レポート

PHPの生みの親,ラスマス・ラードフ氏インタビュー

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2015年12月に無事公開されたPHP7。その公開に先立ってPHPの生みの親であるラスマス・ラードフ氏に話を伺う機会がありました。英語で行われた一時間のインタビューは長大ですがラスマス氏の思想がよく分かる話題が多く,可能な限りそのままの形でお伝えすべく,その模様すべてをお届けします。

なお,インタビューは10月に開催されたPHPカンファレンス2015の講演終了後に行われ,リリースに関する話題などはその時点でのものです。

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現在の仕事と生い立ち

―――― まずは,PHPを作ってくださってありがとうございます。今日の基調講演もすばらしかったです。

ラスマス:ありがとうございます。

―――― いきなりですが,個人的な質問から始めてもいいでしょうか。

ラスマス:どうぞ。

―――― Etsyではどのようなお仕事をなさっているんですか?

ラスマス:きっとたくさんの人が疑問に思っているんでしょうね。当のEtsyの社員でさえ,たまに分からなくなりますからね。私は基本的に社内をうろうろして,興味深い課題を見つけてはそこに取り組んでいます。決まった所属というのはありません。根無し草みたいにあちこち漂って,仕事を見つけると猛然と取りかかる,という感じです。たとえば2年前には,社内で使っていたデプロイシステムを改修して完全にアトミック化しました。その前はそうではなかったので様々な問題があったんです。最近はスタティック分析をいじっていて,コードを全部チェックしてPHP7対応にするついでにスタティック分析の問題をいくつか解決もしていますが,基本的には「何か手伝えることがあれば手を貸す人」という立場です。

以前はいろいろやっていたのですが、Etsyのエンジニアリングチームはすっかり腕利き揃いになって,昔なら私しかできなかったようなことも上手にこなすので。私より腕が良くて,PHPの細部まで熟知しているプログラマーが何人もいるんです。トラブルがあるたびに自分一人で奮闘する必要がないというのは良いことですよ。今ではたぶん私よりPHPの内部に詳しいのではないかという者が2人もいますからね。おかげで私は研究や長期的な目標に取り組むことができます。人々への方向性というか……。

―――― 影響力を与える存在ということでしょうか?

ラスマス:そうですね。あと,私がいつもその辺にいて相談に乗るというだけでも開発者たちの支えにはなりますし。それ自体がね――特に若い開発者たちにとっては,PHPについて分からないことがあったら,すぐにIRCで私に聞けるという,その事実自体が楽しいみたいなんですよ。まあようするに,社内のエンジニアリングチームがとても優秀なので,どうしても私がやらなければならない仕事というのは特にないんです。

―――― それはいいですね。のびのびした環境で働けるというのはすばらしい。

ラスマス:ええ。

―――― 次の質問に移りましょう。ラスマスさんはデンマーク生まれでしたね。

ラスマス:はい。

―――― でも育ったのはカナダ,と。

ラスマス:ええ。

―――― 子どもの頃から複数の文化に囲まれてきたのですね。

ラスマス:そうですね,しかも生まれたのはデンマークといってもグリーンランドですから。

―――― なるほど。

ラスマス:ええ,だからね,今でもまだデンマークと呼べるかどうかで議論ができるわけです。私が生まれた当時は完全にデンマーク領でしたが,その後自治権を獲得しましたから。今は保護領という形になっていますが,私が生まれた時点では本国の一部だったんです。だからまあ,私はデンマーク生まれと言えます。パスポート上の出生地はグリーンランドになっているので,いつもすこし混乱するんですが。まあ,どちらでも同じようなものですよ。デンマーク人の両親から生まれたからデンマーク人という見方もできるし。

―――― 興味深いですね。複数の文化をバックグラウンドに持つことは,ご自分の物の考え方に何か影響があったと思いますか?

ラスマス:ええ。グリーンランドは極端に孤立した土地でした。とにかく周りになんにもなかった。がらんとした所に家がぽつんと建っているだけ。隣人を見かけることだってありません。何キロか離れた町にはまあ200人ぐらいはいたんですが,そこまで行く道路もなければ空港もない。夏の間はボートで行くんですが,冬になったらそれも使えない。唯一の移動手段はヘリコプターでした。なにぶん小さい頃の話なので,私が環境自体から受けた影響は大きくないと思いますが,両親はそういう無人の荒野に9年間住もうと思うようなタイプの人間だったわけです。私が学校に通う年齢になるとデンマーク本土に引っ越しました。島暮らしという点では同じでしたが……。

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デンマークの学校教育から受けた影響

―――― 環境よりご両親から受けた影響のほうが大きかったと?

ラスマス:うーん,それは確かにあったでしょうが,どちらかというとデンマークの学校教育から受けた影響のほうが大きかったかな。カナダやアメリカのシステムより優れていると思う点があって,まず一学級の人数がずっと少ないんです。それとデンマークでは,国語の教師と数学の教師はふつう男女ペアで,学校に通い始めて10年間はずっとその2人に教わることになります。いわば教育の専門知識を持った両親がもう一組増えるようなものです。子どもがあまり良い家庭環境に恵まれなかったとしても,もう一組の「プロの両親」がセーフティネットの役割を果たします。

私自身が世話になったわけではありませんが,いい仕組みでしたし,それが当たり前だと思って育ったので,カナダに引っ越して驚きました。あまり勉強ができない生徒たちはどんどん取り残されていくんです。他の子たちと同じ方法では学習できない生徒をどう指導したらいいか,教師たちは分かっていなかった。私はたまたま数学や科学やテクノロジー関係が得意だったから高く評価してもらえましたが――そういえばデンマークに住んでいたころ,モノを修理するのがすごくうまい少年がいました。その子は自動車整備士になって,いまでも優秀な整備士として働いています。そういう仕事の需要は絶えません。私もときどき車を修理に出しますが,他の国の学校教育システムだったら,彼がその道に進むことはなかっただろうと思います。科学と数学ができない子どもはどこにも行き場がないのです。しかしデンマークの教育は……必ずとはいえませんが,まあたいてい,どんな子どもにもそれなりの進路を見つけてやれます。少なくとも米国式の教育システムほどドロップアウトしていく子は多くはありません。

ですから,私の価値観には多分にデンマークの教育システムが影響していると思います。息子の教育についての考え方もね。息子は今,米国でフランス人学校に通っています。なぜかというと――私の母国語はデンマーク語ですが,デンマークは小さな国で,人口が500万人,いや550万人か,それぐらいしかいません。だからデンマーク人はみんな2~4か国語話せるのが当たり前なんです。ですが,米国で育つとたいていの子は英語しか話しませんし,表現も豊かとはいえない。それで息子には,世の中にはテーブルを表す言葉が少なくとも2つはあるんだということを理解しておいてほしかったのです。

テーブルという概念を表す言葉はたくさんあります。言葉はシンボリックリンクのようなものです。あらゆる事物には概念がハードコーディングされているけれども,それを参照するにはシンボリックリンクを張ってやるだけでいい。テーブルという概念は1つしかありませんが,それを指し示す言葉はいくつもあります。そういうふうに脳が配線されれば,物事の学び方も変わってくるでしょう。そして第二,第三の言語を学ぶのもずっと簡単になるはずです。そういうわけで,うちの息子は小さい頃からフランス人の学校に通っています。今では流暢にパリっ子風のフランス語を話しますよ。米国で生まれ育った子どもにしてはちょっと変わっているでしょうが。

―――― 一つの考え方ではありますね。

ラスマス:それに,妻はカナダの英語圏出身ですがフランス人学校に通ったので,今でもフランス語がけっこう話せるんです。だから息子の勉強は家では妻が手伝っています。私のフランス語はひどいもんでね。でも実際デンマーク語よりは役に立った。どうもEtsyとは関係ないことばかり話しちゃったかな。