禅で学ぶ「エンジニア」人生の歩き方

第7回 人と共に生きる その2

この記事を読むのに必要な時間:およそ 2.5 分

禅語「誰家無明月清風」

ランク:上級 カテゴリ:コミュニケーション

明月に清風という,非常に美しい光景をよんだ,好みの言葉です。

誰が家にか明月清風無からん。明るい月の光や清らかな風が届かないような家がどこかにあるだろうか?

反語ですね。⁠いいやない。誰の家にも明るい月の光や清らかな風は平等に届く」という文章が続くイメージだと思います。

現実問題として「この人の家だから月の光が(自分の意志で)差さない」とか「あの人の家だから風が(自分の意志で)避ける」とかいうことは普通に「ありえない」と思うのですが。

では。
この禅語はこんな当たり前のことを通して,何を伝えたいと思っているのでしょうか?

一時期。⁠ホテルマンは靴を見て客(の懐具合)を値踏みする」なんていう話がよく出ていました(真偽のほどはもう一つ不明ですが。⁠判断材料の一端にしている」という現職の方のお話しは幾度かうかがったことがあります)⁠

一休禅師がやった「みすぼらしい袈裟と豪華な袈裟の話」をご存じの方も多いかと思います。
……ご存じない方のために簡単に書くと。お経を上げるために招かれた家に,はじめは見窄らしい袈裟を着ていったらけんもほろろに追い出され,豪華な袈裟を着ていったら下にも置かぬもてなしを受けた,というお話しです。一休禅師が言い放った台詞が秀逸なので,是非調べてみてください(⁠袈裟 一休」⁠豪華な袈裟 一休」あたりのキーワードで,色々と出てくるかと思います)⁠

無論。外見が一切不要だとは,思いません。
接客の世界では「真実の15秒」という言葉もありますし,そも見た目は「その人が⁠他人にどう見られたいか⁠の意思表示」でもあるわけですし。

しかしそれは「見られる側」に必要な考え方です。
見る側が持つべきなのは「虚飾を看破する目」であり,そのための第一歩として必要なのが「見た目で判断を下さずに,落ち着いて相手の本質を見る目」なのではないでしょうか?

他人の態度は,多くの場合「自らの鏡」になります。
初見でいきなり相手に敵意/害意を持てば,相手もまたそれを感じて身構え,結果として非常に好ましくない空気が,二人の間を流れることになります。

相手の見た目を地位を懐具合をその他を基準に。蔑んだり下に見たり敵意を持ったりしていませんか?

上に立てば立つほど。つい勘違いしてしまうことも多く,一方でそれをとがめてくれる人はどんどんと減ってしまいます。
そうして「表面だけは愛想がよいまま」心はどんどんと離れていき,気がつけばひとりぼっちになってしまうかもしれないのです。

その前に。
陽光を月光を星を風を雨を虫の音を様々を五感で感じながら。
⁠誰家無明月清風」という禅語の意味を,今一度,しみじみと噛みしめてみませんか?

著者プロフィール

がる

こなしている職業を語ると「……で,何屋さん?」と聞かれる,経歴が怪しいエンジニア。「知のコラボ」とか「シナジー」とかって単語で上手に糊塗してみたい。