小飼弾のアルファギークに逢ってきた
スーツのためのギーク入門
Dear Suits,
『アルファギークに逢ってきた』は,タイトルのとおり「ギーク」が主題です。ギークの,ギークによる,ギークのためのインタビュー集という体裁をとっています。それでは,ギークでない人は無関係かというと,それどころかむしろギークでないみなさんにギークの実態を知ってもらうために一読していただきたいというのが,著者の偽らざる気持ちです。
スーツって誰?
ギークの対立概念として,「スーツ」というものがあります。ギークの定義は本書の「はじめに」で紹介したとおり,「特定の分野には長けているが,人付き合いが今イチ得意でない」という人々なので,「スーツ」は「得意分野はあまりないが,人付き合いは得意」という人々になるでしょうか。乱暴な分類でよければギーク=技術者,スーツ=事務屋でかまいません。
この二者,仲がよいとはとても言えません。日本のITの世界で最も有名なスーツである梅田望夫氏は,その様子をこう嘆いています。
シリコンバレーでは,ギーク(技術者)とスーツ(経営者やビジネスマン)は永遠にわかりあえないものなのだ,という達観がある。
わかりあえない,なんて生易しいものではなく,互いに憎しみあっている場合も多い。
僕がこの連載でやろうとしていること:梅田望夫・英語で読むITトレンド
しかし,この二者は本当に「永遠にわかりあえないもの」なのでしょうか?
まず「わからない」をわかろう
「わかりあう」というのが,「相互の話していることが理解可能である」を意味するのであれば,「永遠にわかりあえないもの」という達観は残念ながら事実です。例として,本書からある会話を抜き出してみました。
弾:デスクトップアプリだと,UNIXのsleep()[注1]みたいなものがますます欲しくなるかも。
Resig:JavaScriptの実装の中でsleep()の問題点というのは,それがスレッドの存在というものを示唆すること。今までとの断絶が大きい。Google GearsではWorker Poolという方法でそれらを雑ながらも扱ってはいるけど。
- 注1)
- 指定した時間だけ遅延させるコマンド。
この2人が何を言っているのか,おわかりいただけましたか? おそらくこの会話が「わかる」人は,単なる「ギーク」ではなく「JavaScriptもUNIXも知っているギーク」に限られると思います。ギークといえど,わからないものはわからない。
本書には,こういった「読者を置いてけぼりにする」会話もあえて載せてあります。スーツどころかギークまで置いてけぼりにしているわけで,なんてひどいとお感じになるかと思われるでしょうが,まず「わからない」ことをわかっていただきたかったのでそうしました。
理解しようとするのがギーク
ここまでは,ギークもスーツも同じです。ここからの反応が,ギークとスーツで異なります。ギークはこうした「わからない」ことがあると,それを「わかるように」するか,「わかる必要を感じないから放置する」かの両極端の反応をします。前者の反応を示した場合,ギークは徹底して勉強します。Webを隅々までググり,関連書籍を漁り,その過程をブログに書き…こうした過程を繰り返してきたのが「アルファギーク」です。
問題は,ギークは後者の反応も示すことです。自分の興味がない分野に対しては平然と「そんなの関係ねぇ!」と無視するのもギーク。アルキメデスがまさにそうでした。彼はシラクサがローマに包囲されたときに,数々の発明品をシラクサに提供してローマをさんざん苦しめたそうですが,彼の興味があったのは,数々の発明品のほうであってシラクサ防衛そのものではなかった。だからローマの兵士が乗り込んできたときに,「オレの円に何をする」とKY発言をしてあっさり殺されちゃったわけです。
仮にギークの国があったとしても,シラクサが滅亡したように滅亡するのがオチだというのは,ギークも認めざるを得ないはずです。
理解ではなく和解しようとするのがスーツ
これに対して,スーツは「問題そのもの」の理解は早々諦めるものです。その代わり,スーツは「その問題に取り組む人を理解」しようとします。そんなスーツたちに,ギークはしばしば冷たく言い放ちます。「問題も理解できないのにオレを理解できるわけがない」,と。
ここでめげてしまうか,次の段階に進むかが,「スーツ」と「アルファスーツ」を分けます。「スーツ」と「アルファスーツ」の違いは何でしょうか?
愛,です。
理解できなければ,愛すればいい
あああ,ドン引きの音が聞こえます。でも本当なのだからしかたがない。ギークに手を振りほどかれて,ギークを憎んでしまうのが普通のスーツだとしたら,アルファスーツはそんなスーツをありのまま愛する存在なのです。
愛って何でしょうか?
私は,「未知なるものへの好意」だと定義しています。
愛=未知なるものへの好意
すべての赤子は母親を愛します。母親がまさか「堕ろしとけばよかった」と考えたことがあるなんて知らなくても。母親もまた赤子を愛します。その子が長じて彼女を殺す可能性があるのだとしても。両者はお互いを知りません。しかし愛しています。だからこそ愛しています。
思い出してみてください。はじめてのデートのときを。あなたは彼/女をどれだけ知っていましたか? ほとんど知らなかったはずです。知らなかったことが,彼/女に惹き付けられることを止めましたか?
「愛とは未知なるものへの好意である」というのは,全種類の愛に共通していることではないでしょうか。
その観点からギークを定義しなおすと,ギークとは「モノを愛す」人々であり,そしてスーツとは「ヒトを愛す」人々とも言えるでしょう。ギークはモノを愛しているからこそモノを究め,そしてスーツはヒトを愛しているからこそヒトを究める,ということになるでしょう。
どちらの愛が本当の愛かというのは無意味な質問です。どちらの愛も必要なのですから。ヒトはモノを動かさないと生きていけない以上,「モノ愛」も必要ですし,ヒトが「人間」となるには,「ヒト愛」も必要です。
ギークとは,モノ愛が強いあまりヒト愛が不足している人々でもあります。そんなギークたちを「コロ」すにゃ刃物はいらない。ただ愛すればいいのです。
本書には,ギーク殺しの例もきちんと載っています。
弾:ITmediaの令子さんへのインタビュー[注2]で,結婚のきっかけは,淳也さんが怪我をしちゃって…というエピソードが載ってたんですけれど,自分たちを振り返ると,僕が風邪で寝込んでいたときに直美が食事をおごってくれたんです。思えばあの頃から下心みえみえだったのかなと…(笑)。
直美:弱っているときに食べさせてあげるっていうのはいいんですよね(笑)。
令子:弱っているときは絶対に効きます!(笑)
弾:わかりました? 全国の(Geek)ファンのみなさん。
淳也:なんだそりゃ(苦笑)。
見事にコロされております。
「士はおのれを知る者のために死す」と言いますが,この「知る」は「理解」ではなく「愛情」とみなすべきでしょう。ギークはおのれを愛す者のために死す,のです。
本書がスーツのための愛の手引きとなりますように。
Love,
Dan the Author
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紹介 - スーツのためのギーク入門
自著の紹介文をさらに紹介するのも気恥ずかしいものですが、それも自薦ともなると(気恥ずかしい)2です。
スーツのためのギーク入門[小飼弾のアルファギークに逢ってきた(WEB+DB PRESS plusシリーズ)]|gihyo.jp … 技術評論社Tracked : #1 404 Blog Not Found (2008/04/14, 20:30)