はたらくって何? シューカツも無事終わり、新社会人のスタートを気持ちよく切りたい女子大生・ともよが会社訪問。第4回は37歳で大学へ通いはじめた@gosukenator。
(撮影:平野正樹)
ずっと技術屋でいたい
ともよ(以下と):北海道大学の経済学部経営学科という、かなり文系っぽい学科をご卒業されていると聞きました。
宮下剛輔(以下宮):文系なのですが、工学部出身の教授のゼミに入っていたので、1995年当時からWebサーバを気軽に触れる環境でした。もともとコンピュータや数学の授業は好きだったので、そのころからゼミのWebサイト運用をやらせてもらっていたんです。
と:大学時代から!
宮:大学を卒業してからは、伊藤忠テクノサイエンス(現在の伊藤忠テクノソリューションズ)にSE として新卒で入社し、企業へのインターネット導入をお手伝いするような部署に配属されました。
と:インターネット導入をお手伝い?
宮:当時、Netscapeのブラウザやサーバ製品が売り物だった時代でした。営業と一緒にお客さんのところに行き、その製品の提案やデモ、構築をやっていたんです。Netscapeの担当だった関係もあり、社会人2年目には日本Netscapeに4ヵ月出向。その後少し間があって社会人3年目に1年間、アメリカのNetscapeに出向していました。
と:入社3年目でアメリカで暮らすことになったんですね。大変そうです。向こうではどんなお仕事を?
宮:Netscapeサーバ製品の、日本語化されたバージョンのテストです。バグを見つけたらBugzilla[1]で報告して開発の人とやりとり。その繰り返しです。7年間Netscape担当をしていたんですが、そろそろ違うことをやりたいなと思っているところに知人から声がかかり、ネットマークスに転職しました。1年くらいで退職してしまったんですけどね。
と:短い!なんでですか?
宮:うーん。なんか違うなと感じてしまったんですね。伊藤忠テクノサイエンスのころから思ってたんですけど、人が作った製品を売るという立場は、その製品を自分でそんなにいいと思ってなくても、お客さんには「いいですよ~」と言って売らなきゃいけない。それにすごく違和感があったんです。それに、自分で作ったものじゃないので、手の入れようがないんです。トラブルが起きたときにも自分では直せない。もどかしかったですね。
宮下剛輔[MIYASHITA Gosuke(@gosukenator)]
1975年、北海道生まれ。paperboy&co.テクニカルマネージャー。ドクターペッパー好き。
マネージャーは大忙し
と:その後の3社目が、今いらっしゃるpaperboy&co(. 以下ペパボ)なんですね。
宮:そうですね。純粋なプログラマとしてのキャリアはこの会社がスタートでした。SIer の課長クラスになると、全然技術的なことをやらなくなっちゃうんですよね。自分がこの先、マネジメントの仕事だけをしている姿って、全然想像できないなーと。僕はずっと技術屋でいたいなと思ってましたから。
と:ペパボではどんなお仕事を?
宮:僕はテクニカルマネージャーとして、全社的な技術の統括をしています。ほかにやる人がいないけど、やるべき技術的な仕事を僕がやる立場なので、最初は勤怠管理システムも作りました。それから技術者の評価制度のしくみづくりだとか、技術者の採用面接、社内の開発環境の整備をやったり、いろいろです。ペパボはサービスごとに縦割りの体制になっているので、部署間でうまく情報共有できるように調整するのも、僕の仕事の一つです。
と:開発自体にはどういう風に関わっていますか?
宮:最近の例ですと、今年立ち上げたSqaleっていうサービスの全体の設計をやりました。また、ほかの人たちの手の回らない細かいところを見つけて僕がコード書いたりしています。たとえばLinuxのカーネルのパッチ書いたりとかですね(笑) 。ほかにもサーバ構築的なこともやったり……。
と:マネージャーさんは本当に何でもこなさなくちゃならないんですね。
プログラミング楽しいな
と:始めたころからプログラミングはお好きだったんですか?
宮:いや、実はそうでもないんです。プログラミングを始めたころはそんなに好きって感じではありませんでした。
と:え!? なんと……。
宮:もともとはゲームがしたくて、パソコン雑誌に載っていたプログラムを入力して遊んだり、何かやりたいことがあってそのためにコードを書くなど、あくまでも「道具」としてプログラミングしていました。「楽しい」という感覚に変わったのは、SledgeっていうPerlのウェブアプリケーションフレームワークに出会ったころですね。Sledgeを使うと、Webアプリケーションを書くのにすごく短い記述でやりたいことができたりするんですよね。
と:便利!
宮:優れた道具によってすごいことが自分の手で簡単に実現できる。それはあくまでも道具がすごいだけなんですが、なんだか自分がすごいと錯覚すること、ありますよね? そういう状態になって「なんかプログラミング楽しいな」って思い始めたんですね。
と:Perl歴は何年くらい?
宮:えっと、歴だけで言ったら大学のとき、1995年からなので17年ですね。
と:おおー、長い! Perlの勉強会にも積極的に行かれていたんですか?
宮:Sledgeを知ったあとですけど、2004年あたりからPerl系の勉強会に参加しはじめましたね。Shibuya.pmとか。
と:Shibuya.pm、聞いたことあります!
宮:pmはPerl Mongers(Perl の愛好家グループ)の略です。地域ごとにpmがいっぱいあったりして、そこで集まって定期的に勉強会とかやってるんですよ。
と:Perl 以外にも勉強会に参加しているんですか?
宮:そうですね。2012年は札幌Ruby会議で発表もしたほか、12月初旬のRubyConf Taiwanでも発表をする予定です[2]。
と:お仕事でもPerlを?
宮:いや、最近は仕事ではほとんど使ってないですね。今の会社はPHPがメインなんです。これからRuby にスイッチしていこうとしているフェーズで、新しいサービスはRubyで作っています。
「アメリカで一緒に暮らそうよ」
と:Netscapeのころは、アメリカへ行かれてたとか。海外で生活していたころの話を聞かせてください。
宮:オフィスがシリコンバレーの中のマウンテンビューというところにあったので、その近くのサニーベールという街に住んでいました。
と:食べ物で太ったりしました?
宮:自炊をしていたのでかえって痩せました。日本の食材とか手に入るスーパーがあるので、お米買ったりとか普通に日本の食材買ってたんです。
と:なるほど。
宮:日本にいたときには、お腹が空くとコンビニ行ったりしていたんですが、アメリカにないんですよね、日本のようなコンビニ。
と:アメリカでは一人で暮らしていたんですか?
宮:最初は一人暮らしだったんですが、実は渡米して3ヶ月後、そのころ福岡にいた遠距離恋愛中の妻に、「とりあえず仕事辞めてアメリカで一緒に暮らそうよ」と言って彼女を呼び寄せて、二人で暮らしはじめたんです。僕が24歳のときです。
と:若い!かっこいい!というか、奥様の決断力すごい!
宮:当時はまだ結婚してなかったのに、よくやったなあと思います(笑)。
と:奥様との出会いは……?
宮:インターネットのWebチャットです。高校のころの下宿先に住んでいた先輩がチャットを開設していて、そこに先輩の友達や知り合いが集まっていたんですが、そのうちの一人が妻だったんです。
と:インターネットから始まったお付き合いなんですね。
宮:今ならツイ婚とか特に抵抗ないですが、当時は珍しかったんでしょうね。
と:大丈夫なのー?とか親に言われそう。
宮:僕よりもむしろ妻が周りに言われてたみたいです(笑)。
37歳で大学に入学
と:そんな奥様の助けもあり、今年の4月から、また大学に通いはじめたそうですね。
宮:はい。帝京大学理工学部情報科学科に在籍しています。
と:ブログも拝見したのですが、はたらきながら大学に通おうと思った一番の動機はなんだったんでしょうか。
宮:ずっと技術者でやっていこうと思っているのに、自分は情報工学の学位を持っていないということにコンプレックスというか……微妙な引っ掛かりみたいなものがずっとあったんです。この先定年までずっと技術者でいようと思っているので、今のタイミングで基礎を学んでおくのもいいかなと。それから、情報系の学位を持っていないと、基本的にビザが出ないらしいので、アメリカで働こうと思ったときすぐ働けるように、ですかね。
と:将来的にはアメリカで働くことも考えているんですね!
宮:そうですね。まぁ、また行けたら楽しいかなって感じかなあ。
と:別の学位を持っている関係で2年次へ編入されたそうですね(わたくしのときと一緒~)。卒業までにどれくらいかかるのでしょう。
宮:卒業まで最短で3年。学費は年間15万円なので、3年間で50万円くらいです。
と:え!その2、3倍はするのかと思ってました!
宮:そう。そうなんですよ!調べてみたら「あ、思ったより安いじゃん」と(笑)。これからのことを考えたら、自分への投資に50万円は別に高くないなと感じて、37歳で大学入学に踏み切れたんですよ。
と:授業はどんな感じですか?
宮:通信制の学部なので、先生の解説などが書かれたテキストのpdfファイルをダウンロードして、教科書とあわせて進めていきます。ほかにはWeb上で小テストを受けたり、プログラムを書いて提出したり。提出したレポートには、赤ペン先生みたいにフィードバックをもらえます。僕はまだ2年次(1年目)なので、今は微分積分とか確率統計とか、数学の授業が大半です。スクーリングといって、実際に大学へ行って講義を受けたりもします。
と:1週間のうちどれぐらい学校の勉強しているんですか?
宮:ほぼ毎日、家でも会社でも勉強してますよ。朝、ちょっと早めに出社して30分ぐらい勉強して、昼休みにもして、家帰ってからやって。平均すると1日に2、3時間は勉強の時間にあてています。今まで家で趣味のプログラム書いたりサーバいじったりゲームやったりとか、そういうことに使っていた時間を、今は大学の勉強にあてている状態ですね。
と:勉強が苦にならないんですね。
宮:楽しいです。ただその分、家でコーディングする時間が減ってしまいましたけどね。
と:宮下さんから影響を受けて大学に入るエンジニアの方が増えそうですが、実際、37歳で大学に入学してみて、ほかのエンジニアの方にオススメしますか?
宮:そうですねー、数学が苦手な人にはちょっとオススメできないかなあ。通信教育だと1人でやんなきゃいけないので、数学苦手な人にはだいぶ厳しそう。レポートに対するフィードバックはもらえますが、自学自習するのとあんまり変わらないですしね。
と:仕事と学業って両立できるんでしょうか?
宮:最初は不安でしたけど、やってみたら「あ、割とやれてるなー」と思いました。
ずっとPCに触れていることが重要
と:今日のお話を聞いて、私ももう一回プログラミングのお勉強をしようかなあって思っちゃいました。せっかく、高専の先生が教えてくれたから忘れないようにしたいなあ。宮下さんは2回目の大学卒業後、どんなふうに働こうと思っていますか?
宮:そうですね。今とずっと変わらず、技術者でいたい。好きなことだけやって生きていきたいです。マネージメントとか、技術に関係ない仕事はなるべくしたくないので、起業はあまり考えてないです。技術に専念してはたらきたいです。
と:つつみに何か、はたらき方についてのアドバイス、お願いしますっ!
宮:いやあ、僕も好きなようにやってきているだけなので、あんまり言うことないかなーっていうのが正直なところです(笑)。僕の技術者としてのセンスとか才能って、そんなにないと思ってるんです。でもずっとPCに触れてることが、実は重要なのかなとは思います。家でも妻に「仕事してるのか遊んでるのかわかんない」って言われるんですよ。それぐらい積み重ねれば、たぶんこれぐらいにはなれるんだろうなって思いますね。
と:ふーむ、好きなことを続けることが大きな強みになるんですね。勉強になります。ありがとうございました!