私とオープンソースの出会い
私とオープンソースの出会いは高校生のころに購入したX68000にgccをはじめ各種GNU Toolsが移植されたことがきっかけでした。今から17年くらい前になるんですかね。
当時その各種GNU Toolsを移植された方,またオープンソースではありませんでしたがfish.xというシェル(※1)をフリーウェアとして公開された板垣さんがいらっしゃらなければVGMをやってたりゲームの解析をしているタダのヲタだったと思います。感謝。
関係ないですけど昨年引越をしたときに関連資料(※2)を発掘してしまいました(苦笑)。
ちなみにその前後でSoftware Designが発刊(誌名変更というか確かリニューアルですよね)があったみたいです(※3)。
- ※1 fish.x
- http://www.vector.co.jp/soft/x68/util/se016708.html
- http://retropc.net/x68000/software/tools/itatoolbox/fish/
- ※2 関連資料
- http://photozou.jp/photo/tagged/137/X68000
- ※3 History of Software Design
- http://www.gihyo.co.jp/magazine/SD/contents/history.html
初めてさわったUNIX
初めてUNIXにさわったのは20歳のころに就職したカプコンでスーパーファミコンの開発用機材のSony NeWSを使ったことでした。そのNeWSはMC68030で動くテープドライブの付いた17xx番台だったと思います。サウンド関係はワンランクグレードが低かったんですよね。
当時ソフトバンクの『UNIX USER』が創刊され,FDcloneをビルドしたり,CD-ROMになってからは片っ端から仕事中にGNU Toolsをビルドして使っていました。
カプコンではその後MS-DOSでのMS-Cでの開発,System 7(いわゆる漢字Talk 7)上でのアプリケーション開発などをやっていました。オープンソースではなかったかもしれませんが,mintというSystem 7上でUNIXライクな環境を構築したフリーウェアがあり,かなりショックを受けました。
そのころもそれとMS-DOS上ではdjgppを使ってただのビルド猿になっていた気がします。ああi386早かった。
その後ゲーム業界はセガ(当時セガ・エンタープライゼス)に転職し『UNIX USER』(苦笑)についてきた期待の新星Slackwareを使っていました。Pentium 90MHzのころでした。
その後Debian(コード名忘れましたがboの前だったと思います)を使い出し,とても魅力的で今でいうIT業界で働きたくなりました。Pentium 166MHzぐらいでSCSI 5インチ660MBのHDD(SATURNの開発機材のあまり)を2つ使ってたんですよね。
まだdaemonとかApacheとか「うぇぶさーばー」とかなんとなく単語を使っていた程度でちゃんとわかっていなかったころです。もっとも,今でもちゃんとわかってるかは疑問ですが(苦笑)。cygwinもそのころにかなりがっつり使うようになりました。
「オープンソースたのしー」というころでした。
さようならゲーム業界,はじめましてIT業界
Dreamcastの開発も一段落したときにちょっとしたきっかけでIT業界に飛び込みました。2000年のころです。
ホライズン・デジタル・エンタープライズで本格的にLinuxを使うようになり,徐々にオープンソースにどっぷりな生活になってきました。でもですね。
言語はPHP,Red Hat Linuxがメインだったんですよ。
実は私はRed Hat Linuxがすごい嫌いで(メジャーだったんで),しかも業務で主に使っていた言語PHPは(Perlも含めて),というか,当時動的なWebページ向けの言語がとても嫌いだったんです。あえて嫌いなものを使い続けてやる!!という感じでした。
実際にスクリプト系言語で大規模な案件をやったことがなかった私は,当時15万行前後のHDE Controllerの開発になれるのに1ヵ月かかってしまいました。
そんなこんなでLinuxとPHP
そんなこんなでLinuxとPHPは私には公私ともになくてはならないものになってしまいました。Red Hat Linuxを常用していた私は自然とFedora Coreを使用することにし,Fedora JPに参加し,日本PHPユーザ会へ参加するようになりました。

