圏外からのWeb未来観測

第4回ネットコミュニケーションのおもしろさに賭けた挑戦

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(撮影:平野正樹)

「はてなからグリーへの大転身」と話題になった伊藤直也さんの転職ですが、その背後には伊藤さんの一貫したWeb観がありました。

梅田さんを囲む会

中島:田中社長[1]と古いお知りあいだったそうですが、どういう関係だったんですか?

伊藤:実は、最初は「梅田さん[2]を囲む会」でした。それも『ウェブ進化論』注3より前のことです。

中島:というと、梅田さんがCNETで連載されていたころ[4]ですか?

伊藤:そうですね。僕がはてなに入る前だから、7年前になります。

今グリーで副社長をやってる山岸[5]が当時CNET Japanの編集長だったんですよ。それで、梅田さんから山岸に「今度日本行くからおもしろい人間集めてこい」っていう指令が下って、10人ぐらいで集まったんです。そのとき集まったメンバーが、田中もそうですし、シックス・アパートの宮川さん[6]⁠、それから江島さん[7]もいて、あと、今Googleにいる高林さん[8]⁠、アプレッソの小野さん[9]と…。あと、はてなで同僚だった川崎さん[10]⁠。

中島:今考えるとすごいメンツですね。

伊藤:結構みんなネットワーク上でつながってたんですけど、僕だけがその中で誰にも知られてなくて…。なんで僕のところに連絡がきたかって言ったら、僕ブログを書いていたんですね[11]⁠。で、そのときに「ブログがおもしろいから、こいつはおもしろいんじゃないか」っていって声をかけてもらって…。

中島:あ、それはもうブログだけの縁だったんですか。

伊藤:そうです。だから僕的には結構恐縮してしまって、その会はあんまりおもしろいこともしゃべれなかったんですけど、何回かそういう集まりがあって、だんだん仲良くなって、ネットのこととかしゃべるようになって…っていうのがはじまりでしたね。

中島:なんか明治維新前夜の松下村塾みたいな話ですね。

田中さんは特別な人

伊藤:それで、そのころに田中が─⁠─ここでは田中さんと呼ばせてください─⁠─楽天にいた田中さんがGREE[12]を作り始めたんですよ。当時、僕はまだニフティ⁠株⁠にいました。田中さんから自分が作っているサービスを使ってみてくれってメッセンジャーがきて、わかったって言って登録して、田中さんの紹介でワンホップでつながるんですよ。個人で趣味で立ち上げたWebサイトなんだけど、こんな人がいっぱいきて大変なことになってる…って驚きました。

それで、Apacheの設定どうしたらいいの? とか、負荷いっぱいきちゃったんだけど、どうやって分散したらいいの? とか田中さんから聞かれて、それを僕が教えたり、少し手伝ったりもしました。本当にもう仕事とか関係なく、お互い全然別の会社にいながら、そういうことをやっていた時期があったんですよ。

中島:会うとWebの話を何時間もされたとか。

伊藤:そうですね。そういう人はほかにもいたんですが、田中さんは僕にとってはちょっと特別な人です。同年代で、会社をそれなりに成長させて、上場させるところまでもっていっちゃったりとか…。僕にとっては結果を出した人みたいな感じがあって、そういう人が話す一言一言っていうのは、ほかの人に比べて重みもありますし、だからそういう意味で議論しててすごく刺激になっていました。

中島:なるほど。だから一番初めの出会いからずーっと続いてる中で、今回の転職の話があったという。

伊藤:そうです。僕がこう一本釣りで引き抜かれたって考えている人もいるみたいですけど、全然そうじゃないんですよ。

はてなのCTOとして

中島:はてなではインフラを作る仕事とサービスを作る部分を両方見ていたんですか?

伊藤:同時期に両方やってたことは実はあんまりなくて、結構時期によって変えてたんですよ。京都に移る前の1年間くらいは完全にインフラをやっていました。京都に移ってからは、⁠はてなブックマーク2」のリニューアルで…もうずっとサービスみたいなことをやっていて、で、はてなを辞めるちょっと前までは結構マネージメントに集中して、開発の体制を作ったりしていました。

中島:ああなるほど。どうやって両立してるのかなぁっていうのがちょっと長年の疑問だったんですけど、一つずつ集中してたんですね。

伊藤:低レイヤと高レイヤをですか?

中島:ええ。

伊藤:結構それは、悩ましいところですね。同じ時期に低レイヤのこととサービスのコミュニケーションのことを一緒に考えるっていうのは、ちょっと厳しかったです。ただ、これからはサービスのほうに集中していこうと思っています。

10年ぐらいWebのサービスのいろんなことやってきて、それこそインフラもやったし、中のフレームワークを作ってみたり、開発標準を作ってみたりしましたが、僕よりできる人が世の中にごろごろいました。ただ、いわゆるソーシャルアプリケーションを作るところの設計っていうのは、自分から見て「この人のほうがよくできるな」って人がそんなにいなかったので、これからはここに集中していくのがいいかなと思うようになったんです。

中島:幅広くいろいろやってみて、自分がやるべき分野はここだなっていうのが今見えてきたと。

伊藤:そうです。ただ一方でソーシャルサービスの設計って、技術と切っても切り離せないところがあって、Webのアーキテクチャがどういう風になっているのかとかを知っている必要があったり、試行錯誤が必要なので、どれだけ早くそういう試行錯誤を繰り返せる環境を作りこんでいくかみたいなのもあるんで、プログラマでなくなることは多分ないと思います。

中島:完全に実装のレイヤから離れちゃうことはないと。そこを足場にして、アプリケーション側というかサービス側を見ていくというスタンスですか?

伊藤:そうです。サービス作るときってデザインかプログラミングができないと、うまく作れないんじゃないかっていうふうに、経験的に思っています。そのどっちかの現場から足を離しちゃうと途端に勘が利かなくなりそうな気がしていて、その直感がある限りはプログラマでい続けようかなと思っています。

伊藤さんが勤務するグリー⁠株⁠のオフィスにて
伊藤さんが勤務するグリー(株)のオフィスにて

競争の最前線へ

中島:グリーでは、どんなことをやろうとしているんですか?

伊藤:日本のネットの会社の中で、特に大きい会社同士が競争して激しく衝突するという時代が、まさに今始まっていると感じています。その競争の真ん中で戦ってみたい。

中島:最前線で火花が散っているところでやってみたいと。

伊藤:そうです。今このソーシャルゲームの業界っていうのはイノベーションのジレンマの典型的な例だと考えています。

携帯とか表現力の乏しいデバイスでのゲームって、既存のゲーム業界の価値基準で見ると参入しにくい市場ですよね。そこにソーシャル性とかソーシャルグラフとかインターネットの本質的なパワーを持った要素をつけ足したゲームっていうのを持って参入したっていうのが、多分グリーとかDeNAさん[13]の構図だと思います。

それで、そういう中で現状はまだエントリレベルにいるんですけど、スマートフォンの時代になると表現力が上がってきて、少しずつ既存のゲームと同じ土俵に乗っていくことになります。でも既存のゲーム業界におけるネットワーク対応って、僕から見るとネットの見方が少し違います。普通に1人で遊べるゲームなんだけど、友達と集まるとちょっとインターネットを使って、ゲームの中の一部分だけをネットワーク対戦できますというのがほとんどで、それって僕にとってはあんまりネットワークゲームじゃないんですよ。

ゲーマー伊藤直也の夢

伊藤:僕、もともとすごいゲーマーなんです。最初は、インターネットって単に便利だなぁくらいにしか思ってなかったんですけど、初めてウルティマオンライン[14]っていうゲームをやったときに、ゲームの中に登場する町の人ですら、ほかのプレイヤーっていう状況がものすごくおもしろくて、⁠こんなにおもしろいものが世の中にあるんだ」ってそこで初めてインターネットってすごいと思いました。

中島:魂を揺さぶられた?

伊藤:そう、そうなんですよ。

中島:便利だなぁっていうレベルではなくて、魂に響くのがゲームだったと。

伊藤:ゲーム自体がおもしろかったというより、なんていうんですかね。子どものときにドラゴンクエストとかいろいろなロールプレイングゲームをやったんですけど、1人でやって結局何になるんだろうって思ってしまったりとか。あるいはゲームに町の人が出てくるけど、町の人はコンピュータだからしゃべりかけても同じ答えしか返ってこないけど、町の人が普通の人間のようにしゃべったらそれだけでずっと遊んでいられるんじゃないか、みたいなことを思ったときがあって、それがまさに実現されたのがネットワークゲームだったんです。

Webらしいコミュニケーションプラットフォーム

伊藤:重要なのは単純にゲームがコミュニケーションと一緒になっておもしろいってことじゃなくて、コミュニケーションそのものがおもしろいというプラットフォームがそのバックエンドにあって、それの上でゲームとそれが融合しているっていう感じなんです。で、僕はそのコミュニケーションプラットフォームのところを作るということを、これから何年かかけてやっていきたいと思っています。

僕らのゲームの作り方はWebサービスの作り方そのものなんですよ。ユーザがどういう風に動くかわからないから、ある程度見切りつけて出したあとで変化させていきましょうっていう作り方をします。ネットワークゲームを本質的に作りこんでおもしろくしていくには、このWebの作り方と同様のプロセスが必要だと思うんですよ。それで、僕たちはもうそれをできる力を持っていて、これから表現力が豊かなデバイスのほうに進んでいくと、そのときに既存のゲームの作り方との勝負になってくると思います。僕はやっぱりWebの人間なんで、あとから作り変えていくっていう方向に賭けたいと思います。

中島:はてなでやられてたことも同じですよね。ユーザと対話する中で一緒に試行錯誤しながらサービスを作り上げていくという意味では。ある意味では一貫してるわけですね。直也さんのやってることっていうのは。

伊藤:僕にとっては結構全部つながっていて、やるべきことはそんなに変わってないというのが正直なところなんですけどね。

中島:不特定多数のユーザのやることを事前に全部見通すことはできないから、どこかで見切りをつけることも必要だし、サービスインしてからすばやく反応していく反射神経も必要。そこを見切る眼力と反射神経は鍛えてある。という感じですか。そこは、一朝一夕にはできないぞという。

伊藤:一朝一夕にできないぞというか、essaさんがブログで書かれていた受託開発とWeb開発の違い[15]と多分似ています。どちらが良い悪いという話ではなくて、文化の違い、どこを中心に見ているかという話じゃないかと思います。僕らはそれを武器にして勝負していくってことになると思います。

あとがき

お話してみて、⁠ユーザからの問いかけに答えていけるダイナミックさこそがWebサービスの本質」という信念と自信を感じました。そして、それを実現するには技術的裏付けやWebのアーキテクチャを理解することが必要であるということですね。そのWebの王道を着実に歩んでいる人だと思います。

ブログ上では長い付き合いだけど、リアルでじっくり話したのは今回が初めてでした
ブログ上では長い付き合いだけど、リアルでじっくり話したのは今回が初めてでした

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