草花の知恵

第10回 「アムール川の美少年」

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ふつう植物の学名といったものは,専門家以外には用がない。たとえおそわっても,すぐに忘れる。しかし,フクジュソウはなぜかよく覚えている。たまたま知って,二度と忘れない。

「アドニス・アムレンシス」

つまり,「アムールのアドニス」らしいのだ。ロシアと中国の国境を流れるアムール川にちなんでおり,古典ギリシャの美少年アドニスと結びつけてある。「アムール川の美少年」ときて,ずいぶんと印象深い。

べつにわざと気どって名づけたわけでもないようだ。アムール川は冬期には一面に氷で覆われる。寒冷地帯であって,フクジュソウは寒さに強い。中国東北部,シベリア,カラフトなどに自生している。わが国では北海道から九州まで見られるが,やはり北のほうでひんぱんに目にするし,群生の規模も大きい。

あざやかな黄色をしている。アムール川の氷がとけて春の息吹がはじまったころ,いちばんに顔を出すのはこの花だ。長い冬を我慢してきた人々にとって,とびきりの美少年が春のメッセンジャーボーイとしてやってきたような気がしたのではあるまいか。花の生態,また与える感じからいっても,「アムール川の美少年」はまさしくぴったりである。

福寿草(フクジュソウ) 画:外山康雄

福寿草(フクジュソウ) 画:外山康雄

「福寿草」の漢字もまた,それなりに花に応じている。旧暦の正月ごろに咲きはじめる。むろん,それまでに芽を出しており,ゆっくりと頭をもたげていたはずだが,凍土に隠れていて,ほとんど誰も気づかない。冬のさなかにも何日か,春めいた陽気が訪れたりするが,そんな日に気をつけていると,そっと咲き出している。ほんとうに開花するのは二月か三月ごろだから,フクジュソウのなかでも気の短いのが地上に出てくるのかもしれない。

昔の人は,それが「福寿」をもたらす使いのように思えたのだろう。まっ黄の色ぐあいが,黄金の小判と似ている。欲ばりな人には,点々と咲きそろうと,あたり一面に小判をばらまいたように見えたのではあるまいか。

栽培する人もいるが,やはり自生しているのがいい。田畑が山裾に移る斜面や,川の上流部の草地に多い。過疎がすすみ,田や畑が放棄されると,まずフクジュソウがやってくる。人がいなくなった廃村に黄金の群落がひろがっている。「福寿」の名が皮肉な風景をつくっている。

光と温度におそろしく敏感な花であって,お天気の日にながめていると,おもしろい。さんさんと降る陽光のなかで,大きく開いている。雲があらわれ,太陽が隠れると,傘をたたむようにして,すぼみはじめる。雲が流れて,再び陽光が射しかけると,またもや開く。

花そのものは可憐だが,茎は太く,葉も繁り合っている。霜にあうと,全体がしおれたようになり,霜にやられたのかと思うが,そうではなくて,太陽が出てくると,茎も葉もにわかに生きいきしてくる。先生に叱られると,うなだれていて,小言がすむと,すぐまた元気になる少年のようだ。アムール川のアドニスは,なかなか生命力がたくましい。「福寿」の字の「寿(ことぶき)」は,この花の,強さをよくとらえている。

しかし,まあ,花のいのちは短いのだ。ふた月ばかりで,まばゆい黄金は消え失せ,丸いつぶつぶになっている。種子をつけた。後継者をつくると,現役はもはや用なし。人間社会とちがって,老骨がいつまでも地位にしがみついているなんてことはない。結実とともに茎も葉も色を失い,はやくも退去の準備をしている。

そのころはもう春たけなわ。まわりに草花がスイスイのびて,春一番のメッセンジャーは姿が見えない。だからといって地上からいなくなったわけではない。春から夏は冬眠中。みんなが騒ぎ立てるころは出てこない。いたってヘソ曲がりなやつなのだ。

著者プロフィール

池内紀(いけうちおさむ)

1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者。エッセイスト。

主な著書に『ひとり旅は楽し』(中央公論新社)『ぼくのドイツ文学講義』(岩波書店)『町角ものがたり』(白水社)など。『カフカ小説全集(全6巻)』(白水社)など翻訳書も多数。新刊は『森の紳士録』(岩波新書)。


外山康雄(とやまやすお)

1940年東京深川生まれ。新潟県浦佐で育つ。2002年南魚沼郡塩沢町に古民家を再生したギャラリー「野の花館」開設。

画集に『折々の花たち 1~4』(恒文社)『野の花の水彩画』『私の好きな野の花』『野の花 山の花』(日貿出版社)など。

外山康雄の野の花館:

URLhttp://www.toyama-yasuo.jp/

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