玩式草子─ソフトウェアとたわむれる日々

第73回 「お講」文書をディジタル化する[その1]

この記事を読むのに必要な時間:およそ 2.5 分

8月も下旬になってくると,日中の残暑は厳しいものの朝夕はずいぶん涼しくなってきました。昼間はまだまだセミが頑張っていますが,夜になると秋の虫の音が響くようになり,一月前には山の上の方にいた赤とんぼも田んぼまで下りてきて,季節の移ろいを感じさせます。水田の稲もそろそろ穂を垂れはじめました。

図1 穂を垂れはじめた早稲(キヌヒカリ)

図1 穂を垂れはじめた早稲(キヌヒカリ)

筆者は大学時代から二十数年間,実家を離れて京都や東京に暮していたものの,年をとるにつれ,季節の変化を身近に感じられる田舎の生活ペースが心地良く感じられるようになってきました。

伝統行事と「お講」

筆者の場合,高校までは地元にいたため,二十数年ぶりに帰ってきたといっても,かつての友人,知人は残っているし,父親の代替わりとして村のつきあいにもスムーズに溶けこめました。

しかしながら多感な青年期(笑)を都会で過したこともあり,久しぶりに戻ってきた田舎ではカルチャー・ショックを受けることもよくありました。そのひとつが参加を強制される各種行事の多さです。

都会に一人暮ししていると,案内等は来るものの,地区のほとんどの行事は自由参加で,興味が無ければ無視して過すことができます。

一方,田舎の場合,田植えの前に水路の草刈りや掃除をする「溝草」や稲刈り前に農道を整備する「道普請」といった共同作業をはじめ,元日の朝に地元の神社に参拝する「地起こし」⁠田植えの後に豊作を祈願する「水固め」⁠お盆の前後の「堂参り」⁠布団屋台を2日間練り歩く「秋祭り」等々,⁠村」の住人全員参加が前提のさまざまな伝統行事が現在も残っています。

そのような伝統行事の中で,これは面白いな,と思ったのがお講(伊勢講)です。⁠お講」といっても多くの人はご存知ないと思うので,少し詳しく説明しておきましょう。

「伊勢講」は,室町時代に始まり,江戸時代に全国的に広まった,お伊勢さん参り(伊勢神宮参拝)⁠をするための仕組みです。

天照大神を祭っている伊勢神宮は日本の神社の総元締めとして古くから信仰を集め,多くの人が一生に一度は「お伊勢さん参り」をしたいと思っていました。しかし,交通手段が徒歩しかない当時,伊勢神宮の参拝には膨大な費用と時間がかかります。

「弥次喜多道中」として知られている十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は, 江戸から東海道を通って伊勢神宮に参拝する道中の滑稽譚で, 当時江戸から伊勢神宮まで,徒歩で片道15日かかったそうです。

「お伊勢さん参り」はしたいけれどまとまった金がない,そういう人たちが集まってを組み,各自が出せる程度のお金を集めて,年に一度くじ引きで当選者を決め,当選者が「講」の代表として集めたお金で「お伊勢さん参り」をする,一度くじに当たった人は翌年からはくじを引く権利を失なうものの,⁠講」の参加者全員が参拝するまではお金を出し続けなければならない,そういう形で人々に伊勢神宮へ参拝する機会を提供したのが伊勢講です。

「お伊勢さん参り」には10万円かかるけれど1年あたりの余裕は1万円しかない,という人たちが10人集まれば,毎年1人は参拝できる,と考えればわかりやすいでしょうか。もちろん,この仕組みが機能するためには,自分の番は終っても最後まで「講」を務めることが必要で,そのための保証として「地縁」⁠血縁」といったつながりが利用されます。

本来,⁠講」というのは同じ信仰を持つ人々の集まりを意味し,定期的に集まってお参りをする「念仏講」「観音講」⁠富士山や伏見稲荷に詣でるための「富士講」⁠稲荷講」など,さまざまな種類の講がありました。また,上述のように「講」お金を集める仕組みでもあり,共同体内部で金銭を相互扶助するための頼母子(たのもし)無尽講」⁠あるいはそれらを悪用したねずみ講などにも名前が残っています。

これらの「講」は,貨幣経済が急速に発達した江戸後期から昭和初期に渡って全国で広く行われていたものの,戦後,くじ引きで当選者を決めることなどを賭博を見なしたGHQが禁止令を出し,多くの「講」が解散したり,賭博と見なされないように形態を改めることになりました。

著者プロフィール

こじまみつひろ

Plamo Linuxとりまとめ役。もともとは人類学的にハッカー文化を研究しようとしていたものの,いつの間にかミイラ取りがミイラになってOSSの世界にどっぷりと漬かってしまいました。最近は田舎に隠棲して半農半自営な生活をしながらソフトウェアと戯れています。

URLhttp://www.linet.gr.jp/~kojima/Plamo/index.html

コメント

コメントの記入