トラブルに巻き込まれることがまったくない人生というのは……それはそれで大変に興味があるのですが。実際問題として,そんな方を拝見したことは,あまりありません。
またエンジニア(を含む,現場作業に従事する方々)は,そうでなくとも「トラブルに巻き込まれやすい」職業でもあります。
「現実的な対処対応」も無論大切なのですが,同じくらいに「心のケア」もまた,大切なのではないかと思っております。
今回はそんな「トラブルに巻き込まれた時」の心構えにまつわる禅語を3つ,取り上げてみたいと思います。
禅語「我昔所造諸悪業 皆由無始貧瞋癡」
ランク:新人 カテゴリ:疲労回復
元々は,懺悔文というものからの引用になります。
「我昔所造諸悪業 皆由無始貧瞋癡 従身語意之所生 一切我今皆懺悔」となりまして,「がしゃくしょぞうしょあくごう かいゆむしとんじんち じゅうしんごいししょしょう いっさいがこんかいさんげ」と読みます。
意味は,少し堅い言葉で書きますと「我が昔より造るところの諸悪業(諸々の悪業)は,皆,無始の貧瞋癡による身語意に従う事により生じるなり。一切を我れ今,皆懺悔いたします」となります。
……ちょっと堅すぎますねぇ,かみ砕きましょう。このまんまじゃ北九州市の名物,くろがね堅パンも顔負けの硬度です。
「人はすべからく仏である」というのは,基本的な仏教のスタンスです(とか言いつつ,12回ですでに「衆生本来は迷道の心」にてそれに対する反証も出ていますが)。
ただ。「人の本性」はともかくとして「今この瞬間」を問いますと,悪行悪業を重ねる人が0ではない,ということもまた,残念ながら事実になります。悪行悪業を重ねる人が0ならば,きっと私はこの原稿を書くチャンスさえなかったでしょうから。
では。「本来は仏である」はずの人が,何故に「悪行悪業を濁々と重ねていく」のでしょうか?
それを懺悔文では「貧瞋癡による身語意に従ってしまう事で発生してしまう」と述べています。
……またわからん用語が出てきましたねぇ。
さらにかみ砕きましょう。
まず,比較的簡単な「身語意」から。これは「五感や行動(“身”体),言葉(言“語”),思い(“意”識)」のことになります。
つまり「感じたり思ったり語ったり」することが身語意です。
つまり「貧瞋癡によって,感じたり行動に出たり思ったり語ったりすること」が,多分悪さをしているっぽいような感じになります。
では。貧瞋癡とは,なんでしょうか?
ここが,今回の要になります。
貧瞋癡は「“貪”欲(とんよく)」「“瞋”恚(しんい)」「愚“癡”(ぐち)」となります。
貪欲は「自分だけがむさぼりたい,自分がよければよい,という欲望」を。
瞋恚は「我慢をすることができずにすぐに怒り出す,曇った心」を。
愚癡は「周囲を知ろうとせず理解しようとしない愚かな頭」を。
それぞれ意味します。短い書き方をすると「むさぼり,いかり,おろかである」ってのがこの3つですね。
確かに……これを「思うだけ」ならともかく(それでも,思うだけで十分心が濁りますが),これが「言葉に出たり」「行動に出たり」すると……とりあえず,あんまり「楽しいことにはならないだろうなぁ」ということは,比較的容易に想像がつく気がします。
そうですねぇ……状況を「仮定」してみましょう。
「相手のことを状況を知ろうともせず知りたいとも思わず(愚癡),ただひたすらに自らがむさぼりたいだけのために(貪欲)我慢もせずに相手に対して怒りを口にし,行動に移す(瞋恚)」。
仮定とか書いてみましたが,実際に文章にすると,そんなに「あり得ないってほどないことでもない」ような気がしますねぇ(苦笑
ただ。
こんな事をやっては,周囲にとっては大迷惑ですし。
そうしてそれは,それ以上に「怒っている当人にとって,とても哀しいこと」なのでは,ないでしょうか?
相手を知ろうとせず,我欲のみをふくらませて怒りをふくれあがらせて。
その結果,相手と自分を傷つける言葉を思い,紡ぎ,音として放って。
後悔してしまう心で自らをもっともっと傷つけて。
そんな負の無限ループは,きっと楽しくないのではないでしょうか?
頑張って,どこかで
break;
と一行,書かなければならないのではないでしょうか?
無限ループって,おっかないくらいCPUリソースとか食いまくりますしね(むか~しの環境だと,もの凄い金額を請求されていましたし)。
セキュリティもプログラムも全部一緒ですが。
まずはなによりも「知ること」です。愚癡を潰すことです。
もし「知ることができない」にしても,「知ろう」という意志を持って努力をしていれば。
きっと,どこからか手がさしのべられる瞬間は来るものです。
そうして,知ることで「我欲と同じくらいに,相手にも欲がある」ことを知ることができれば。
きっと「我欲のみを押し通す」ことはできなくなりますし。
「相手がいることを」理解すれば瞋恚にあるような「我慢できない怒り」も,少しは「理解しよう」と思えるのではないでしょうか?
もちろん。
自分がやらかすのではなく「相手にやらかされること」も多々あろうかと思いますが。
そんなときに,あえて「相手の状況」に思いを馳せてみることで。
見えてくるものもあろうかと思うのですが,如何でしょうか?

