疾走するネット・ダイナミズム

第1回 「群集の叡智」 ――集合痴にならないために
テックスタイル 岡田良太郎氏に聞く

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はじめるにあたって

このコーナーは,ひと言でいうなら,ウェブやITに関連する話題のキーワードや事象について考察を加えていくものだ。ただし,それらを普通に取り上げるだけでなく,なるべく多角的な視点に立ち,一般的な解説だけでなく考えられる解釈や今後の展望について考えるようにしたいと思っている。また,可能なかぎり当事者,関係者,専門家のインタビューをベースに執筆していく予定だ。

テックスタイル 岡田良太郎氏

テックスタイル 岡田良太郎氏

第1回は,群集の叡智を取り上げる。コラムをまとめるにあたって,日本でこの問題を研究しビジネス展開も含めて深く関わり,昨年11月には群集の叡智サミットを主催した,テックスタイル岡田良太郎氏にどういったものなのかを聞いた。ちなみに「群集の叡智サミット」は今年の5月にも開催される予定だという。

Wisdom of Crowds/群衆の叡智とは?

「群集の叡智」とは,ジェームズ・スロウィッキー著の『「みんなの意見」は案外正しい 』(角川書店)で述べられているWisdom of Crowds(WOC)という概念のことだ。集合知という呼び方で語られることもある。正しい概念の定義は難しいが,少数の権威による意思決定や結論より,多数の意見の集合による結論や情報のほうが役に立つ,あるいは正しい結論や予測につながるということだ。

とくにインターネット上に見られる現象との整合性が高く,Web2.0がらみの文脈で語られることが多い。典型的には,ウィキペディアのような専門家だけでない大衆が作り上げる情報や,YouTubeに投稿されるようなコンテンツがその例とされる。実際,集合知は,ティム・オライリーの論文(“What Is Web 2.02005.9.30)でいうWeb2.0の7つ条件のひとつだ。

その一方で,前出スロウィッキーの著書を読んでいない人は,関連の記事や論評について素朴な疑問を持っている人も多いのではないだろうか。「烏合の衆,群集心理,衆愚とはどこが違うの?」と。あるいは,「集合の愚」「集合痴」といった懸念を主張する人もいる。たとえば,渡り鳥の編隊飛行には統率するリーダはいない。あるいは,イワシの群れはマグロなどの捕食動物を避けるために,みごとな方向転換や離散・集合を繰り返すが,これもリーダや指令を出す個体がいるわけではない。

これらの行動は,3つないし4つの単純な条件反射や行動ルールによって実現されている。一見合理的な結論に見えても,その仕組みはひょっとしたら同じことではないのか。ひとつの,いわば仮想的な「知」を構成するただの部品に成り下がることに意義があるのか。翼賛に陥る危険性はないのか。人の意見や情報で行動するただの「思考放棄」ではないのか。ウィキペディアが典型であるなら,「荒らし」や更新合戦などの現出する問題はどう説明するのだろうか。疑問や反論もつきない。

「みんなの意見」の意味は案外深い

もっとも,WOCとて万能ではない。あくまでソリューションのひとつと考えればあまり大げさな懸念は,未知なるもの,理解できないものを恐れているのと同じになりかねない。以降は,岡田氏のインタビュー内容を含めて,上記の問題について私なりの理解や解釈をまとめたい。

岡田氏には貴重な時間を割いていただいたことに謝意を表したい。私の個人的な疑問にも答えてくれ非常に有意義な時間だったが,インタビューを終えての感想は,『「みんなの意見」は案外正しい 』という邦題は戦略かもしれないが,かえって誤解を生んでいるかもしれないということだ。原書のタイトルである「THE WISDOM OF CROWDS」や岡田氏の唱える「群集の叡智」は,大衆や群集の中の叡智や知恵と呼べるような価値ある情報が含まれているということであり,群集や多数決が「叡智」なのではない(と私は理解した)。岡田氏はこの価値ある情報やそこから生み出される「答え」が得られるメカニズムに興味があり研究しているという。

「群集の叡智」とは,専門家による分析とも違い,単純な多数決とも違う。専門家による意思決定のプロセスは学術的な裏づけと深い知識や情報によってもたらされる。信頼性があり確実な回答が得られる。しかし,衆目にさらされる集合知の情報は,プロセスこそ違え,多数の立場の意見にもまれることによって,結論が同等かそれ以上になる。専門以外からの意見はノイズになりがちだが,しがらみにとらわれない意見は時としてブレークスルーを生み出す。一般に,専門家ならばこれらのノイズを取り去って議論するので効率がよいとされるが,このフィルタの精度や状況適用性が問題となることもある。とくに予測困難な議題や問題への対応は,蓄積ベースの議論では不十分だ。

多数決は純粋に数の理論だ。ほぼ半数が否定していても過半数であれば正しい。大衆からの支持という点では通じるものがあるが,議題が明示され与えられる点や投票方式そのものが「バイアス」となってしまうことがある。選択肢が絞られている時点で,じつは「群集の叡智」とは相容れない。

「群衆の叡智」を生み出すもの

では,「群集の叡智」が機能するメカニズムとはどんなものだろうか。ネットのコミュニティなどが価値の高い情報や結論を導くことがあるのはなぜだろうか。これは非常に難しい問題だが,岡田氏が代表を務めるテックスタイルでは,これを実践,検証すべくいくつかのサイトを運営している。予測市場Prediction.jpcodeなにがしHandsOutなどがそれだ。予測市場Prediction.jpは予測困難な事象に対するアプローチやソリューションの研究のため。codeなにがしはコミュニティによる問題解決とPeer Productionの研究。HandsOutは論文やプレゼン資料を衆目にさらすソーシャルフィルタとして。よりプリミティブなツールや類似機能としては,検索エンジンやソーシャルブックマーク,ランキングサイト,掲示板,ファイル共有サイトなどがあるが,集団やコミュニティが「群集の叡智」を生み出すために必要なツールやシステムを考案,提供できないかという取り組みだ。

「群集の叡智」はとりあえずコミュニティを作ればよいというわけではない。「群集の叡智」を生み出すポイントは,そのコミュニティなりサイトがオープンでありあらゆる意見を取り込む懐の深さだ。これは人数の問題ではない。一定のポリシーや思想にとらわれず,外部の意見を採り入れ外の世界に目を向けていないと,それは「カルト」になり「群集」はただの「集団」となってしまう。岡田氏は,この「集団」になってしまうと逆に特定意見や個人にコントロールされたり,組織の均一化につながると語ってくれた。「群集」は思考放棄した烏合の衆でもなければアリやハチのような社会を構成する個体の集まりでもないわけだ。

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ここで懸念があるとすれば,カルトや烏合の衆にならないように個人が意識するまではいいとしても,それを制御したり方向付けするような「余計」な力を加えると,この力自身がカルト化,余計な意見を排除しがちな組織の柔軟性の欠如につながる危険性があることだ。

このようなエラーの予防措置も含めて「群集の叡智」をエンジニアリングし,安全なメカニズムを構築したい。岡田氏の目標はこのあたりにあるのだろうと感じた。

著者プロフィール

中尾真二(なかおしんじ)

1961年生まれ。ハードウェア・コンピュータ技術者からアスキーに転職し,およそ10年ほど技術書籍・雑誌の編集に携わる。その後,オライリー・ジャパンで5年ほど企画・編集に従事。編集長時代に当時の日本法人社長とケンカしてクビに(笑)。現在はRBB TODAY,レスポンス他でニュース,コラムなどを編集・執筆。

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