著者の一言

本書「はじめに」より

皆さんは、生まれてはじめて“かいた”ものを覚えていますか。

ほとんどの方々にとって、おそらく覚えていないほど幼い頃の出来事だと思います。しかし、断言してもいいですが、皆さんが初めて”かいた”ものは、文字ではなく絵だったはずです。

申し遅れましたが、私はイラスト制作会社ミリアッシュの竹谷彰人と申します。数ある本のなかから、こちらを手に取ってくださり本当にありがとうございます。

なによりもまずお伝えしたいこととして、私はイラストレーターとして生計を立てている者ではありません。イラストレーターの方々と協力し、アートディレクションやスケジュールなどの進行管理をしながらイラストを制作する会社、その代表を務めています。

会社を設立する前もイラスト制作会社に勤務していたので、気づけば10年以上もイラスト制作だけに従事しています。まだまだ若輩の身ですが、それでもそこそこ短くはない時間が流れたなと思います。そして、これまで何万点ものイラストを作っていくなかで、多くのイラストレーターと出会いました。毎月定量の業務を依頼している万能なイラストレーター。ここぞという場で頼む、切り札のようなイラストレーター、速やかにアートディレクションをサポートしてくれる、関係性の深いイラストレーター。しかし反対に、関係が途絶えてしまったイラストレーターや、⁠距離を置こう」という判断に至ったイラストレーターも正直なところいます。

「絶対に、このイラストレーターさんに頼みたい」
⁠いいイラストを描いてくれるけど…ちょっと依頼しづらい…」

こうした違いは、なぜ生じるのでしょうか。

もちろん、頼む・頼まないの境界にはさまざまな理由が混在し、単純に「なにが良くてどれが悪い」と言い切れるものでもありません。

たとえばビジネスでは、お金や権利そして関係者の事情などから、イラストレーター側に落ち度がなくとも、断らざるを得ない結末になる時もあります。ましてや、はやりすたりは目まぐるしく移りゆき、需要も刻一刻と変わっていきます。そのなかで、依頼の増えるイラストレーターもいれば、減るイラストレーターも出てしまうのは、ある種やむを得ないとも言えます。

とはいえ、その変化を指をくわえて傍観しているわけにもいきません。一万円札にもなった偉人・福沢諭吉は、その著書『学問のすすめ』にて「停滞する者はいない」といったことを述べています。人間も世界も、進むか退くかのどちらかで、無変化のままではいられません。だからこそ、前もって必要な知識を身に付け、注意すべきポイントを知っておく。得た情報をもとにああでもないこうでもないと行動を重ねてみる。そうしたことからやがて柔軟性が生まれ、変化に適応できるイラストレーターとなります。そして、依頼が途切れなくなる可能性を極力高めることができます。

イラストレーターとして、自分で納得して筆を置こうと決めるまで、画業を続けてほしい。その思いから、この本はスタートしました。クライアントワークとしてのイラスト制作を、そして膨大なイラストレーターを見続けてきた私の経験と知見の、すべてを詰め込んだつもりです。

初めてなにかを“描いた”時から、苦しさとともにその楽しさを続けてきた尊敬する皆さんへ向けて。

この本が、イラストを描いて生きていこうと思っている方々、イラストレーターとして独立したばかりの方々にとって、少しでも良い未来へ繋がっていくその一助となることを願ってやみません。

この本を書くに至った具体的な理由の1つでもあるのですが、イラストレーターを目指す人々は日を追うごとに増えてきており、それに比例してトラブルの数も増大しているように感じています。皆さんがきっとご存知のサービスを例に挙げると、イラストコミュニケーションプラットフォームの「pixiv」は、2007年の立ち上げからユーザー数・作品投稿数ともに右肩上がり(2023年時点で9800人のユーザー、1億3100万の投稿)を記録しています*。また、専門学校などでイラストレーターコースの学生に向けた講演を拝命することもあるのですが、当たり前のように教室はイラストを描いている学生たちで満たされ、自前のポートフォリオを見せてくれる若者ばかりです。なかにはすでに仕事を受け、プロとして活躍している学生もいました。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000300.000035885.html

インターネットの登場、ペンタブレットなどの描画に特化したアイテム、またスマートフォンおよびソーシャルメディア(SNS)といったテクノロジーの発達により、イラストが活用される場面は爆発的に増加しました。クリエイティブな職種全般に言えることとは思いますが、いまやだれもがイラストレーターとして名乗りをあげて船出する、世はまさに大イラストレーター時代です。身分や地位といった、努力ではどうにもならない伝統的な重しが幅をきかせていた時代は昔話となり、職業選択の不自由もほぼ消え、準備して頑張ればみんなイラストレーターになれる。そう言って差し支えないでしょう。

「いいイラストを描きたい、イラストレーターになりたい」と願うひとたちが増えたことは、世に出ているイラストの上達方法に関する本や動画などの多さからも推し量れます。X(旧Twitter)を開けば、万を超えるフォロワーに囲まれた人気イラストレーターが今日も心を揺さぶる圧倒的なイラストを投稿し、いいねやインプレッションの数値は華々しくカウントアップを続けています。

しかし、そうしたきらびやかさの裏で、さまざまなトラブルがイラストレーターたちに付きまとい、彼彼女らを悩ませています。イラスト制作にかかわる部分ならまだ各自なりの闘い方もありますが、その外側からやってくる未知なトラブルに、進退窮まってしまう方々は少なくありません。

トラブルはだれもが避けたい! はずなのに

この本を読んでいる皆さんはまさに、だれかと揉めているひとがいたり、こんなひどい仕打ちを受けたと嘆いているひとがいたりと、トラブルに遭遇しているのをSNSなどで見かけたことがあるのではないでしょうか。イラストレーターをはじめ、クリエイティブな仕事では、

  • 仕事が来ない
  • クライアントの連絡が途絶えた
  • 聞いていた額と実際の報酬が違った
  • 友達からとても安い制作料の依頼がきた
  • 未入金

などなどの問題が頻出しています。SNSで話題になるのは氷山の一角で、実際こうした悲劇は枚挙に暇がないほどです。どのトラブルも当事者の心情を慮ると心苦しく、こうしたトラブルは1つでも減ってほしいと思っています。

「若いころの苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、後々「必要な経験でした」と前向きに捉えられるものもあれば、⁠なんの成果も得られませんでした!」と思う苦労もあります。入念な準備や用意のない状態でただ遭遇してしまうトラブルからは、経験値をわずかも獲得することができず、いたずらに時間を費やすのみとなってしまうことがほとんどです。

交通事故と近しく、トラブルはこちらにまったく非がなくとも相手側のアクションで起きてしまうものです。しかし、やや失礼な物言いに聞こえてしまったら恐縮ですが、イラストレーターの皆さんが事前対策を怠ったことで、無用にトラブルを起こしてしまっている場合もあるかもしれません。

①営業不足
→受注獲得までのチャート作りがおろそかになっている

②知識不足
→業界や法律、お金に関連した知るべきことを知らないことで、言いくるめられてしまう

③心身調整不足
→体調不良などに起因した度重なるスケジュール遅延や、独善的・攻撃的な言動により敬遠される

これらの原因に対し、たとえば①では営業スキルが、②では法律の知識などがあれば、クライアント側に利益の偏った「安かろう悪かろう」な案件を見抜き、遠ざけられるかもしれません。また、スケジュールの不遵守が続いたり、大切なはずのクライアントに対し、知らず知らずのうちに間違った言動を取ってしまっているケースもあります。そうした時に、③の制作姿勢を見直して襟を正せば、長い年月をかけ築きあげてきた信頼関係を壊さずにいられるでしょう。

上に述べたものはあくまで例ですが、このような事柄を事前に理解してから制作に臨むことで、本来生まれるべきではない余計なトラブルを未然に防ぎ、イラストの描画だけに全力を出せるようになります。

イラストレーターは、描いたイラストを商品として売ることでお金をいただくのが基本となるビジネスです。ビジネスには必ず相手(お客さま・クライアント)がいて、売り手が商品に思いや感情を乗せる一方、買い手には目的や意図があります。そして、双方ともに気持ちよく商品とお金を交換できるのが良いビジネスです。

逆に言えば、なにかしらの原因でトラブルが起こると、売り手と買い手のどちらか、またはその両方が好ましくない状況へと陥ってしまいます。場合によっては、たとえ土下座をしたとしても収束できない事態まで深刻化し、クライアントとの関係がプツンとちぎれることも決して少なくありません。お金と違って、信頼は目に見えません。そして、ひたすら地道に構築していくしか方法がないにもかかわらず、瓦解する時は瞬く間です。くどいかもしれませんが、トラブルを起こさないように心がけ、日々の制作を進めていくのは、本当に大切なことです。

イラストレーターにとって、イラストそのもののクオリティアップは最重要のメインクエストであり存在理由であると重々思いますが、その隣には近いくらいの優先度で、準備しておくべきことや知っておくべきことのサブクエストがずらっと並んでいます。イラストレーターとして大切な知識や考え方を習得し、皆さんの描くイラストが良いビジネスとして世に出て、長く太く働けるイラストレーターとなってほしい。そう思っています。

まくらが長くなりましたが、第1章からが本書のコアとなります。まずは、先人に“敬意を払う”べく、少々の歴史からはじめましょう。現在を生きる我々が、どこにいても目に触れる機会のあるイラストは、そもそもどういう存在だったのでしょうか。小難しいと感じることもあるかもしれませんが、どうか最後までお読みいただけると嬉しいです。

竹谷彰人(たけやあきと)

ゲーマー。『週刊少年ジャンプ』愛読者。イラスト制作ミリアッシュ 代表取締役。教育系スタートアップ無花果 社外取締役。ゲーム業界の関係人口を増やすべく活動中。RPGとホラーが好きで,『ハイキュー!!』と『論語』が行動指針。