ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険

監訳者解説 山形浩生

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生産エコシステムの経済的背景

本書はそこから出発する。中国の深圳での実際の生産の現場を体験し,日本のこの手の文章にありがちな,書き手の自国での狭い知見だけをもとに「あれができねー,これもダメ,中国なんか低品質」と決めつけるのとはまったく違うものを見出す。ものづくりに対する別の適応があり,費用と歩留まりのバランスの中で,モジュール化と現場合わせによる細やかな作り込みの合わせ技が実現しているのが,著者自身の苦闘と驚きの中から浮かびあがってくる。

そして,中国に蔓延しているさまざまな偽造やインチキ商品もまた,そうした適応の一部なのだということがわかる。ときに中国の店頭やオークションサイトでは「こんなの偽造するほうが手間がかかって,正規品より高そう」と思えるような代物に出くわすこともある。でも,それも中国の現場においては筋が通っている。そして,そんなものが出現する環境を作り出しているのは,じつは僕たち利用者の(じつにつまらない)嗜好や,理不尽な安値要求だったりするのだ。

適応としての知的財産レジーム

そして,知的財産についての考え方も,じつはその環境に対する違う適応でしかない。知的財産権は,もともとイノベーションを促進するための手段ではある(⁠⁠保護してあげるから,みんなに公開してくださいね」というのが知財だ⁠⁠。でも,欧米日の先進国ではそれがいまや,既得権益の保護に使われるだけになっている。一方の中国は,⁠知的財産権保護がおろそか」と批判される。でも,それは新製品開発や量産プロセス改善のイノベーションを大量に生み出す仕組みとなっているし,しかも決してオリジナルの開発者が完全にバカを見るものでもない。特にハードウェアの世界では,中国の知的財産アプローチのほうが筋が通っているのではないか? 著者はそう問いかける。

好奇心の実践:ハード,ソフト,制度,遺伝子

「どうしてこうなっているの?」という好奇心が,その背景となる経済的なバランスと知的財産の制度にたどり着いたところで,後半はその実践と言ってもいい。ハードウェアとソフトウェア,設計と製造,そしてそこからさらにチップの中身まで,やろうと思えばどんなものにでも著者の学んだことを適用し,新しい世界を切り開ける。現在の欧米流の知的財産のあり方――自分の買った電話の蓋を開けたりファームウェアをいじったりするだけで,ヘタをすると知財侵害とされてしまう――のおかしさを指摘しつつ,その法律すらハックし,迂回できる。そしてその技能と考え方は,エレクトロニクスにとどまらず,ほんのさわりながらもDNAハッキングにまで適用できるだけの応用力を持つ。この僕を含め,人は何かと易きに流れ,⁠あれができない」⁠もうこの分野も煮詰まった」⁠手の出しやすいネタは尽きてしまった」なんてことを言って,自分の知っている範囲に安住したがる。でも本書を読めば,それが単なる甘えなのはわかる。可能性はいくらでもある。作るほうでも,ばらすほうでも,それ以外でも。本書に描かれた著者の実践は,それをビシビシと教えてくれるのだ。

著者について

著者アンドリュー⁠バニー⁠ファンは,1975年生まれ。アメリカで生まれ育ち,現在はシンガポール在住だ。ハードウェアのハッキング業界では知らぬ者のない存在ではある。知名度的に並ぶ存在というと……強いて言うなら,あらゆるゲームコンソールをいじって改造するベン・ヘックあたりだろうか。でも,それとも質的にかなり違う。

たぶん一般には,マイクロソフト社のゲームコンソールXboxの分解を解説した『Hacking the Xbox』⁠2003年,No Starch Press刊)の著者として最も有名だろう。ケースの開け方,さまざまなモジュールの交換法といった初歩的な話はもとより,コンデンサや抵抗,インダクタ,トランジスタの見分け方なんていうレベルの話から,かんたんな暗号方式の解説をしたと思ったら,あれよあれよとケーブルのデータ解析にROMの裏口からの侵入方法まで,丁寧な写真付きで解説がおこなわれ,そしてそれに伴う当時(現在も同じだが)の知的財産やセキュリティ関連法規制の課題についてのくわしい説明までおこなわれる。そこに表れた精神は,本書ともまったく変わりない。もはやXbox自体が骨董品ではあるけれど,本書と同じでそこに出てくる各種手法はいまだに通用するものだ。

だがこの本は,著者にとってハッカー活動の困難を思い知らされるものともなった。マイクロソフト社は,そこに書かれた細部を公表するなと執拗に圧力をかけ,おかげで著者が当時通っていたマサチューセッツ工科大学(MIT)「この本とは一切関わりを持たない」という念書をよこしたうえ,当初の出版社からも出版中止を言い渡されるのだった。

同じ頃に,アーロン・シュワルツが学術論文のフリーアクセスを促進しただけで訴追され,同じくMITに停学処分を受けて自殺に追い込まれたことから,この本は彼に捧げられたものとなり,フリーで公開されることとなった。興味があればぜひご覧いただきたい。

そして,このXbox以外の各種ハッキング活動については,本書で主要なものが網羅されている。著者はハッキング活動だけでなく,特に知的財産権関連の活動家としても知られ,2016年にはデジタルミレニアム著作権法(DMCA)の野放図な適用についてアメリカ政府を訴える訴訟を起こしている。

深圳について

また,著者は2016年には『Essential Guide to Electronics in Shenzhen』という深圳のガイドブックのようなものを書いている。もちろん本書でもわかるとおり,彼は深圳のエレクトロニクス事情について,これ以上はないというくらいくわしい。ただし,このガイドブックは漢字も読めない人々のための入門だったりするうえ,深圳自体もここ数年でさらに急速な変貌と遂げている。日本のみなさんで,深圳電気街のガイドブックが欲しければ,鈴木陽介『これ一冊でもう迷わない! 問屋街オタクが教える 深セン電気街の歩き方』⁠Kindle版)が,アップデートもしっかりおこなわれ,内容的にもくわしくて,いちばん参考になるだろう。

またこのガイドブック以外にも,本書に描かれた深圳の状況はまだおおむね残っている。ものづくりの場としての深圳については,現地でJENESIS社として生産工場を営む藤岡淳一『⁠⁠ハードウェアのシリコンバレー深圳」に学ぶ――これからの製造のトレンドとエコシステム』(インプレスR&D/Kindle版)も,工場側から見た深圳の特殊性について,本書の情報と補い合うさまざまな知見がこめられていて参考になる。

ただしそこでも指摘されていることだが,最近では深圳も急激に開発と発展が進み,人件費も高騰してきた。そのため,大量生産からすでにだんだん少量多品種カスタム生産へと移行し,いまやそれすらも数年で消えるのではとさえ言われる。深圳の状況については,最近やっと主流メディアでも少し採りあげられるようになってきたが,おおむね三周遅れの古い情報ばかりで,そのうえガセも多い。深圳の新しい動きについては,本書のメインの訳者である高須正和のネット上での各種連載が参考になる。

最後に

もちろん,深圳に出かけると,エレクトロニクスマニアであれば本書でバニーが感じたような興奮が本当に湧き起こってくるのはたしかだ。でも,本書を読めば,そうした興奮の源はどこにでもあることがわかる。深圳は,その刺激の1つにすぎない。この解説を執筆中に開催されたMaker Fair Tokyoのようなイベントで刺激を受けることもできる。あるいは,本書を読んで何かその気になり,手近のラップトップの裏蓋を開けるところから入ってもいいし,ドローンのおもちゃを買って,ひさびさにガジェット精神を昂ぶらせることもできる。それをどこまでも深められるようにしよう。そして,ほかの人々にもその楽しさを伝え,今の世界のあり方をもっともっと深く理解しよう。本書の伝えるこのメッセージを,なるべく多くの人々が受け取ってくれればと思う。そして,ハッカーやハッキングの意義と広がりを,本書を通じてさらに多くの人が理解し,日本のイノベーションの高まりと活用促進が実現しますように!

2018年8月 東京/バンコクにて
山形浩生(hiyori13@alum.mit.edu)