はじめに
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- 読書が趣味の私は,最近思い立って「ケータイ小説」を書き始めました。当初は好意的な感想が寄せられていたのですが,書き進めるにつれて,「盗作じゃないの?」「あなたの小説は××氏の著作権を侵害している!」といった批判的なコメントが多く来るようになり困っています。確かに,登場人物の性格や場面設定等,子供の頃愛読していた××氏の人気小説を参考にしたところもあるのは事実ですが,主人公の行動やセリフなど,物語の多くは自分のオリジナルだという自負があります。それでも,私の小説は,××氏の著作権を侵害することになってしまうのでしょうか…?
ジャンルを問わず,表現活動を行う者がもっとも避けねばならないことの一つに「盗作」(「盗用」)があります。
よくニュースになるものとして,音楽(詞・曲)や小説,マンガ,ドラマの脚本,学術論文といったものが挙げられますし,最近では有名人のブログ記事が,他人の書いた記事の「盗作だった」などという話題も登場するようになってきています。
本来,「盗作」とは,「他人の作品の一部または全部を自分の作品として発表すること」(出典:Yahoo!辞書/大辞林)を意味する言葉ですが,世の中ではもう少し語義を広げて,「表現者が他人の作品にアクセス(依拠)し,そのコンセプトや場面設定を真似したり,同じキーワード,キーフレーズを用いた作品を自分の作品として発表する」といった行為についても,「盗作じゃないの?」という疑惑の眼を向ける傾向があるように思われます。
松本零士氏と槇原敬之氏の間で勃発した「盗作騒動」などは,まさにその典型例ということができるでしょう。
「盗作の常習者」というレッテルをひとたび張られてしまえば,社会的な非難を浴びることになりますし,同種の表現を生業としている人(小説家や漫画家,作詞家,研究者など)であれば,表現者としての生命を失うことにもなりかねません。それゆえ,ひとたび「盗作」が発覚すれば,それを行った表現者はただひたすら謝罪を繰り返すことになりますし,身に覚えのないレッテルを張られそうになった表現者は,必死の反論を試みることになるわけです(先に挙げた「盗作騒動」にしても,槇原氏側は,松本氏の作品にアクセスした事実自体を否定し,裁判で徹底的に争う姿勢を表明しています)。
このように極めて重い「盗作」の二文字。しかし,
著作権法の観点からみれば,世の中で「盗作」だと思われているものすべてが「著作権侵害」にあたるわけではない。
と言ったら,皆さんは驚かれるでしょうか。
世の中では,「盗作」=「著作権侵害」という見方が一般的であるようですし,前回までの連載の中で,他人の著作物の利用についてあれだけうるさいことを言っていたのに,「盗作」が「著作権侵害」にあたらないとは何事か,とお思いになられる方もいらっしゃるかもしれません。
確かに,世の中で「盗作」といわれる行為の中でも,「他人の作品の一部または全部をそのまま自分の作品として発表する」行為について言えば,著作権を侵害する行為に該当することは避けられないように思われます。
他人の「著作物」を自分の作品にそのまま取り込んで使う行為はまぎれもない「複製」行為であり,前回ご紹介した「引用」ルールにしても,自分の著作物と他人の著作物が「明瞭に区別できる」状態になければ適用することは困難です。
また,著作者は「翻案」する権利を有していますから,多少文体等を変えたところで著作権侵害を免れることはできそうもありませんし,著作者人格権の観点からは,「氏名表示権」や「同一性保持権」といった権利との関係も問題になってきます。
しかし,登場人物の性格付けやハイライトシーンの場面設定が似ているとか,作品の中核となるキーフレーズが共通して使われているといったレベルの「盗作」になってくると,いささか状況が異なってきます。
「なぜ著作権侵害にならないのか?」
著作権法の本質にもかかわるこの問題を,これからもう少し詳しくご説明したいと思います。
著作権法の大原則 ~保護されるのは「表現」であって,「アイデア」そのものではない!
この法律において,次の各号に掲げる用語の定義は,当該各号に定めるところによる。
- 1.著作物
- 思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
著作権法第2条(定義)
以前にもご紹介したことがありますが,上に挙げた条文は,著作権法におけるもっとも基本的な「定義」規定です。
そして,太字で示した,「創作的に表現したもの」という一節から,
著作権によって保護されるのは,あくまで「(具体的な)表現」に限られ,その背景にある「アイデア」や「コンセプト」そのものは保護されない。
という解釈が導かれます。
著作権法は,「著作物」を創作した者(著作者)に複製や公衆送信といった権利を専属させることによって,他人が「著作物」を無断で利用することを原則として禁じており,そのようなルールの背景には,創作の正当な見返りを与えることで著作者に新しい「著作物」の創作を促し,ひいては文化の発展を促進する,という目的がある。
しかし,「ひとたび『著作物』が創作された後はいかなる態様,方法であっても,著作者の許諾を得ない限りそれを利用できない」ということになれば,かえって新たな創作を妨げ,文化の発展を阻害することにもなりかねない。
そこで,著作権法は,著作権によって「表現」を保護する代わりに,その「表現」の後ろにある「アイデア」等については自由に利用する余地を残すことによって,後発創作者の「思想・表現の自由」の保護と著作者(著作権者)の保護の両立を図り,「文化の発展」という法目的を達成しようとした。
これが,「表現/アイデア二分論」という,現在のもっともスタンダードな解釈であり,著作権法による保護の限界(言い換えれば,どこまでが著作権侵害になるのか,ということ)を考える上で,きわめて重要な意味を持つものとなっています。
A氏が創作した「著作物」と,B氏が創作した「著作物」に共通した要素があるとしても,
単に,両者が「アイデア」や「コンセプト」のレベルで共通している,というだけではなく,具体的な「表現」のレベルで共通していて初めて,著作権侵害となりうる。
というのが,著作権の世界における基本的な考え方なのです。
もっとも,ここまで読んできて,「それじゃ,どこまでが『アイデア』で,どこからが『表現』になるの?」という疑問をお持ちの方も多いでしょう。
そこで,次章では,具体例を見ながら,さらにこの「大原則」を掘り下げてみたいと思います。

