禅で学ぶ「エンジニア」人生の歩き方

第6回 人と共に生きる その1

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今回と次回の2回を使って,「他人との距離」に関する禅語をいくつか取り上げてみたいと思います。

コンピュータというドライな上にある,コンピュータシステムというウェットなものを理解するために。
伝えるために,受け取るために。
まずは,一番不可解な「人」とのやり取りを,少し考えてみませんか?

今回は,いろいろな人との出会いとやり取りを考える,3つの禅語を取り上げてみます。

禅語「一期一会」

ランク:上級 カテゴリ:コミュニケーション

少々「今更」感が漂いそうな言葉ではありますが,「人と人」とを扱う話をするのであれば,やはりまずはこの言葉を取り上げたいと,私は思います。

周知の感もあろうかとは思いますが,あらためてこの言葉の,まずは表側の意味を,そうしてその奥に隠された心を,私なりに紐解いてみたいと思います。

相対する人と「もしかしたらもう二度と会えないかもしれない」という思いをもって接する。

これがこの言葉の意味になります。

……意味は非常に簡単に理解ができるのですが。
ではこの言葉の意味を「本当に理解している」か? と問われると,なかなか難しいものがあるのではないかと愚考いたしますが如何でしょうか?

ここで。一つの詩を,是非,読んでいただきたく思います。
“Tomorrow Never Comes”。邦題は「最後だとわかっていたなら」。Norma Cornett Marekという女性が,自らの「溺死した長男」を偲んで書いた詩です。
詩の全文をここで引用はいたしませんので,検索エンジンなどで探して読んでいただければと思います。

人は,好かれ悪しかれ「慣れる」動物です。

つまり。大切な人たちが,側にいることを,一緒に仕事ができることを,部下として従ってくれることを,その他諸々。

そんな有難い色々を,いつのまにか「当然」だと思ってしまう瞬間が,どうしてもあるのです。

「当たり前のいつもの日常」「昨日と同じ今日」。そんなものが来る保証などというのは,実はどこにもありません。 しかしそれでもなお,多くの人は「昨日と同じ今日」が来ることを,当然のように考えていないでしょうか?

そうして,その「当たり前であるべき日常」は,破られた時に初めて「それが大切である」ことに気付くのではないでしょうか?

当たり前のように顔を合わせ,或いは雑用を頼み,或いは厄介な作業を依頼し,或いは面倒な処理を命令して。
それがさも「やって当然出来て当然である」と,つい思ってはいないでしょうか?
「ありがとう」「ご苦労様」「お疲れ様」の一言を。笑顔を,労りを。どこかに忘れ去ってはいないでしょうか?

一期一会。

例えそれが「毎日顔を合わせる相手」であったとしても。今日という日は1日しかなく,この瞬間は二度と帰ってこないものです。
そうしてそれはつまり「今日の相手」とは初めて相対し,そうしてもう二度と会えない人でもあるのです。

感謝を謝罪を相談をいたわりを。

伝えなければきっと後悔するであろう様々を,ちゃんとあなたは伝えていますか? 「後悔先に立たず」になってしまう,その前に。

禅語「我逢人」

ランク:中級 カテゴリ:スキルアップ

がほうじん,と読みます。読み方を変えると「我,人と逢うなり」とも読みますね。

どうしても,特にITエンジニアと呼ばれる人たちの仕事の多くは,なぜかしら,個々での作業になりがちなことが多いと思います。
特にプログラミング作業において,どうしても「1人でやる作業」になりがちだと思うのですが如何でしょうか?(ペアプログラミングという手法もありますし,あれは「大変に素晴らしいんだ」ということを色々と語ってみたいのですが……それはまたいずれ機会がありましたら)

そうして。
そういった「独立した作業」が増えてくる中で,ともすると「すべてを1人でこなす」癖が付いてしまうこともままあるのではないかと思いますが如何でしょうか?

派遣などで「周囲に技術者がいない」「すべて他社さんの技術者」というケースなどで「話しかけにくい」などというお話しを耳にすることも,少なくとも私の周りでは,決して希ではありませんでした(私の場合,私がそういう壁をぶちこわして歩くことが多いので,概ね過去形になります)。

しかし正直なところ,独学というのは,大変に狭くて低いところにハードルがあり,その「狭くて低いハードルを越える」のは,並々ならぬ努力があってですら,なかなかかなわないものです。
少なくとも私の知っている限りにおいて,高スキルの方というのはやはりきちんと色々な方からなにがしかを教わっているものなのですね。

この話を,ほかの職業に置き直してみましょう。

例えば……純然たる趣味で,天ぷらを例に取り上げます。
基本的には「衣を付けて」「油に入れて揚げる」のが天ぷらになります。 では。「一流の職人さんと同じ揚げっぷりを,書物を読むだけで体得することが可能」でしょうか?

職人さんの天ぷらの,衣から揚げるタイミングから,そのあたりなんというか……絶妙という言葉でもまだ足りないほどに素晴らしい「なにか」を,書籍を読むだけで体得できるものなのでしょうか?

やはり純然たる趣味で,お刺身を例に取り上げてみましょう。
書籍を読んだだけで,「角がピンと立つような見事なお刺身を引く」ことができますか? 例えば鰆などの,柔らかい白身のお魚で。
「鱧の骨切り」はどうでしょうか? 身と骨とを切るのに皮を切らないぎりぎりのところを,一寸あたり26筋以上ものの包丁をいれていくことが,座学だけで可能なものなのでしょうか?

そうして。
我々エンジニア業界というものは,ほかの職業と比して「誰にでもできるほど容易で底が浅い」業界なのでしょうか?

人は,基本的には経験から何かを学び取っていきますが,そうして,その経験は,必ずしも「自らのもの」だけではありません。
「他人が過ごした時間と他人が得た経験と,そこから得られたObject」を与えるのが「教える」という行為であり,享受するのが「教わる」という行為です。

だからこそ。
自らだけでは得ることのできなかった様々を持っている可能性があるからこそ。
学びの徒たる我々は,この言葉に思いを馳せることが大切なのではないでしょうか?

我,人と逢うなり。

あなたは。あなたが得ていないかもしれない様々な経験を持つ,いろいろな人と出逢っていますか?

著者プロフィール

がる

こなしている職業を語ると「……で,何屋さん?」と聞かれる,経歴が怪しいエンジニア。「知のコラボ」とか「シナジー」とかって単語で上手に糊塗してみたい。

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