昨年6月から続いてきたこの連載も、いよいよ今回が最後になります。
そこで、今回は、著作権のルールをめぐる最新の動向、特に「(日本版)フェアユース」の導入に向けた動きを踏まえつつ、これからの「著作権」実務の行方を占っていきたいと思います。
「『フェアユース』待望論」の台頭
ここ数年、我が国においては、著作権をはじめとする知的財産権が十分に保護されていない、という問題意識の下、「外国に追いつけ、追い越せ」と言わんばかりに、権利者の保護強化に重点を置いたルール改正が進められてきました。
しかし、過度に権利者を保護することで、著作権法が本来の目的としている「文化の発展」が妨げられる、という指摘がなされるようになってきたことに加え、「著作権の"流通"を促進する」という政策的見地から、最近では権利者と利用者のバランスを図る、ということにも議論の軸足が移ってきているのが実情です。
中でも、多くの実務者からもっとも期待と注目を集めているのが、「フェアユース」という、これまでの我が国の著作権法にはなかった新しいルールだと言えるでしょう。
アメリカの著作権法における重要な原則として知られる"fair use"の「日本版」と説明されることの多い「フェアユース」ですが、現時点で明確な定義が存在しているわけではありません。
ただ、これまで議論されている内容を総合すれば、「フェアユース」とは、
本来、著作権が及ぶ形態の著作物の利用行為(複製、演奏、公衆送信等)のうち、「一定の条件」を満たした行為について、法律等に個別に列挙された規定によることなく、包括的な規定によって著作権者の権利を制限することを認める(その結果、著作権者の許諾等を受けなくても、ユーザーが自由に当該利用行為を行うことができるようになる)というルール
である、と整理することができます。そして、このような包括的な権利制限ルール(自由利用ルール)を我が国の著作権法上に新たに導入するかどうか、導入するとしたらどのような規定にするか、ということが目下の最大の関心事となっているのです。
従来のルールの問題点と「フェアユース」導入に向けた流れ
(1)
X社の研究開発部門に勤めるAさんは、現在自社で販売しているテキストマイニングソフトの解析精度を向上させるための開発に取り組んでいます。
Aさんは、開発の成果を確認するために、試作したソフトウェアを使って新聞記事や小説、学術論文等、様々なテキストを素材とした解析試験を行おうと考えましたが、そのためには、これらのテキストを全文丸ごとスキャナ等で複製して電子データ化する必要があります。
「これって、著作権侵害になってしまうのでは・・・?」と不安を感じたAさん。著作権者の許諾を取ろうにも、権利者の数があまりに多いため現実的ではありませんし、利用料を求められた場合の研究予算も十分には確保できていません。
各テキストはあくまで試験のために利用するにとどまり、その後の利用を予定しているものではないのですが、このような利用でも違法になってしまうのでしょうか?
「フェアユース」的な考え方は、依然から我が国にも根強く存在していました。しかし、これまで裁判所や多くの有識者は、そのような考え方を著作権法の解釈に際して持ち出すことに対して否定的な態度を示すことが多かったといえます。
なぜなら、ヨーロッパ大陸諸国の影響を強く受けている我が国の著作権法においては、著作権者が権利を有していることを前提に、
著作権法上の(例外)規定として個別に列挙された形態の利用行為に限って、著作権者の権利を制限する(ユーザーが自由に利用する)ことを認める
という考え方が採られており、明文にない「フェアユース」を認めることは、著作権法の解釈における予測可能性、法的安定性を害する、という見方が有力だったからです。
確かに、立法担当者の側でも、十分な検討を経た上で、「例外的な利用形態」(例えば録音録画をめぐって話題になることの多い「私的使用」や、以前ご紹介した「引用」(第3回参照)などがこれにあたります)を条文化して規定しているわけですから、安易に、規定されていない利用形態を"適法化"するのは避けられるべき、という発想は分からないでもありません。
ところが、様々な技術の進歩によって、著作物の利用形態が多様化したことにより、このような考え方の弊害も浮き彫りになってきました。
上記のような「個別(限定)列挙」方式の最大の弱点は、それまで想定されていなかったような新しい利用形態が世の中に登場してきたときに、「ユーザーに自由な利用を認めても差し支えない場面であるにもかかわらず、法律上の規定を欠くため、著作権が制限されない(ユーザーが勝手に利用すると「違法」ということになってしまう)」という点にあります。
上記(1)にあるような言語著作物の利用はれっきとした著作権法上の「複製」行為ですし、検索サイトの運営者が第三者のウェブページをキャッシュに保管したり、画像をサムネイル表示したりする行為も、形式的には著作権に抵触する行為ということになります。会社の業務中に仕事に役立つ資料を掲載したウェブサイトを見つけ、自分で保存するためにプリントアウトした経験のある方は多いと思いますが、それだって「複製」であることに変わりはありません。
そして、これらの行為に著作権が及ばない、ということを明示した規定は著作権法のどこを探しても存在しませんから、著作権者に無断でこのような行為を行うと、建前の上では「著作権侵害(=違法)」ということになってしまいます。
このような不自然な帰結を避けるため、これまで裁判所や有識者は、「個別列挙」されている規定から類推して、著作権が及ばない例外的な利用形態にあたる、と解釈したり、権利者の明示・黙示の許諾があるから許される、といったように当事者の意思を推し量ることで穏当な解決を図ろうとしてきました。
しかし、著作権法のどこにも書かれていないそのようなテクニックを知ることができる人は限られていますから、結局のところ"律儀な正直ものがバカを見る"という状況が生じていたことは否めません。
また、立法サイドでもこのような状況を意識して、最近では2~3年おきに法改正を行って「個別列挙」規定を追加・修正しているのが実態ですが、問題が指摘されてから実際に法改正が行われるまでにはある程度の検討期間がどうしても必要になってしまいますし((1)のような研究開発目的での著作物利用や、検索サイトの運営に伴う著作物利用については現在「個別列挙」規定に盛り込む方向で議論がまとまっていますが、実際に法案となり施行されるのはもう少し先の話です)、法改正に際して逐一時間をかけて議論し、法案化するための作業を行うことは不効率だ、という指摘もあるところです。
以上のような背景を受けて、内閣直属の研究会等で台頭してきたのが「(日本版)フェアユース」導入論であり、今年はいよいよ法制化に向けた大詰めの議論が始まることが予定されています。
この先の見通しが明確に立っているわけではありませんが、「フェアユース」規定が、これまでの著作権業界の発想を大きく転換し、世の中に大きなインパクトをもたらす可能性を秘めたものであることは疑いなく、それゆえ、ユーザー側は大いなる期待をもって、そして、権利者側は重大な"脅威"として、議論の行方を見守っている、というのが現在の状況だといえます。
「フェアユース」は"万能薬"ではない
このように多くの注目を集めている「(日本版)フェアユース」規定ですが、導入後にどれだけの効果を上げられるか、ということについては、まだまだ未知数の部分が多いといえます。
なぜなら「フェアユース」規定が漠然とした文言で規定されることになれば、これまで懸念されてきた法的安定性の欠如(裁判所で判断を仰ぐまで、著作権侵害になるかどうかがはっきりしない)は全く解消されませんし、逆に、「フェアユース」に該当する要件を具体的に細かく定める、ということになれば、これまでの「個別列挙」方式と大差ない、ということになってしまいます。
識者の中には、
これまで裁判所で「著作権侵害」とされていた番組転送サービスのような著作物の利用形態も「フェアユース」規定によって"適法化"され、それによって新しいビジネスの道が開ける。
という柔軟な考え方を持っている方がいる一方で、著作権に関する国際条約やこれまでの裁判例等との整合性を意識する見地から、
「フェアユース」規定ができたといっても、従来「個別列挙」で例外とされていた内容を大きく超えた権利制限が直ちに認められることにはならない。
という見解も有力ですから、「(日本版)フェアユース」がどのような形で我が国の著作権のルールとして登場し、浸透していくのかは、蓋を開けてみるまで分からない、というのが正直なところだと思います。
また、仮に柔軟に解釈することが可能な規定が導入されたとしても、"裁判所に行くまで結果が分からない"という状況で、多様なステークホルダーを抱える大手のメーカーやプロバイダー等が果たして積極的にリスクを取りにいくことができるのか?という疑問も残ります。
"リスクを取ろうとしない"大企業の姿勢を批判するのは簡単ですが、著作権者との裁判で負けて自社のサービスが「違法」と認定されることになれば、メディアや株主から大きな批判を浴びる可能性がありますし(今の世の中では、背景事情をきちんと伝えることなく、"負ければ賊軍"的なステレオタイプな批判・報道が大勢を占めることが多いのが実情です)、著作権による差止めが認められることになれば、自社のサービスを利用していた顧客にも多大な迷惑をかけることになります。
その意味で、個人ユーザーであればともかく、自社の業務・事業目的で不特定多数の著作物を大量に扱うビジネスユーザーが「フェアユース」規定に過大な期待を寄せるのは禁物であり、これからの議論の過程や導入後の状況如何によって、
安易に「フェアユース」規定に頼るより、迅速な立法によって「個別列挙」規定を充実させていった方が良い。
という声が出てくる可能性は十分にあるといえるでしょう。
さらに、「フェアユース」規定の行方を考える上では、我が国独特の「(強い)著作者人格権」の存在も意識しなければなりません(著作者人格権については第5回参照)。
以前、「引用」に関して説明した際にもご紹介したように(第3回参照)、現在の著作権法には、「個別列挙」された権利制限規定について、これが「著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない」(著作権法第50条)というルールが設けられていますから、このまま行けば、同様に(包括的な)権利制限規定として位置付けられる「(日本版)フェアユース」規定についても、同様のルールがあてはめられることになるでしょう。
そうすると、せっかく「フェアユース」規定によって、「著作権」(複製権、演奏権、公衆送信権等々)との抵触を避けられるようになったとしても、「著作者人格権」というより手ごわい権利によって、ユーザー側の著作物の利用に支障が出る可能性は大いにあるといえます。
我が国のような「(強い)著作者人格権」的な規定を持たない米国では一定の効果を発揮している(この点についても、様々な見方があるところですが・・・)「フェアユース」規定も、土俵が異なれば効果が十分に発揮できなくなる、ということはありうるわけで、今後の議論の中でも、このあたりの"我が国特有の事情"に配慮した冷静な視点が必要になってくるのではないかと思います。
おわりに
以上、「フェアユース」導入に向けた、期待半分、不安半分、といった状況をご説明したところで、この連載も終わりとなります。
奥が深い著作権のルール&著作権をめぐる実務の有様を、限られた回数の中で語り尽くす、という作業は、自分にはちょっと荷が重かったのも事実で、連載の中で取り上げることができなかったトピックの中にも、実務的な重要な素材はたくさん残されていたように思いますが、それでも、この連載を通じて、「著作権」に関心を持った、あるいは、違った切り口から「著作権」の世界を見るようになった、という方が少しでもいらっしゃるのであれば、自分としては嬉しい限りです。
最後になりましたが、この半年とちょっとの間、拙い連載をご覧いただき、ブックマークやコメントを寄せてくださった読者の皆様に、厚く御礼申し上げたいと思います。
このような連載を持たせていただく機会は当分ないでしょうが(苦笑)、また、いつかどこかで皆様のお目に触れていただく機会が来ることを願って・・・。
ご愛読ありがとうございました。