エンジニアと伴走するDevRelの存在 ――モノづくりからコトづくりを支える技術~@941こと櫛井優介氏に訊く

インターネットの歴史を振り返ってみると、さまざまなテクノロジーが開発され、進化し、社会に浸透しています。そのテクノロジーを生み出す中心にいるのがエンジニアだとすると、エンジニアと並走しながら、テクノロジーを周囲に周知したり、エンジニアと社会、ユーザの橋渡しの役割を果たすのがDeveloper Relations(DevRel)です。

2010年過ぎごろから、海外のビッグ・テック(Google、Amazon、Facebook(現Meta)など)で、1つのスキルとして認知され、ここ日本では2015年ごろから、DevRelに関するイベントコミュニティが発足、その後、DevRelの肩書きを付ける人が増えてきました。

そして、2024年の今、多くのネット企業、さらにはテクノロジー関連のコミュニティで、その存在があたりまえとなっています。

今回、DevRelという名称が日本で認知される前から、DevRelが扱う業務範囲や取り組みに関わり、今では日本のDevRelの先駆者の1人として活躍する@941こと櫛井優介氏に、自身のキャリアや実体験を振り返っていただきながら、LINEヤフー株式会社で過ごした20年と、この6月から新たな活躍の場となる株式会社カケハシで目指すこと、さらにはこの先の自身のビジョンやDevRelの未来について伺います。

@941こと、櫛井優介氏
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社会問題の中心となった企業へ転職⁠そして⁠日本最大のコミュニケーションツールを提供する企業のDevRelに

――まず、櫛井さんのこれまでの職歴やDevRelに関わるキャリアを振り返っていただけますか。

櫛井:はい。私のキャリアのスタートは2000年、当時の業務内容はアニメ会社のIT部門での受託制作でした。その部門が6人ほどの組織で子会社化し、いわゆるスタートアップ企業を体験することになります。このときは、企画とディレクションを担当していたのですが、想像を絶する激務で顔面神経麻痺になり、一度、職から離れています。

その後、派遣社員として三井物産関係の業務を担当して、SIというものを経験しました。

そして、2004年に前職の前身である株式会社ライブドアへ入社、今振り返れば、この転職が今の私の働き方のベースとなっているDevRelとしてのスタート地点でしたね。

――ちょうど20年前。この当時は、Web 2.0ブームでもあり、日本ではmixiやGREEなど、SNSブームが始まった年ですね。この当時から、すでにDevRel的な、いわゆる広報業務に関わっていたのでしょうか。

櫛井:いえ。もともとはモバイル事業部というところでモバイル端末向け、いわゆるガラケーの公式サイトを制作するディレクターからスタートしました。

その後2006年1月、ご存知の方も多いライブドア事件により、グループの社員が2,000名から250名ほどに減り、組織再編が行われる中で、モバイル事業部からPC向けのサイトを手掛けるディレクターに異動しました。

それから、世の中のイケてるディレクターを増やしたくて2007年6月に自身でlivedoorディレクターBlogを開始し、また、外部組織のディレクター同士の交流を深めるためのオフラインの場として、Webディレクターミートアップというイベントを立ち上げました。振り返ると、これが自分自身で立ち上げた最初のイベント企画だと思います。

その頃から、ディレクター業務の枠が広がり、当時のライブドア社のエンジニアと連携する業務が増え、2008年頃からエンジニアサポート業務に関わることになりました。DevRelとしてのキャリアはこのときから始まりました。

その後は、2012年にNHN JAPAN株式会社にライブドア社が買収され、2013年にLINE株式会社となり、2024年2月の退職まで(所属は5月まで)の間、LINEヤフー株式会社の社員として業務を行いました。

業務内容としては、会社の名前は何度か変わったんですが継続してエンジニアサポート業務を中心に行い、2018年にDevRelチームを立ち上げることとなり参画しました。

そして、2024年6月から医療系のスタートアップ「株式会社カケハシ」へ転職することになりました。

エンジニアをサポートする中で実践したイベントと起きた出来事

――駆け足で伺っただけでも盛りだくさんの内容ですね。このままキャリアを深堀りするだけでもおもしろいコンテンツになりそうなのですが、今回はDevRelにフォーカスさせてください笑

2008年にエンジニアサポート業務を開始し、2018年には正式にDevRelという名称での業務に携わったということですが、実際にこの分野で実践したこと、また、具体的にあった出来事があれば教えてください。

櫛井:おそらくすべてのイベントをお話すると終わりがなくなってしまうので、ご参加いただいた方が多いところを以下にご紹介します。

イベント名 時期・期間および担当
YAPC::Asia 2010年~2013年まで。運営として4回担当
ISUCON 2011年から2023年のISUCON13まで。運営として13回担当
LINE DEVELOPER DAY 2014年にLINE主催として初となる自社技術イベントを開催、その後、2020まで立ち上げから企画・運営として担当
その他各種社内イベント、勉強会、ファミリーデイなど 前職在職中ほか。企画・立ち上げ・運営として多数

まず、gihyo.jpにもお世話になったものとして、YAPC::AsiaとISUCONがありますね。どちらも馮さんにご取材いただいたり、また、ご登壇をお願いしたこともありました。

それぞれを話すと、まずYAPC::Asiaは、2006年から開催が行われている中で、2010年から企業に所属する立場として、JPAの理事である牧さんとともに運営をすることになったんです。すでに一大技術イベントとして確立され、また、当時の日本のサービスを支えていたスターエンジニアを筆頭に、Perl Mongerと呼ばれる多くのPerlエンジニアたちが参加していたのは認識していました。

一方で、イベントの回数が増え規模が大きくなるにつれ、開催コスト(経済的・人的など)が大きくなっていたのは知っていました。YAPC::Asiaというエンジニアにとって大事な場をサポートすることは、実はエンジニアそのものをサポートすることにもつながる、と考えて関わっていました。

具体的なスキルセットではないかもしれませんが、こうした動き・役割はDevRelにとって非常に重要で、今後も求められるスキル、さらにはマインドではないかと思います。

また、自分自身がディレクターの立場でサービス開発をしていた経験があったので、イベントも全体的なディレクター目線で新しい取り組みや企画なども提案できたかなとも思います。

その1つとして、関わり始めたころから、すでにPerlエンジニア以外の参加は増えていたものの、いわゆる初学者や駆け出しのエンジニア、また、Perl以外に関わる人たちが参加しづらい雰囲気が少しあるなと感じていたので、誰もが参加しやすい場、そして、新しい人がどんどん入ってこれるような空気づくり、と言った点は、自分の背景を活かして提案・実施していきました。

地方の学生やPM(Perlエンジニアの集まり)を積極的に招待したり、企画したのはその一例です。

YAPC::Asia 2013、オープニングで挨拶をする櫛井さん(写真提供:Japan Perl Association)
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もう1つのISUCONは、もともとは会社のエンジニアが主導していたイベントだったんですが、回数を重ねるうちに他社のエンジニアも巻き込んだボランタリーベースで行われるハッカソンです。インフラエンジニアと呼ばれる方たちの熱量はすごく、この熱量をどうにかして継続して、継承していってもらえないかと考え、運営面で何ができるかを考えていました。

結果として、今のISUCONはLINEヤフーが運営としてバックアップ体制を作り、スポンサーを集めたり、費用や企画や運営を行い、出題に関しては社内外のつながりのあるエンジニアに協力してもらう形でここまで継続しています。さらにはタイトルにISUCONを冠した書籍(⁠達人が教えるWebパフォーマンスチューニング~ISUCONから学ぶ高速化の実践⁠、技術評論社、2022年刊)が発行されるなど、盛り上がりを継続できていると思います。

ISUCONに関しては自分自身はインフラやパフォーマンス・チューニングに詳しいわけでもないですし門外漢ではあったのですが、前述のとおり、周りのエンジニアたちの熱量のすごさを実感し、その盛り上がりを継続させたいという気持ちが強くありました。そして、YAPC::Asiaのようなカンファレンスとはまた違った形で、エンジニア参加型のイベントに関わりたい、エンジニアをサポートしたいという思いが強くなっていきました。

ですから、エンジニアと関わり始めたときから自分の立場で何ができることは何なのか、エンジニアが求めているサポートは何か、イベント実施に向けた準備や体制整備などに関わりました。そして、こういったイベントを企業として関われるようになってからは、個人の力に加えて、企業の立場としてバックアップ・サポートできるようになりました。

この点については、年々、日本の企業が組織としてエンジニアをバックアップしていく意識が高まっているように感じます。今後どうなるかはそれぞれの企業や組織の方針があるとは思いますが、DevRelというポジションから個人ではできない部分を企業がサポートしていく文化や風土が根づけばいいなと思っています。

今お話した2つのイベントは、外部のコミュニティとの関わりが強かったものですが、もう1つ自身のキャリアで大きな影響を与えたものが、LINE DEVELOPER DAYです。これは、当時のLINE社が開催する自社イベントでしたが、LINEという日本国内にとどまらないサービス、人材が関わるイベントを、LINEブランドに合わせた形でイベント化し、そして、世の中に伝えていく――これは、外部のコミュニティとの連携とはまた違った部分での経験を積むことができたと感じています。

LINE DEVELOPER DAY 2019の様子(gihyo.jp記事より)
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外から見ると内部で企画や実行までやるのでスムーズに進行しているように見える面があるかもしれません。しかし、前述のとおり、国内にとどまらない内容のため、それをどうやって参加者にわかりやすく伝えられるか、LINE社に所属するエンジニアの技術力や魅力を伝えられるか、その点の工夫はとても難しい部分がありました。

また、⁠技術を伝える」ということだけではなく、参加者の皆さんにとって参加した意味を感じてもらえるような工夫も行いました。たとえば、参加型の企画だったり、ノベルティの準備だったり、懇親会だったりという、技術の話ではない部分の企画です。

これらは一見するとDevRelの活動とは関係ないように思われるかもしれません。しかし、技術イベントとうたってエンジニアたちが発表する場においては、その場の満足感を高め、伝えたい技術をしっかりと伝えられるように整えることもまた、DevRelとして必要だと感じています。

その点で、LINEという多くの方に認知されているサービスだからこそ、その認知されたサービスがどのような技術の裏付けで成り立っているのか、どのような立場のエンジニアにも興味を持ってもらえるように、同僚であるエンジニアや技術の役員などと相談しながら毎年いろいろと考えました。会場の選定などもその1つで、規模が大きくなればなるほど頭を悩ませたのを覚えています。

他にもいろいろとお話したいですが、DevRelのキャリアで経験してきた各種イベントの実施、さらに運営に関わるさまざまな業務は、目に見える形でのDevRelとしての業務と捉えることができますし、それを実践することが、DevRelという立場のスキルアップにつながると実体験から思っています。

ただ、イベントの開催をするのが目的ではなく、あくまで手段でしかありません。イベントという場を通じて、エンジニアのモチベーションやエンジニアの地位の向上、エンジニアたちがお互いに技術を研鑽しあって企業や組織の枠を越えて交流できる環境を作る、そして、そのエンジニアを社会とつなげていく部分にこそ、DevRelの本質があると、私は考えています。

この考えの根底には、エンジニアが持っているスキルや、そこから生み出されたさまざまなテクノロジーが社会を大きく変えてきたことを近くで見てきたので、これからもその可能性を秘めていると信じているというものがあります。

そして、DevRel活動をする人が増え、その環境が広がっていくことは、今のエンジニアだけではなく、未来のエンジニアにもつながっていき、結果として未来の社会が良くなっていくのではないかとも考えています。というか、ぜひそうなっていってほしいです。

イベントスポンサーのメニューの工夫も、場の雰囲気を高める。これは「エンジニアのエンジニアによるエンジニアのためのお祭り」を体現したスポンサー提灯(写真提供:Japan Perl Association)
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2024年の今考える⁠DevRelの意味⁠意義とは?

――YAPC::AsiaやISUCON、LINE DEVELOPER DAYなど、とても大規模、かつ、エンジニアにとって馴染みの深いイベントを裏側から支えてきた櫛井さんだから感じた、DevRelの本質と思いました。また、その結果が、櫛井さんご自身の2013年の第8回日本OSS奨励賞の受賞にもつながったと思います。

さて、先ほどのお話の中にDevRelの本質という内容が出てきました。ここで、改めてDevRelの本質について、櫛井さんはどのように考えられていますか?

櫛井:日本でインターネットが普及し始めて約30年、最初はあまり日の当たらなかったエンジニアにも注目が集まり、今ではエンジニアが持つ価値がきちんと評価され、また、社会課題の解決の礎になることが認知され、エンジニアの社会的地位も(30年前と比べても)格段に向上したと思います。

中でも、ITやネットに関するエンジニアは、オープンソースコミュニティが持つ文化と同様に、会社の垣根を越えてノウハウを共有することがあたりまえですし、そこにまたエンジニアの醍醐味があるように思います。

今後も会社の垣根を越えて、エンジニア同士が刺激を受けられる場所の重要度は増す一方だと私は考えています。繰り返しになりますが、DevRelはそういった場を作り、育て、エンジニアたちがより本質的な仕事に向き合うことができるように、エンジニアリング以外の面でサポートを行っていくことが、まず目に見える部分でのDevRelの存在意義だと思います。

DevRelと一口に言っても最近ではさまざまな役割を内包する、定義として大きな名称になっています。技術広報といった役割や、社外のエンジニアと自社のプロダクトをつなぐエンジニアリングを担当する場合や、エンジニアの成功につながるような活動を何でもやる場合など、いろいろな動き方があります。私の活動は「エンジニアの成功につながるなら何でもやる」という意味合いが強いと思います。

ただ準備をしたり縁の下の力持ちになることが目的ではなく、その結果として、さまざまな面での良い循環が生まれるようにしていくことが目的です。そうなれば、その良い環境が未来の社会全体に影響を与え、そこに関わる全員が社会に貢献できる世界につながると思いますし、その1つの役割としてDevRelの意味・意義があるはずです。

少し話が逸れますが、最近、生成AIの進化には目を見張るものがあり、今後は人間社会、人間の働き方にも大きな影響を与える、と、さまざまなところで言われています。

自分自身、生成AIの便利さは体感していますし、実際、イベント企画や運営のためのヒントを見つけるのに役立っています。ただ、それはあくまで準備の一環であって正解そのものではありません。誤解を恐れずに言えば、今までは自分や(人間の)仲間と考えていたことに、新しい仲間として生成AIが加わったという感じです。

最終的には、人が集まる場所を作ったり、常に変わり続けていく人間を相手にするからこそ発揮できるバリューもあります。また、ホスピタリティを持って場を提供し、情熱の発散やモチベーションの向上を効果的に成果がでるようサポートをしていくのがこれからもDevRelというポジションには求められていくと考えていますし、DevRelというポジションを続けるうえで欠かせない要素だと言えます。

カケハシでやりたいこと⁠これからのキャリアと展望

――エンジニアをサポートすること、そして、エンジニア同士、エンジニアと社会をつなぐことを続けてきた櫛井さんだからこそ言語化できる、DevRelの定義がわかりました。とくに、情熱の発散やモチベーションの向上をサポートする、ということは、伴走するDevRelの本質だと理解しました。

最後に、櫛井さんご自身のこれから、新しいステージであるカケハシで目指すこと、やりたいことを教えてください。

櫛井:これまでIT業界で、技術の最先端に近い分野で働いてきました。そんな中、2年ほど前に自分が難病患者になって入院をしたり定期的に通院するという経験をしました。入院していたときの同室の患者は一様に70代以上のガン患者で、まだまだデジタル化されていない機器をがんばって使っている看護師たちの姿を見ながら強く痛感したのが、社会にはまだまだITが浸透しておらず課題がたくさんあるということです。

当事者として目の当たりにしたことで、自分がこれからの人生で使う時間はこういった課題解決へ助力したり、医療という分野を通じて子どもたちの世代がより良く暮らしていけるような世界を実現するためにはどうすれば良いのか、そして、そのために動くことに時間を使いたいと考えるようになりました。それが、転職のきっかけでもありました。

これまで自分が所属していたLINEヤフーでは2018年からDevRelというチームが誕生し、6年が経過して業界的には認知が広がったと思います。しかし、本質的には裏方であり、エンジニアたちのサポート業務を通じて活動量や質の最大化をしていくべきであること、効率的に活動をしていくことの重要性は、まだまだ知られていない面も多いなと感じています。

そういった状況において、自分自身が活動を続けることの必要性、それとともに、周囲に「DevRelとはこういった仕事である」という啓発をしていく必要性も感じています。

6月から新しい職場で活動する予定で、名称もDevRelではないかもしれませんが、本質的な動きは変わらないです。私がやるべきだと思うエンジニアサポートとしての動きを社会に伝え、働きかけ、結果として社会がより良くなるように行動していきたいと考えています。

――ありがとうございました。

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