未来を救う海底探査 ―その驚異のテクノロジー

第1回 プロローグ:なぜ「いま」深海なのか?

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深海とは死の世界か?

深海。水深200メートルより深い海はこう呼ばれています。暗く冷たく,静寂な海の底。そのような印象を持つ方が多いのではないでしょうか? たしかに太陽の光は深海にはほとんど届かず,深海は真っ暗です。植物プランクトンは光合成できないので,海中の酸素濃度は深くなるにつれて低下します。おまけに水圧は高く,水温は低い。なんという過酷な環境! 暗くて静かで冷たい死の世界,それが深海だ,と思いますよね。

この広い海の底には「暗黒の世界」が広がっている。写真はマリアナ諸島沖の青い海(著者撮影,2006年)

この広い海の底には「暗黒の世界」が広がっている。写真はマリアナ諸島沖の青い海(著者撮影,2006年)

目で見えない場所やまだ調べられていない場所には「何もないのではないか?」と思い込む。人間にはそんな一面があるようです。なぜか? 人間は怖がりな生き物です。深海の暗闇に何か恐ろしいものが潜んでいるのでは? そんな漠然とした不安のために,何もないと思いたいのです※1)⁠深海だけではありません。地底,宇宙の果て,あるいは超ミクロの素粒子の世界を想像してみてください……,な---んにもない暗黒世界のように思っていませんか?

本当になにもないかどうかは,行ってみて調べてみなければわかりません。人間とは実に不思議な生き物でして,⁠漠然とした不安」「好奇心」がコインの表と裏のように常にセットになっています。いわゆる「怖いもの見たさ」です。いま,もしもあなたが好奇心にかられて,水深1000メートルの深海を探検してみたいと思ったら,どうすればよいでしょう?

深海を安全で確実に旅するには,有人潜水調査船「しんかい6500」に乗り込むのがよい方法だと思います。⁠しんかい6500」は,その姿形から潜水艦と間違われがちですが,潜水調査船と潜水艦にはさまざまな違いがあります。たとえば潜ることができる深さ(最大潜航深度)⁠潜水艦の最大潜航深度は1000メートルよりも浅いらしいです。⁠らしい」と曖昧な表現なっているのは,どの国もどのメーカーも,潜水艦の最大潜航深度を明らかにしていないからです(軍事機密)⁠ただ,⁠ある潜水艦の深度目盛は700メートルまでしかなかった」だとか,⁠ある魚雷の最大深度が900メートルだ」といった間接的な情報から,⁠潜水艦は通常は水深数百メートルまで,頑張って(?)1000メートルくらいまでは潜れる」という説が一般的です。一方,有人潜水調査船「しんかい6500」は3名の乗員と共に,水深6500メートルの海底まで潜ることができます。このような大深度まで潜ることができる有人潜水調査船のうち,現在運航中のものは世界中で7隻※2しかありません。⁠しんかい6500」は日本のみならず,世界の深海調査研究の中核を担っているのです。

有人潜水調査船「しんかい6500」⁠1989年,三菱重工業(株)神戸造船所で完成。その後,日本周辺や世界の海で深海調査を実施,数々の発見を成し遂げてきた。深海への潜航回数は1,400回を超える。著者撮影(2012年沖縄沖)

有人潜水調査船「しんかい6500」。1989年,三菱重工業(株)神戸造船所で完成。その後,日本周辺や世界の海で深海調査を実施,数々の発見を成し遂げてきた。深海への潜航回数は1,400回を超える。著者撮影(2012年沖縄沖)

「しんかい6500」や海底探査機器達によって,深海は死の世界どころか,私たちの日々の生活に深く関わっていることが徐々に明らかになってきました。さらに科学技術は日進月歩。深海を調査するテクノロジーも常に進化を続けていて,深海のナゾの奥深くとへ迫りつつあります。そこで本連載では,深海調査で用いられている大小さまざまな調査機器を紹介しつつ,海底調査の最前線や,あらたな科学的発見や発明について紹介していきたいと思います。Web上ではありますが,最新のテクノロジーを杖にして,暗黒世界の探検の旅へご案内いたしましょう。

※1)
似たような心理状態として「正常性バイアス」が知られています。自然災害時や事件・事故などに遭遇した際に,自分にとって都合の悪い情報を無視したり,過小評価したりしてしまう心情を指しますが,普通に生活していても起きている気がします(例:あの保存食品の賞味期限,切れていた気がするけど……見ないでおこう)⁠
※2)
米国=1隻(アルビン)⁠仏国=1隻(ノチール)⁠ロシア=3隻(ミールI&II,コンスル)⁠中国=1隻(蛟竜号)⁠そして日本の1隻(しんかい6500)です。このうち,6500メートルの深海まで行くことができるのは,⁠しんかい6500」と蛟竜号の2隻です(蛟竜号は水深7000メートルまで潜航可能)⁠

ポケットの中にはスクリューが1つ,たたけば2つ?

今回はこれから始まる連載の⁠予告編⁠(プロローグ)として,⁠しんかい6500」のスクリューのお話からスタートします。スクリューあるいはプロペラ(海関係では後者の呼び方が普通です)は船を動かすための装置です。⁠しんかい6500」には,船尾に大型プロペラが付いていました(下の写真:左)⁠このプロペラには首振り機構も付いており,船体を前に進めるだけでなく,右へ左へと旋回させることもできました。

「しんかい6500」のバックショット(お尻)⁠左:2012年以前に用いられていた大型プロペラ(著者撮影,日本科学未来館の実物大模型)⁠プロペラの直径は約1メートル。右:2012年以降の「後ろ姿」⁠大型のプロペラの代わりに中型プロペラ2台が配されたことがわかる(調査船「よこすか」上にて著者撮影,2016年)

「しんかい6500」のバックショット(お尻)。左:2012年以前に用いられていた大型プロペラ(著者撮影,日本科学未来館の実物大模型)。プロペラの直径は約1メートル。右:2012年以降の「後ろ姿」。大型のプロペラの代わりに中型プロペラ2台が配されたことがわかる(調査船「よこすか」上にて著者撮影,2016年) 「しんかい6500」のバックショット(お尻)。左:2012年以前に用いられていた大型プロペラ(著者撮影,日本科学未来館の実物大模型)。プロペラの直径は約1メートル。右:2012年以降の「後ろ姿」。大型のプロペラの代わりに中型プロペラ2台が配されたことがわかる(調査船「よこすか」上にて著者撮影,2016年)

ところが2012年,建造以来の大改造が行われて,プロペラは大型1台から中型2台へと換装されたのです(上の写真)⁠なぜでしょうか? 以前から使用されていた大型プロペラは油圧式でした。油圧ポンプで油の圧力を高め,この力がプロペラを回します。一方,新たな中型プロペラは電動式。一般に,油圧モーターは小型かつ高出力です。また電動モーターは出力面で油圧式に劣るものの,機敏かつ精密に制御できるという特徴を持っています。そこで油圧式の大型プロペラ1台から電動式の中型プロペラ2台へと変更することで,推進力を損なわずに加速・減速・旋回性能を向上させたのです。プロペラの首振り機構はなくなりましたが(プロペラ2台は船体固定式となりました)⁠2つのプロペラの回転数や回転方向(正・逆)を調整することで,以前よりも高い回頭性能を達成しています。

1つのプロペラが2つに。たったそれだけの事に思いがちですが,⁠しんかい6500」の運動性能や移動時の安定性が向上したおかげで,深海調査能力は格段にパワーアップしたのです。⁠しんかい6500」の大改造に立ち会った多くの技術者の工夫と苦労(喧々諤々)の結晶です。

いざ深海の旅へ!(画像提供:JAMSTEC)

いざ深海の旅へ!(画像提供:JAMSTEC)

生まれ変わった「しんかい6500」ではありますが,建造から30年近くが経過しています。他方,世界のあちこちで深海への新たな挑戦は続いています。たとえば「しんかい6500」が大改造された2012年,中国の有人潜水調査船「蛟竜号」は,水深7020メートルに到達しました。1989年に「しんかい6500」が記録した潜航深度6527メートルが破られたのです。同じく2012年,民間会社などが建造した有人潜水調査船「ディープシーチャレンジャー」は世界で最も深いと言われているマリアナ海溝のチャレンジャー海淵(水深水深10,908メートル)へ到達しました。はてさて,深海調査の未来はどうなるのでしょうか? そこではどのような発見がされていて,どんなことがこれから解明されるのでしょう? 本連載で少しずつ見ていきましょう。⁠しんかい6500」のお話もまた出てきます。お楽しみに!

著者プロフィール

後藤忠徳(ごとうただのり)

京都大学大学院工学研究科准教授

1991年神戸大学理学部卒。同大学院修士課程修了後,京都大学大学院理学研究科にて学位取得(博士(理学))。東京大学,愛知教育大学,海洋研究開発機構などを経て現職。専門は物理探査学,地球電磁気学。約20年間にわたって,無人探査機などを用いた海底活断層・海底資源等の調査等を行なっている。趣味は,バイクとお酒,美術鑑賞。ブログ「海の研究者」では,日々の研究の様子や,地球や海の話題を更新中。

公式Webサイト:http://obem.jpn.org/

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