身につけることに直結しています。なので、どのポジションの人にとっても効果がありますね」
コミュニケーションスキル、ファシリテーションスキルの向上にも
さらに、技術者のコミュニケーションスキル向上や、ディレクターのファシリテーションスキル向上にも一役買っているそう。いったい一石何鳥?
貝畑さん「1週間でやったことの結果を発表するとき、自分と同じ職種の人相手なら共通言語があるので話はすぐ通じるんですけど、職種が違う人にわかってもらうにはコミュニケーションスキルが必要。適当な説明をすると、何それ?ってことになる。フィードバックの時間が質問で終わってしまうのは相手に伝えられていない証拠です。これは結構効果が上がっています。原則として、会を仕切るのをディレクターにやらせているんですけど、ファシリテートするスキルを身につけるために持ち回りでやってもらっています」
「自分を棚にあげて口を出す」を推奨する
しかしこれ、発言が活発に出ないことには効果薄。カヤックでは新卒も上司部下も関係なくバンバン発言しているそうですが、その文化はどんなふうに共有されているんでしょうか。
貝畑さん「部下だろうが、プロジェクトをミスったことがある人だろうが、相手のことに対して不満とかイケてないことがあれば、がんがん口を出すっていうスタイルでやっています。自分が一度失敗していると、同じ失敗をしている人とか、まだ失敗していない人に強く言えなかったりするものですけど、そこはもう自分を棚にあげて口を出すっていうのを推奨しているので、 けっこういい指摘が飛び交います」
それにしたって、自分のことを棚にあげ慣れていない人は、どうやって「がんがん口を出す」ようになっていくもの?
貝畑さん「何か気づいたことを1つ言ってくださいって話にすると、言うことなければ言うしかないってことで、けっこう言うとすっきりしたりするところもあって。まぁほんと慣れなので、1回発言してしまえばもう堰が切れたように勝手にしゃべりだすっていうのが面白い現象ですね」
「自発的にやりだす」までを手助けする3ステップ
なるほど、カヤックの仕掛けは実に奥が深い。ただ「この能力が足りない」とか「身につけろ」と言うのではなく、(1)その能力を発揮しなければならない場を用意して引きずり込む、(2)そこで推奨される具体的行動を明示して文化として共有する、(3)「やってみたら意外と気持ちいい!」を体験させて本人が自発的にやりだすまでを手助けする。で、後は勝手に伸びていく。このスタイルは「180度評価」に限らず見受けられました。
たとえば……
貝畑さん「うちの会社はブレストが非常に多い会社なんですけど(1)、これが文化の共有になっています。発想力のトレーニングでもあるんですけど、カヤックだったらどういう企画をやるかとか、サービスの考え方とか、そういう文化の共有もブレストの中でできています。また発言のきっかけを増やすのがブレストなので、どうでもいい一言でも言うみたいな文化の共有も(2)。そうして発言していくことでどんどんアイディアが重なっていいものになっていくっていう体験を普通にしているんです(3)」
表 自発的にやりだすまでの手助けステップ
ステップ | 実践例 |
(1)その能力を発揮しなければならない場を用意して引きずり込む | 社内でブレストを多用する/スマイル給と拳給を制度化 |
(2)そこで推奨される具体的行動を明示して文化として共有する | 「自分を棚にあげて口に出す」「どうでもいい一言でも言う」「厳しい指摘ほど価値がある」を推奨 |
(3)「やってみたら意外と気持ちいい!」を体験させる | 発言することでアイディアが良くなっていくのを体験させる/厳しい指摘ほどありがたいという実感を与える |
「スマイル給と拳(こぶし)給」にも、このスタイルが見て取れました。カヤックでは毎月全員が、ランダムに指定されたメンバーに対して評価コメントを送る制度を設けています(1)。スマイル給では褒める評価、拳給では厳しい評価をコメント。それが給料袋に入って相手方に届く仕組み。拳給のコメントは、仕事面の指摘から「髪がボサボサ」「服装がだらしない」といった身だしなみまでさまざま…。そして誰が誰にどういうコメントを送ったかは、イントラネットですべて見られるそう。
貝畑さん「仕事の接点がない人にあたることもあるし、オフィスが違う人にあたることもある。そこで一所懸命コミュニケーションをとりにいくので、相手のことを知るいいきっかけになっています。他人を観るスキルにつながっている面白い制度ですね」
とくに拳給は、人の問題点を言葉にして当人に伝える難しさがあり、コミュニケーション能力が鍛えられるそう。ここでも「自分を棚にあげて口に出す」「どうでもいい一言でも言う」と同じように、「厳しい指摘ほど価値がある」という文化が共有されています(2)。取材に同席くださった広報の松原さんも、拳給に限らず、厳しい指摘ほどありがたいし、評価はすごく楽しみだとおっしゃっていました(3)。
何を目標にすると何が起こるのかを説明する
そしてもう一つ、(1)~(3)の基盤としてカヤックが欠かさずやっているのが、(0)目的をしっかり共有すること。「きちんと説明して、きちんと体験させる」のがカヤックの育成スタイルなんですね。
貝畑さん「たとえばスタッフの集中力を高めたいときに、1時から2時まで集中しなさいと言って、メールを禁止しますっていうルールを敷くのはそんなに意味がないと思うのです。集中することでその人が何を得られるかを示したほうがいい。1時間集中したことで自分はこれだけ成長したとか、仕事が終わったっていうような体験をするっていうところが本質で、そこの本質を理解しちゃえばルールはいらなくなるって話なので。単にルールだけ示してもダメで、何を目標にすると何が起こるのかっていうところを、きちんと説明するっていうことをやっています。だから、いちいちルール化はしないです」
数々の基礎体力を早期から鍛え上げる
また、これまでに挙がった多くのスキルが、長い目で見て誰にでも求められてくる基礎体力なのも興味深いですね。直近で必要な技術力を身につける取り組みも、それはそれで行っているそうですが、全社員を対象に基礎体力づくりに力を注いでいるところは、とくに印象に残りました。
目標→結果→評価の自己マネジメント能力だったり、自分のアウトプットに対して厳しい指摘を受け、それを改善につなげていく能力だったり。また30代、40代と歳を重ねて本人がキャリアの転機を迎えたときにも、ふと気づいたときには会議を仕切る能力だったり、メンバーをよく観て高い目標を提示したりフィードバックする能力が備わっていて、マネージャーの勉強を一から始めなければ……と途方に暮れることがないようにしているのです。これは心強い。
1つの仕掛けは、想定外まで効果を広げる
1つの仕掛けによって複合的なスキルアップを支援しているところも興味深いですね。「180度評価」一つで、スタッフ育成もマネージャー育成も兼ね、コミュニケーションスキル向上もファシリテーションスキル向上も。いろんな職種・キャリアの人がコミュニケーションする場を作って、個人の力もチームの力も一斉に強くする仕掛けは、さすがクリエイティブな会社だなと感服します。
でも、1つの仕掛けから生まれる効果って、そのすべてを最初から想定するのは難しいものだと思うのです。「やってみたら意外とこういう効果もあるね!」ってことが多分にあるはず。だから、「180度評価」「ブレスト」「スマイル給と拳給」と紹介した中で、1つでも「これは!」と思うものがあったらぜひ部分的にでも取り入れてみてはいかがでしょうか。きっとそれぞれの場所で、当初想定外の効果に広がりを見せていくと思います。次回は、カヤック社内の仕事ぶりや、貝畑さんご自身のキャリア観などに迫ります。お楽しみに。