UI/UX 未来志向―進化の方向を予測し、今必要なことを知る

第4回学びどころの多いゲームデザインの世界

今回は、ビデオゲームに学ぶUI/UXがテーマです。近年のビデオゲームはニンテンドー3DSのデュアル画面や、WiiリモコンやKinectなどハードウェアのインタフェースも大きく変化し注目に値しますが、1980年代のファミリーコンピュータ(ファミコン)の時期から、ビデオゲームの分野はUI/UXについて非常によく考えられてきた分野です。

ビデオゲームはエンタテイメントであるため、一見すべてがコンテンツに見えてしまいますが、この分野ほどUI/UXというテーマがぴったりなものはありません。普通のアプリケーション開発と違うとすれば、目的がエンタテイメントか、何らかの問題解決かということでしょう。

ゲームは体験を重視するがゆえに、遊び方がわかりにくいものは嫌われます。ですからアプリケーション同様に、UIも体験の質を落とさないための工夫がさまざまに施されています。今回の記事では、ユーザの体験を重視するために、ゲームにどのようなUI的な工夫が施されているかを考察していきます。

ダイエジェティック手法

映画で使われる手法で「ダイエジェティック」と呼ばれるものがあります。たとえば荒野での戦いのシーンなどで緊張感のある音楽を流したりしますが、その音楽は俳優同士が聴きながら戦っているわけではありません。映画内の世界では、風や大気の音はするかもしれませんが、緊張感のある音楽は映画というメディアの演出のために後付けされているわけです。当たり前過ぎて不思議とも思いませんが、映画の音楽の多くは「演出効果」なのです。

ダイエジェティック手法というのはこの逆の手法です。つまり、映画内で実際にその俳優も聴くことのできる音楽演出であり、音源が明示的に表現されている状態です。たとえば、酒場などのシーンでピアノを演奏している人が映っている場合には、そこから流れる音は、その場で流れている音として、映画にリアルさを与えます。演出効果との境界は、映像内に音源となるものが映っているか否かということになります。つまりダイエジェティック手法は、リアリティ体験のしかたの表現手法と言えるでしょう。

ゲームにおけるダイエジェティック手法

さて、このダイエジェティック手法ですが、ビデオゲームのUIでも使われます。UIにおけるダイエジェティックとはどういうことでしょうか。具体的な例を見てみましょう。

格闘ゲームやシューティングゲームなどは、自分の残りパワーを示すゲージが画面に提示されることがあります。この提示は、ゲームプレイヤーに向けられた提示なわけで、ゲームのリアリティとは無関係です。その点で、音楽と同様にその場におけるリアルではなく、コンテンツの演出表現手法であり、非ダイエジェティックとなります。

しかし最近のゲームでは、こういったプレイヤーに伝えるためのUIを画面上に表示しない手法、すなわちUIにおけるダイエジェティック手法が使われることがあります。どうやって情報を提示するかというと、パワーゲージでしたらパワーはそのゲームキャラクタに帰属するものですから、たとえば「Dead Space 3」注1では、ゲームキャラクターの背中に生命状態を提示するスーツを着ているという設定にしてプレイヤに現在のパワーを提示しています図1⁠。これにより、パワーゲージはそのゲームの世界観の中でリアルなものになります。同時にプレイヤのために提示されていたパワーゲージは画面上に提示されなくなるため、画面構成がすっきりします。結果として、画面を見ているという感覚を軽減させ、ゲーム世界への没入感を高める効果があるとされています。

図1 ⁠Dead Space 3」のダイエジェティック手法。
背骨のようなものがパワーゲージになっており、画面には提示がない
「Dead Space 3」のダイエジェティック手法。背骨のようなものがパワーゲージになっており、画面には提示がない
© Electronic Arts Inc 2013

特に近年のハイエンドゲームでは、CGも非常に美しく映画のような表現を採用しているため、画面上にテキストなどでUIを表示してしまうとシーンの美しさを損ないかねないので、なるべく表示しないという方向性が強いようです。

また、ゲームでは所有している武器を持つ、それを入れ替える、地図を見るなど設定的な作業もありますが、こういった設定画面も、そのキャラクターがしているゴーグルがAR(拡張現実感)のシースルー型ディスプレイになっているという世界観にすることで、画面にプレイヤのために設定画面を出している感覚を弱くしています。

インストラクション

ゲームはエンタテイメントですが、最近のゲームは複雑なことも多く、⁠どう遊ぶか」⁠どういう機能があるか」を学ぶ必要があります。しかし「説明書を読んでから遊んでください」とは言いにくいものがあります。

そこで、複雑なゲームは遊び方を自然なプロセスで学べるようインストラクションを最初に用意することが多くあります。中にはインストラクションに思えないレベルで、自然にプレイヤに練習をさせるような工夫が施されていることがあります。

たとえば、⁠スーパーマリオブラザーズ」注2では、1面に階段状のブロックの山が2ヵ所あり、それぞれ山の中心には谷があるのですが、最初の山の谷は、落ちても地面があるためミスになりません。しかし、2つ目の山の谷は地面がなく、落ちるとミスになってしまいます。つまり、1つ目の山が練習となっているのです。しかしプレイヤはあくまでステージがそういう作り方をしているのだとしか感じないことが多く、自然とジャンプのしかたを学べるようになっているのです。

こういった自然なインストラクションは、ゲームにおけるレベルデザインにも重要であり、難易度の向上と学びをうまく反復させながらゲームを行えるように設計されていることが多いのです。

アプリケーションへの応用

UIの設計においてもこのようなインストラクションは極めて重要であり、説明書と操作を分けることなく、使う中でそのアプリケーションやサービスのしくみを無理なく体得できるようなことが求められるでしょう。いくつかのWebサービスでは、実際にある操作をするようにユーザを促し、操作をすべて行うと、インセンティブとしてポイントがもらえたり、使用可能な容量が増えたり、さまざまな機能が使えるようになったりするしくみを導入しています。すべての機能を使ってもらい、アプリケーションの価値をきちんと理解してもらうよう配慮が施されているのです。

ゲームとUI/UX

冒頭でも触れましたが、ゲームは体験がコンテンツです。UXのためにUIが非常によく考えられています。

UXと言うと、調査を行いペルソナやシナリオ設定をしながら新たな価値を見いだし、それが体験をもたらす、という考え方もよく目にします。しかし、その新しい価値を発見したとしても、画面設計に落とす際には、従来からあるボタンやメニューやテキストの配置の工夫で終わってしまい、ブランディングというレベルでの体験設計にしかなっていないことも少なくないように思えます。

もちろん、⁠新しい体験=奇抜なインタラクション」が善というわけではありませんが、本コラム第1回でも紹介したように、操作における気持ち良さはインタラクションから生まれます。そしてそれはビデオゲームから学べることが多いように思います。UX設計といったとき、プロセスから成るマクロな視点も大切ですが、人という生身の知覚や身体が何を感じ取るのかも考えることも重要です。体験は会議室で起きているのではありません、それを使うユーザの身体で起きているのです。

この記事を書くにあたり、ゲームデザイン研究者の簗瀬洋平さんと議論させていただきました。感謝いたします。

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